鬱くしい旅に

英島 泊

鬱くしい旅に(一話完結)

 小鳥のさえずりと、朝日が城壁を柔らかく包み込む。家々からちらほらと煙が立ち上って、街は徐々に目を覚ます。各所に下げられた鐘が高らかに時刻を告げる。いつもと変わらぬ一日が、今日も始まる。

 中心街の外れ、城壁の扉へと続く道に、ケイトは立っていた。朝日が徐々に差し込む中に、幌馬車がこちらへ向かってくるのが見える。ケイトは大きく手を振って呼びかける。

「おはようございまーす!」

 幌馬車の主も手を振り返す。馬が地面を蹴る音が近づいてきて、ケイトの目の前で止まった。御者台から威勢のいい声が飛ぶ。

「よう、嬢ちゃん。こんな朝早くからご苦労さん」

「いえいえ、そちらこそ!」

 御者台に二人を乗せて、蹄が人気の無い石畳を響かせる。

「しかし、毎朝言ってる気がするが、嬢ちゃん、店の前で待ってりゃいいのに。あそこまで歩くと結構かかるだろう?」

「いいんですよ、もう習慣みたいなものですから」

「その返事も、もう何回も聞いた気がするな……」

「ふふっ、いつもと変わらないなんて、いいことじゃないですか」

「それもそうかもな……そういや変わったことといえば、おととい入国した旅人に会ったかい?旅人が来るなんて数年振りだってさ」

「いえ、まだ会ってませんね……あ、そろそろ着きますよ」

 中心街商業地区にある、小さな花屋の前で幌馬車が止まった。ケイトは御者台からひらりと降りて、店の前で待っていた子ども達に声をかける。

「今日もお花が届きましたよ。みんなでお店に運びましょう!」

「「はーい!」」

 ケイトの指示によって、荷台から色とりどりの花が店に並んでゆく。その様子を、男は御者台で煙をくゆらせながら眺める。やがて、今朝の分の花が全て荷台から無くなる。ケイトが子ども達にお駄賃を渡して、子ども達はバラバラと家に戻っていった。

「では、またお昼にお願いしますね!ありがとうございました!」

「おうよ!じゃ、またな」

 幌馬車が次の届け先へと角を曲がるのを、ケイトは見送った。

 ケイトがこの花屋で働き始めてから十二年になる。孤児として、お小遣い稼ぎから、つい数ヶ月前に学校を卒業して本格的に働き始めた。店の主人夫婦はケイトを娘のように可愛がり、今やケイトは店の看板娘である。

「今日も素敵なお花をありがとう!ケイトちゃん!」

「いえいえ、いつも御贔屓にしてもらって嬉しいです!」

「ねーちゃん、学校行ってくるね!」

「いってらっしゃい!テスト頑張って!」

 常連客が足を運び、花を選んで、挨拶をする。先程の子ども達が遅刻ギリギリを走り抜けてゆく。いつもの光景に、ケイトは微笑みで応える。



 昼下がり、ケイトは昼食をとりつつ、ぼんやりと通りを眺めていた。ここは商業地区でも比較的静かな場所であるが、人の往来はそうそう絶えない。老夫婦がゆっくりと店の前を横切る。荷車を押す女性が通り過ぎてゆく。妙なかたちの鉄の塊を押す若い人物が店の前で足を止めた。

「すみません、ケイトさんが働いている花屋は、ここで合っているでしょうか?」

「はい、私がケイトです……あの、どちら様でしょうか?」

「昨日入国した旅の者です。ケイトさんに届ける物があって伺いました」

 旅人は男にも女にもみえる。年齢はケイトと同じくらいか。なにより、鉄の塊に車輪が付いたものを押している。ケイトはひとまず旅人を店の奥へ案内した。

「それで、届け物とは?」

「手帳です、あなたに宛てられた」

「えっと、国外に知人はいないはずですが……」

 旅人が黒い手帳を差し出す。表紙をめくるとケイト宛である旨と、花屋の住所が書かれていた。その字を見て、ケイトの眉がほんの少し動いた。

「この国と隣国とを結ぶ道に落ちていた荷物の中にあったそうです。隣国の人が拾ったものを、丁度こちらに出向くボクに託した、という訳です」

「そうですか……」

 ケイトは次の一枚を、開けた。


********************************


ケイトへ


 僕は今、城壁の外にいる!僕を憂鬱と苦悶に閉じ込めるあの、憎たらしい壁から解き放たれたんだ!

 さて、何を書いたものだろうか。お前には言っておかなければならないことがある。僕が二年前から体調を崩しがちになってら二年間、最初はちょくちょく声をかけてくれたど、急に来なくなったよな?失礼にもほどがあるんじゃないか?他のやつらは百歩譲って許せる。けど、君はダメだろ。小さい頃からずっと一緒にいてきて、ずっと僕のうしろに隠れてたじゃないか。

 確かに、ケイトは優等生として先生達にも褒められていましたよね。運動神経もよくて、社交性もあって、さぞかし異性にモテるのでしょう?でも、僕はこうなってから、不安定な体調のせいで、勉強も手につかず、仕事にさえも出れなくなり、方々からの親の借金をかえさなきゃいけない!そう、どうせ君はあの、僕が君に教えた花屋で働いているはずだ。当然、ケイトもお金に余裕があるわけじゃなくてお前なりの辛さはあるだろうけど、俺の苦しみを、何もかも手につかない、真のつらさを、お前はわかっないはずだ。

