第八曲 音と私
・・・勝てる勝負でないことは分かっていた。でも、ここまで歯が立たないのは予想外だった。
「・・・」
「なにか喋ったらどうかしら?」
私は一切口を開かなかった。ただ、音をかき消すための音を奏でるだけの日々。苦痛に耐えながら、それだけを続ける日々に、私の心はとっくに折られていた。相手の音はじわじわと私を蝕み、犯してゆく。最近はその速度も早くなってきていた。
「ねえ、もう下半身も動いてないでしょう?もうそろそろ諦めたら?」
「・・・」
「興醒めね。こんな弱いなら、いっそ壊してしまったほうがいいのかもしれないわね。」
冷淡にそう言う神が、織り交ぜた音を私に向ける。一音一音をかき消していた私は、それに対応することができず、ついには手に持っていたフィドルを手放し、仰向けに倒れ込んだ。
「っ・・・」
視界に入るのはただの真っ白な空間。私はその視界の端に、最愛の人の姿を幻視した。
(・・・走馬灯・・・なのかな。結局れーくんに何も伝えられてなかったな。)
こんなことになるなら、生前・・・いや、神に取り憑かれる前の内に一緒にいるべきだった。今更悔やんでもしょうがない。それは分かっていても溢れてくる涙は、もっと別の感情からの想起だろう。悔しそうに背を向けるれーくんの幻覚に私はつぶやく。
「・・・ごめんね・・・れーくん。」
一瞬だけ、れーくんがこっちを見るような姿があったが、私の妄想かもしれない。・・・でも、なぜか少しだけ、心が暖かく感じた。
「もう、音楽を弾く理由も忘れてしまったのね」
「黙れ!!」
だからこそか、私に刺さる神の冷たい言葉に反応した。本当は分かっている。自分でも、何故音楽を弾いているのか分かっていないことは。でも、それを神に否定されるのだけは許せなかった。何度も何度も、私の理由をかき消してきたその神には。
「・・・お前にだけは、言われたくないんだよ!!」
〜〜〜〜〜!!!!!!
フィドルをつかみ取り、フラフラとした足で精一杯に立ち、フィドルを奏でる。私からの攻撃に驚いた神だったが、直ぐに持ち直し、私に向かって音を発する。一瞬の優位は、直ぐに逆転する・・・そう思ったときだった。
〜〜〜〜〜〜♪
〜〜〜〜〜〜♪
「なにっ!?」
それは、私からは、すでに聞き慣れた、ボンバルドの音だった。私のフィドルの、足りない音を付け加えるように、優しくこの空間に響く。神の音を打ち消すその音は私にとって本当の神音であり、邪神にとっての毒音となる。
「ッ・・・!!」
その一瞬、神の姿が揺らいだ一瞬は、私がそこから逃げるのに十分な時間だった。
「待てっ!!」
待つか・・・いや、誰がそんなことをするか。神様も馬鹿だねえ。・・・あ、いや、人の心を分かっていないだけか。
空間のゆらぎを通り抜ける。視界が歪み、亜空間を通り抜ける感覚に襲われる。次に私の視界に映ったのは、見知った空間と、ボンバルドを持って私に向かう見知った人の姿だった。
「お前は・・・お前は本当に忘れたのか?お前は、なんのために音楽を音楽を弾いているのか忘れたのか?」
私に向かって言葉をこぼすれーくんは涙で前が見えていないのだろう。れーくんの視界に映っていた私はおそらく私ではない。だから私は沈黙を選んだ。れーくんが、見てきたものを、私が理解できるように。
「・・・」
「お前は・・・ずっと言ってたんじゃないのか?音楽とは、人々の心を癒やし、情熱を、勇気を、夢を、優しさを、安らぎを、そして、生きる標を、そんなモノを届けるためにあるって。」
「・・・」
「お前は・・・そのために音楽を弾いているんじゃなかったのかよ!!」
悲痛に叫ぶれーくんの声が、私の耳の中に木霊する。そして・・・やっと分かった事があった。今まで、とても長いこと忘れていたそれを、私はようやく思い出した。
・・・だからこそ、私はれーくんに微笑み、言葉を返す。
「ふふっ・・・馬鹿だな〜れーくん。」
「!?」
驚くれーくんに、言葉を続ける。
「だってれーくん?それは音楽の『意義』であって、私が音楽を弾く理由ではないからね?」
「・・・え?」
「その表情、完全に間違えてたっぽいね。」
「・・・すまん」
「・・・ふふっ。・・・でも、ありがとね。やっと、思い出したよ。」
目前の、顔を赤らめる少年。今思い返すと、私は本当にれーくんに救われている。・・・出会いこそ最悪だが、彼のおかげで私は多方面に顔を利かせるようになった。・・・音楽だって、彼がいるから、私は全力で弾くことができていた。
そして今回も、私は救われた。・・・長いこと、前世でクラが死んだその日から忘れていた、モノ。私が音楽を紡ぐ理由。
『たとえ一時だったとしても、幸せにする。』
それを思い出させてくれた。・・・そして、私の決意も。
「私が望んだ結末は、今じゃない。こんな望んでない結末を、私は許すつもりはない。・・・だから、れーくん。一緒に、この結末を塗り替えるよ。」
こんな運命は、絶対に認めない。確かに、今の私には無理かもしれない。でも、れーくんと、あの音に向き合う覚悟を持った私なら、この運命を無理矢理捻じ曲げられる。
「・・・ああ、お前が望むなら。俺だってやってやるよ。」
「・・・うん。じゃあ、少し待っててね。こっちも、やることを終わらせるから。」
私は安堵の表情を浮かべ、静かに目を閉じた。今度は自分から、あの精神の空間へと入り込む。体が宙を浮くような不思議な感覚の後、再び真っ白な空間に来た。
「やっほー。元気してた?」
「・・・まさか戻ってくるとはね・・・。死ぬ準備はできた?」
「いやいやまさか。・・・お前を完全に消し去るために決まってるでしょ?」
音の神が顔をしかめる。逃げられたために不機嫌なのだ。
「そう・・・あなたって、本当に馬鹿なのね。」
「さて、それはどっちかな?」
私はフィドルを手に取り、掻き鳴らす。
〜〜〜〜〜〜〜!!
今までとは違う、私自身、神崎万葉であり音楽家『Feel mail』、フレデリカ・レイランとしての本来の奏法。音の神は直ぐに異変に気がついた。
――――――
次はロゼッタ視点のお話になります。
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