16_夏休みの始まり

「先生!夏休みが始まりました!どこに行きますか!?何をしますか!?」


「おいおい、俺はちゃんと学校あるからな?」



学校の先生は夏休み遊んでいると思われている節がある。

酷い誤解だ。


確かに、教える相手である生徒がいないので、いつもとは違う動きをしている。

だけど、確実に学校はある。


第一、補習をしていない学校が日本にどれだけあるだろう。

補習とは名ばかりで、授業とほとんど変わらない。

準備も必要だし、授業も必要だ。



「え?テストの点が悪かったんですか?」


「お前は忘れているかもしれないが、俺は教師で、お前の担任だ。テストなどないわ!むしろ、俺がテスト作ってるわ!」


「じゃあ、なぜ!?」



割と本気で言っているのか。

それとも、いつもの様に揶揄う目的で言っているのか。

それでも、ここはちゃんと答えずにはいられなかった。



「学校の先生は夏休みでも学校があるの!」


「誰も来ませんよ!?そんな中で一人授業を!?もう、ちょっとした心の病気です」



とんでもないことを言い始める。

確かに、誰もいない教室で一人授業をしている教師がいたらとても怖い。


病院への受診をおすすめしてしまうだろう。

ただ、実際には夏休みにも生徒たちは学校に来る可能性が高い。



「学校の先生は、要するにサラリーマンなんだよ。生徒が学校に来なくても、研修とかあるの!あと、さっき言った補習に関しては、数学担当は俺だから」


「やっぱり補習なんですね!?」


「……もう、それでいいです」



ちょっと諦めた。

俺の気持ちがちょっとでもこいつに通じたことがあっただろうか。




***

例の『高崎美鈴事件』にとりあえずのカタがついた。

その直後、夏休みに入った。


嘘でも一通りカタがついてから夏休みになって良かったと思っている。

そうでなければ、紗弓はこの夏休み中、暗い気持ちで過ごすことになっていただろう。


紗弓としては、夏休みの計画を話し合うために俺の部屋うちに来たのかもしれない。

ただ、こいつは忘れている。

俺は教師で、こいつは生徒であることを。


そして、誤解がある。

学校の先生は夏休み暇だと思われている。

夏休みは部活の顧問をしている先生は部活動も見ないといけない。

この時期に試合とかある部活もあって、遠征など色々大変だ。


補習もあるし、研修もあるし、勉強会もある。

まあ、有給が取りやすい時期なので若干は休むつもりだけど……



「先生、お休みが取れるなら約束のジンベイザメを見に行きましょう!」



俺が色々考えていると、紗弓が提案した。


そう言えば、この間、水族館にジンベイザメを見に行ったけど、いなかったんだ。

確か、福岡からだと鹿児島か沖縄に行かないとジンベイザメは見られない。

少し可哀そうな思いをさせてしまったので、何とかジンベイザメを見せてやりたい。


そうなると、鹿児島くらいまでは行く必要がある。

さすがに沖縄となると、陸でつながっていないので飛行機が必要だ。

費用も高くなるし、時間もかかりそうだ。



「ああ、それがあったなぁ」


「7泊8日で!」


「ヨーロッパにでも行くのか!?」


「私は鹿児島で初夜を……」



畳を人差し指でいじりながら、モジモジして言った。

どうしてこいつはいつもこうなのか。

どこかちょっとズレているというか……



「アホか!福岡ここから鹿児島だったら新幹線で1時間半。なんなら日帰り出来るわっ!」


「でも、夏休みですよぉ。せっかくだからゆっくりとぉ……」



紗弓が腕にすがる。

ああ、鬱陶しい。



「だからって、7泊8日って、どんだけゆっくりしてんだよ」


「じゃあ、間を取って2泊3日で」



なぜ、間を取ったし!