 城壁の外の様子を知りたいと、いつかいっていたよね。これから日記代わりにケイトへの手紙を書こうと思う。平原が広がっていて、街からは決して見えない地平線を目にしたときは感動したね!夕日が沈んで空が変わっていく様子は、とても言葉じゃ表しきれない。おっと、旅の目的地を書き忘れていた。とりあえず、最初は隣の国を目指そうと思う。遅くとも一週間で着くはずだ。この日のために地図を買っておいたからね!そして、今は夕方、買っておいた保存食を食べて、寝る準備を済ませたとこだ。初めてのことばかりでわくわくしているよ。寝付けるか心配だ!ここまでの旅は順調そのものだったよ。予定より二割くらいも進むことができた。手頃な野営地を見つけられて一安心だ。

 今日はこのくらいにしておこう。ただもう一度言う。お前とは物心つく以来の付き合いだった。突然、俺が学校を休んだときも何も言わなかった。思い返せば、その少し前から、君は話しかけなく無くなったよな!むしろ逃げてたように思える。いや、確実に避けていたな。もろもろ含めてあなたは失礼です。

 ではまた。


   ***                   ***


 二日目だ。昨日より体調が悪い。天気も悪く、あまり進めなかった。でも、旅は楽しい。まだ二日目だけどね。きっと後悔しない。僕は、あの地獄から抜け出して、新しい人生を掴むんだ。そうすれば僕は僕らしく生きていけると思うんだ。

 僕が三歳のときに父は国外で亡くなった。隣国との道中で荷物だけが見つかった。詳しい理由はわからない。それから、母は僕を必死に育ててくれた。七歳になって学校に通い始めるとともに、例の花屋での小遣い稼ぎを始めた。しばらくしてから、君に出会った。孤児院から初めて街に出た君を連れて歩いたのを、今でもはっきりと覚えているよ。そして、花屋に興味を持って、一緒に働きはじめたんだ。

 自分で言うのもあれだけど、僕は優秀な方だった。学術試験は十位から落ちたことは無かったし、運動神経も平均よりかは上だった。友達は少なかったけど、毎日学校に行って、勉強を続けた。この街を取り仕切る、優秀な高官を目指していたんだ。

 いつからだろうか、勉強へのやる気が削がれて、みんなについていけなくなっていた。よく体調を崩すようになって、学校に行くことも減った。試験の成績もどんどん落ちていった。生まれて初めて追試に引っかかった。教師の𠮟咤激励を受けて、僕は必死に勉強をした。それでも成績は下がる一方。精神状態はボロボロだった。卒業はしようと、学校だけにはなんとか通い続けた。しかし、もはや、戦力は残っていなかった。憧れだった、高官試験への挑戦をあきらめた。

 できれば、あの時のことは、もう思い出したくない。きっとそれも人生だ、なんて言われるのだろう。でも、いちいち思い返していたんじゃ精神が持たない。この街は、それを常に思い出させる。変わらない時間に鐘が鳴って、人々が起き出して、通りに活気が満ちて、子ども達が学校へと走ってゆく。要するに、旅に出た理由は、そこから離れて新しい人生を明るく前向きに生きていきたい、ってことだ。

 ここまでにして、今日は早めに寝ることにする。


   ***                   ***



     あーー~<そが

                


                  ,、

            *;;な‘|て。

                       ‐   ,

          たび≀|なん>;でな〰¿ればよカ,、i


********************************


「これだけ……ですか?」

「はい、他にも持ち物はあったようですが、あなたに宛てられたものは以上です」

 ケイトはもう一度、手帳に目を落とした。三日目のページだけ異様に皺が寄っていた。

 旅人は出されたお茶を飲み、通りに目を向けた。

「その手帳が荷物と一緒に見つかったとき、持ち主と思われる人物は既に亡くなっていた、と聞いています。」

「そう……ですか……」

 ケイトは手帳を閉じて、旅人に向き直った。

「旅人さん、わざわざ届けていただいてありがとうございます」



「で、もらったのが、その花と」

「うん、キンギョソウ、って言ってた」

 旅人は三日間の滞在を終えて、城壁の外の道を、鉄の馬に乗って走っていた。荷物の中に、金魚の口のような小さい花弁が、細長い茎に幾つもついた花があった。

「じゃあ、彼女にとっては『おせっかい』だったんだろうね」

「まあ、感謝されるためにやってる訳じゃないし」

「それもそうだね。あ、確かそれ、食べれるはずだよ」

「へぇー、勿体ないし、今日の夕飯にするか」



 ケイトはもう一度、手帳を開いていた。

 午後から休みをもらって、街を歩き回った。かつて通った学校を久しぶりに覗いた。活気に溢れる中央の広場を眺めた。高官達が働く議事堂の前を通り過ぎた。街の外れで夕日が城壁に沈むのを見た。

 店に帰って、主人夫婦と遅い夕食を食べた。二人から、御者台の彼の「明日も同じように花を届けに行く」という言伝を聞いた。そして二人は優しくケイトを抱きしめて「おやすみなさい」と言った。二人がいなくなった居間で、肘掛け椅子に座って、目を瞑って、ケイトは手帳を開いていた。

 最後に、かつて兄のように慕っていた青年を見たのは一週間前だった。早朝、いつものように御者台に乗って店に戻る途中で、大荷物を背負う彼とすれ違った。ケイトには、なにか予感めいたものがあった。盗み見た彼の表情は、新たな人生に向けて美しく輝いているように見えた。とうとう、彼はケイトに気がつくことはなかった。

 三日目のページだけを破り取って丸めた。立ち上がり、暖炉の火に投げ込んだ。紙はあっという間に黒くなって、灰になった。





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