第55話

「それでは鉄山先生。先にバスでマネージャーと一緒に学校に戻っておいてください」


「わかりました。中野監督―――私はバスの免許くらいしか今回から始まった公式試合では役に立ちませんからね」


「些細な事です。お気になさらずに……いざという時には私がバスを運転しますので、いつも通りに授業に励んでください」


「ええ、お言葉に甘えさせていただきます。―――それでは」


 駐車場のバスが動いて、遠くに行く。


「さあ! ランニング開始だっ! 一回戦のデータは僅かだがある! 気合を入れていくぞ!」


「「はいっ!」」


 中野監督に続いて、選手がランニングを始める。

 それぞれの決意を胸に―――兵庫県大会の夏が始まる。



 公式試合一回戦の日。

 陸雄達は移動するバスの中で、席に座る。

 駒島は試合が始まるまで寝ると言って、最後尾で寝ている。

 二年のメンバーもこの日ばかりはバスの奥で座って、黙りこくってスマホをいじっている。


「今日の対戦相手の高天原高校(たかまがはらこうこう)について、作戦を説明する」


 そう言った中野監督がバスから立ち上がる。

 最前列の席に座っているので、陸雄達のチーム全体を見る。


「今までの練習の空いた時間で私のサインは全部覚えている事だろう。今回は正確に覚えているかも試すからな。相手は今年軟式から硬式になったばかりだ。条件はお前達と同じだろう」


 中野監督が説明を続ける。


「先発は岸田が投げる。朋也様は試合の展開次第で中継ぎをするかもしれん。松渡はよほどの事がないかぎり出さん」


 松渡はその事を聞いて、肩の力を抜く。


(今回の試合―――僕の出番ないかもね~)


「相手の投手は一年生の横田和也(よこたかずや)だ。投手キャプテンでもある」


(同い年なのに聞いたことない名前だなぁ。まぁ、有名選手ばかりが兵庫県にいる訳でもないか)


 バスに座っている陸雄がふと思う。

 中野監督の隣に座っていた古川が立ち上がり、説明する。


「相手の横田和也の得意球は変化球はチェンジアップとカットボールです」


「カットボールですか。バットの芯に捉えにくい球種ですね」


 席の中団にに座っている星川が考え込む。

 九衞が鼻で笑う。


「芯の付近で当てて、力で引っ張れば飛ぶ球だよ。錦先輩と俺なら点をあっさり取ってやるよ」


「フッ、頼もしい事だな」


 古川が一息ついて、説明を続ける。


「データによれば最大球速は113キロ。三振に取りたがる傾向が強いです。あまり捕手のサイン通りに振らないペースを重視するタイプのようです。その分、判断力が強く迷いがありません」


 中野監督が補足で説明する。


「良くも悪くも平均的な高校投手だ。チーム全体の打率は中学時代の選手のデータだけなら三年間で貧打な方だ」


「中学時代とか―――どっからそんな情報持ってくんすか……」


 陸雄が冷や汗を垂らして、驚く。

 灰田が後ろから声をかける。


「あのキモデブと沖縄マントヒヒの練習サボって集めたデータだろ?」


 陸雄はイビキを掻く駒島と―――窓際でエロゲーの音楽を聴いている大城を見る。


「データ面では頼もしいのか、役に立たんのやらだな……」


「打順はハインから行く。先攻から攻めていきたい。奥にいるバカにもじゃんけんで勝ったら、先攻を取らすように伝えておけ」


 中野監督は後方の席に集まって座っている二年達にそう指示する。

 二年達から「うーす」と言うやる気がいまいち伝わらない返事が返ってくる。


「マジでこんなチームで大丈夫かな?」


「リクオ。心配するのは後だ―――球場に着くぞ」


 ハインの言葉でバスは駐車場に着く。


「よし! 球場に向かう。道具と帰りの着替えの制服を持ったらすぐにバスに降りろ!」


 中野監督の言葉でメンバーがそれぞれ準備をして、バスから降りていく。



 大森高校のメンバーと高天原高校の一年達が市民球場に集まる。

 一塁側ベンチにはユニフォーム姿の中野監督が椅子に座る。

 同じく記録係としてマネージャーの古川がスコアブックを開いて、机に座る。

 二人とも野球帽を被っており、普段はどこか大人びた二人が幼く見えた。

 バックネット裏に各教諭と主将が審判の前で集まる。

 駒島と相手チームの主将の横田が先攻後攻の取り決めをする準備である。


「メンソーレ! キャプテンじゃんけんに勝つサー」


「フンッ! くじ運やデータ集めだけでなく―――このワシがじゃんけんで負け無しということも証明せねばな!」


「大城。キャプテン同士の取り決めなんだから、ベンチに戻りなさい」


 鉄山先生にそう言われて、大城はベンチに向かう。

 前髪を立ち上げたショートヘアの横田は―――帽子を一度整えて、じゃんけんの準備をする。

 審判が合図をする。

 それと同時に駒島と横田がじゃんけんを始める。


(ふむ、今日はエロゲ声優の青葉夏りんごりんが、じゃんけんにはピースのチョキが良いとネットラジオで言っていたな―――ならば、チョキ!)


 駒島はそう思い―――チョキを出す。

 パーを出した横田がムッとする。


「大森高校、先攻後攻を決めてください」


「うむ、先攻で一つ頼もう」



 駒島が戻って来た時に、中野監督がベンチから出る。



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