日帰り一択なのだ。



「日帰り!」


「んー、妥協に妥協を重ねて1泊2日で!」



確かに、紗弓は当初、7泊8日を要求している。

それが、妥協に妥協を重ねて1泊2日まで抑えたのだ。


一方俺は、日帰りを押し通そうとしていた。

それではあまりに大人気ないのではないだろうか。

多少は歩み寄る姿勢も必要かもしれない。



「んー、じゃあ…考えてみる……」


「やた!ありがとう!先生♪」



知らぬ間に、いつのまにか日帰りから1泊2日に誘導されていたのだけれど、それを気づいたのは数日後だった。

どこで見に付けたのだろうか、その交渉術みたいなやつ。



(ピコーン)俺のLINEにメッセが来た。



『今度飲もうぜ。尚さん連れて行くから』



「誰ですか?」



紗弓が俺のスマホの画面をのぞき込んでいた。

俺にはプライバシーも何もあったもんじゃないのか。



「坂本からだな。大学の同期だ」


「『尚さん』は?」


「その…昔……」


ちょっと言いにくくて口ごもっていると……



「あー!浮気ですね!先生!浮気ですか!?」


「浮気とかじゃない。まあ、昔…ちょっと…あれだ」



その後は、紗弓さんが終始おむずかりだった。

もう何年も前のことなんだけど……




***

数日後の昼間、本当に坂本が来た。

ちなみに土曜日の休みの日だ。



「久しぶりー」


「おお、来たな。坂本。なに?今年はうちなの?」



大学卒業後、盆、正月、GWくらいは天神や博多であって居酒屋とかで飲んでたけど、今年は何故かうちに来やがった。

しかも普通の土曜日。

そして、坂本の後ろからもう一人。



「Long time no see!(久しぶり!)」



また、ややこしいのがやってきた。

大学の時の同期の一人、桐川尚子。


その…昔、ちょっとあった相手だ。



「まあ、入れよ。なんだなんだ、急に英語かぶれ?」


「お久しぶり、富成くん。留学してたから、私」



玄関で靴を脱ぎながら桐川さんが言う。



「そうなの?」


「騙されるな富成、帰ってきたのは数年前だ。さっきのは単なるツッコまれ待ちだ」



坂本が、それを知っているということは、坂本と桐川さんは会っていたらしい。

ここ数年の飲み会に桐川さんは出てきていないので、その辺の事情を俺は知らなかった。


ちゃぶ台にそれぞれ座った。

俺も何か出さないとと思って、慌ててお湯を沸かし、コーヒーの準備を始めた。


坂本は以前よりもチャラい感じになっていた。

いい年なのに残念なやつだ。

ただ、少し頼もしい感じになっていたのは少し悔しい気もする。


桐川さんは、相変わらずきれい。

髪は少し短くなっただろうか。

以前は、黒髪ストレートできれいな艶が好きだった。



「へー、それでも留学してたんだ。英語話せるの?」


「『What's up?』って言っとけば、だいたい何とかなることは分かった」


「『What's up?』ってどんな意味だっけ?」


「なんでもいけるの。『おはよう』とか『こんにちは』とか『調子どう?』とか」



ホントかよ。

そんなの教科書に書いてないんだけど……


とりあえず、お湯が沸くまでしばし話をつなぐか。

そう思っていたら、坂本から質問が来た。



「ところで富成、彼女できた?」


「あー、いや……」


「え?富成くんいまフリー?」


「んー、今っていうか……」


「なあ、じゃあ、後ろの子は誰だ?」



坂本の指摘にぞくりとした。

何それ。

心霊的な何か?

俺、ここに住んで結構になるけど、霊的な何かは見たことがない。


恐る恐る後ろを見ると……



「こんにちは、お兄さん、お姉さん」



紗弓がちょこーんと座ってあいさつした。

やっぱり、こいつだったか……


心霊でなくてよかったという安堵感と、こいつだけは見られたくなかったという絶望感。

俺はきっと何と言えない表情をしていただろう。


さすがに、紗弓でも音もせず入ってくることなどできないと思っていたが、例の101号室と102号室をつなぐ扉は現実に設置されたのだ。


俺の部屋が騒がしいのを聞きつけて、ちゃっかり忍び込んでいたらしい。



「きゃー!なに!?このかわいい子!富成くんのカノジョ!?」



桐川さんが紗弓に飛びつく。

なんかちょっと前に、どこかで見たような気がする。

軽いデジャビュ。



「あ、はい、先生のカノジョやってます…」



正座でテレながら、俯きかげんに耳の辺りの髪の毛をかき上げながら答える紗弓。

妙にリアルだからやめてくれ。



「えー、なんか、ちっこいし、めちゃめちゃかわいいな!いいな!どこで見つけてくんの!?こんなかわいい子」



坂本もめちゃめちゃ喰いついてきた。

確かに『表・紗弓』はめちゃめちゃかわいいからなぁ。


今日はまた猫100匹被ってるバージョンだし……



「ちょっと待って、いま『先生』って言った!?もしかして、高校の生徒!?手を出した的な!?」


「あ、はい。手を出された的な……」


「こらこらこら!誤解を招くこというな!」



平然と当たり前のように、紗弓が変なことを口走ったので、俺は慌てて止めた。



「あ、ごめんなさい。晃大こうだいさん、お二人にコーヒーお出ししますね」


「ちょ、待て!お前、俺のこと『晃大さん』とか一度も呼んだことなかっただろ!」


「え?いつも、『晃大さん』ってお呼びしてますけど?」



しれっとした営業スマイルでエプロンを着け始める紗弓。



「ちょっと待て!エプロンとか一度も見たことないぞ!」


「まったくもう、テレちゃって……お客様がいらっしゃってるのに失礼ですよ」



軽くくすくすと笑い、まるで、いつもそうしているかのように、うちのキッチンでお湯を沸かし、インスタントではなく、ドリップコーヒーを淹れ始める紗弓。

あいつ、絶対俺を貶めるためにやってる!



「そうだぞ。せっかくカノジョが来てくれてんのにそんな言い方ないだろ」



なぜか、坂本がそこに乗っかった!

もうなんだよ。

カオスだよ。

『昼っぱら』から訳が分からないよ。

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