第七曲 姫

 王立貴族学院の学長であるこの男、ローファー・ギルベルトは複雑な感情に包まれていた。伯爵、子爵家の人間に対して「身の程を弁えろ」と言い、鼻で笑う少女、たった12歳のフレデリカという少女は自分の知る算術の世界、音楽の世界の枠組みを大きく超えていた。もちろん彼も貴族、ギルベルト伯爵家の例に漏れず、平民は貴族の下にあるべきという考え方を持っている。しかし彼女だけは例外に捉えていた。

貴族学院の教師陣は各専門分野に特化した学者や専門者が多い。音楽の教師陣も宮廷音楽隊から、しかもトップメンバーから引き抜いた3人だった。もちろんピアノは普通の貴族よりも断然上手い。3人だって「ネーデル・フランドンより上手いか同程度」とネーデル・・・一部からピアノ姫と呼称される人物と張り合えるくらいには自信を持っている。だから、学長は少女の賭けの内容で戦慄した。


「ただし貴方方が勝てば・・・何でもいたしましょう。首を斬るのも、毒を飲むのも。」


少女は自身の命をなんとも思っていないのか?そう思わずにはいられなかっただろう。その勝負に乗った教師陣にも、ひどく恐怖を覚えた。そしていざ、勝負が始まっても割り切ることは出来ていなかった。奇跡よ、起こってくれ。何度そう願ったか。それは学長にもわからなかった。

 最初に教師陣が連続で弾いた。なんとも上手い。そう思わずには居られなかった。自分の知る貴族の枠組みでは、勝てるのはネーデルくらいだろう。そんなことを思っていたとき、少女が口を開いた。


「そんなネーデル嬢にも負けるようなピアノで、私に勝てるとお思いですか?ハッ。身の程を弁えろ。」


言葉を発する少女は冷静で、落ち着いていて、それでもって挑発的だった。何だ?何故この少女はこんなにも余裕なのか。彼はそれを、少女が弾き始めるまでわからなかった。


「・・・どうしましょうか?オリジナルの楽曲弾いても?」

「あ、ああ。」


ゆっくりと、優雅に。それでいて、緊張感。少女の纏う雰囲気がガラッと変わったように感じた。鍵盤に触れる彼女の手は、とても細く、とても華奢で、とても逞しかった。


初音が鳴る。その優しげな曲調は彼女の心理を表しているのだろうか?か細い旋律、重厚感のある伴奏、小節ごとにある重なった音。その小さな手をくまなく使い、まるで異次元のものと思えるメロディーを組み上げてゆく。

彼の中ではもう決まっていた。いや、教師たちから見ても気付いていたことだろう。この少女が、この世界の音楽の極点を遥かに超越している事を。彼は今すぐにでも判定を出しても良い。この勝負、既についているのだから。しかし、彼は口を開かなかった。


(もう少しだけ、この演奏を聞いていたい)


おそらく、彼は初めて、こんな事を思っただろう。もっと言えば、この曲だけでなく、他の曲も聞いてみたいとそう思ってもいただろう。しかしそれは過ぎた願い。始まりがあれば終りもある。音楽はそれの典型例だ。彼女の左手が鍵盤から離れた。そして、右手で9音。最後の音の伸びがやけに心地よく感じた。


「本当は、音楽とは、人を攻撃するものでも、傷つけるものでもありません。人の心を癒し、安らぎを、夢を、情熱を、そして、生きる標を、与えてくれるものです。・・・それを分かっていながらに、人の人生を閉ざすために音楽を使おうとする私は、きっと・・・」


少女の言葉はとても儚く、とても心に響いていた。それは学長だけか?いや、他の三人だってそうだ。


「今回の賭けは無しにして、共に、生徒に音楽を教えて行くことは可能でしょうか?学長。」

「どうです?フェリカさん。」

「・・・ふふっ」


その微笑みが肯定と察せたのは何人いたのだろうか?いや、今回はその逆、察せなかった人はいるのかという方が正しいだろう。


 別に私は勝つつもりしか無かったどころか負け=死なので、教師陣のクビにするつもりはなかった。正直この賭け自体ただ煽るためだったので取り消して私を認めてくれるのはありがたかった。


「では、私が約束通り来年度から高学年2つの音楽教科を担当させていただくようになりますがよろしいでしょうか?」

「構いません。成績付けの方法などもそちらに一任いたします。」

「分かりました。お三方もそれでよろしいでしょうか?」

「「「問題ないです」」」


こうして私の教師入りが決まった。

 その日はその後、今後の予定を決めた後、学校見学をして、教科書や生徒名簿など、教師活動で必要なものを受け取って帰った。帰る途中に特に何かあったわけではなく、帰ってからそのままいつもの酒場に行く間もなにかあったということはなかった。何かあったとすれば、酒場で、だろう。


「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしますか?」

「「えぇーーーー!?!?」」


今日は朝一からヘレンとフィリアが酒場に行っていて、私とお母さんは私が帰ってきてから向かうようになっていた。そしてナウ。私たちは驚愕で口を開けて、そのままフィリアと面と向かっていた。髪を束ね、酒場の正装を着て、カウンターに立つフィリアと。


「フェリカやミーシャルさんは演奏が、ヘレンさんは歌唱や楽器整備などしていて私だけ何もしてないのは癪に障りますので、マスターに頼み込んだら了承されました。」

「は、はあ。・・・まいいや。とりあえずジントニックで」

「かしこまりました。」


グラスを出してきて、ジンを注ぎ、トニックウォーターを注ぐフィリアは手付き、はおぼつかないものの、少しづつの慣れが見受けられた。出てきたカクテルも、しっかりと味の調和が取れていて飲みやすかった。おそらくだが、今日はずっと練習していたのだろう。ここで少し意地悪しようと思った私は悪い子だろう。


「お母さんにモヒートよろしく」

「え・・・えっ?」


もちろん、今日一日でシェークに慣れるとは思っていない。フィリアはマスターを呼んできて、材料系を聞いた後、ゆっくりとシェークしてハイボールグラスに注いだ。


「ふふっ、お疲れ様。・・・美味しく出来てるわよ」

「あ、ありがとうございます・・・」


フィリアは努力家だ。何事にも真剣に取り組み、そしてものにする。努力を重ねてゆく彼女の姿はとても美しく感じた。


「さて、早速一曲、いってみよー!!」


私も頑張る必要があるかもしれない。そう思う私であった。



 貴族学院生徒寮の一室。豪華な装飾のされた寝室の中で、ひとりの少女が笑っていた。


「やっと、やっとだわ。これでやっと、私が次期王妃に・・・」


その少女、リゼット・ノーツは確信していた。次の次期王妃が私であると。もちろん、油断なく。確信してそう思っていた。おそらく、現国王がガープの即位を決断するのは難しいだろう。しかし、こちらにはカレリア公爵家が全面的についている。今回の件でレーゼンベルト家は力も落ちた。ウィズネル家は子息がこちら側、他は非干渉だろう。ヴィッカース家も入ってくることはない。現状幼い第二王子スクルドを支持する貴族も居ないだろう。確実に押し通る。その状況を少女は信じて疑わなかった。

 唯一、想定外があったとすれば王家に国王しか知らない隠し子の存在があったことだろう。微々たる問題であるがゆえ、誰一人として気づかなかった。その隠し子が、平民でありながら、有力貴族の大量の支持を受けるような人物であり、実質的な権威が自身の婚約者であるガープよりも大きいなんて想像もできまい。

月明かりに照らされるベットに静かに寝転んだ少女は、未だに幻想を抱いていた。自分が、勝者側の人間であると。


――――――

シェークのカクテルって意外と少ないんですよね。実はステアのほうが一般的なみたいで・・・マスター!オールド・ファッションド一つ!


お読みいただきありがとうございます。さてさて、雑談の時間といきましょう。

ピアノの鍵盤数は現在のものは88鍵、2A〜C5(めちゃくちゃ低いラからとっても高いド)までの音があります。これは人間が楽音として聞き取れる最大音域と言われます。そして基本的に一曲あたりで使われる最大の音域は61鍵。明らかに余分なんですよね。んで、フレデリカの世界のピアノは少し鍵盤数は少なくなっており、基本的には73鍵〜78鍵です。結局61鍵あるのでフレデリカは気にせず弾いております。まあ、最初は73鍵もあるのに何故こんな貧相な演奏なんだと困惑していましたが。だって演奏される曲なんて最初期の54鍵で鍵盤が余るような演奏しか無いのですもの。かろうじてネーデルが結構な鍵盤数(48鍵)使っていましたが、コードの概念無かったので結局フレデリカは呆れておりましたね。とまあ、ちょっとした小話でした。次回から文量増えます。

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