中編
「いつも、ここで書いてるの?」
「え……?」
いつかの放課後だった。
私は彼を見て驚いた。
一度も話したことのない彼は、クラスで目立つことをしなくても、勝手に人の集まってくる、人当たりがよくて感じの良い、そんな人間だった。それを意識させない、自然体の彼自身の人との距離が、余裕が、無理の無さが、私はいつも、不可解で
今もほら、こんな風に――クラスでなんとなく、『空気が読めない』と
彼は、人を怖がらない人だ。
生きているだけで息が苦しくなるような、自分とは違う。
「いや、文芸部って、部室無いのかと思って。
彼はそう言うと、私の前の席――自分の机の中に手のひらを入れると、一冊のノートを取り出した。
「あった。明日理科の課題あったの忘れてたんだよな」
私は右手に持った鉛筆を所在無げに揺らした。
彼のような人がいると思うと、急に自分のしていることが、
「部室はあるけど、ここが、私にとって、一番……書くべき場所なの」
何を言っているんだろうと思った。
でも私には、本当に必要なことだった。
きっとこんなこだわりなんて、彼みたいな人にはおかしなモノだと思われるんだろう。
「書くべき場所?」キョトンとした顔で彼は言った。
そのままこちらを向いて、私の方へと
まだ、何の度胸も無い私は、思わず
――ああ、こんな
「マイルールみたいな? へー。いーじゃん」
「え?」
あっけらかんと彼はそう言って、私の方を向いたまま自分の席に座ると、こちらにグッと身体を傾けた。
「俺もあるよ。バスケなんだけど、試合の前には、絶対ボール磨き50個するって決めててさ……」
思わずひゅっと息が上がって、私は
「え……あ……そう……」
彼みたいな人が、私を肯定した。
肯定してくれた。
ぐるぐるとした頭のまま、必死に彼に受け答えをするのが精一杯だった。本当に、取り留めのない、お互いのことを話した。でもそれが全部、私にとってはキラキラした言葉たちみたいに、光って聞こえていた。
「あ、そろそろ俺、行くわ。じゃあね、
「あ…………」
「義永さんも、小説、頑張って」
行ってしまった。
温まった心がすうっと冷えていく感触。何でだろう。さっきまでちっとも、私はぬくもりなんて求めて無かったのに。
貰ってしまった今は、もう、この冷たさが、無視できないものみたいに思えてしまった。
どんなにみすぼらしくても。みっともなくても。
それでも私は、私への信頼を
「小説――書かなきゃ」
*
朝礼が始まるチャイムの音が鳴った。
「お前らーーー!!! 5分前には始業準備済ませろといつもいつも言ってるだろうが!!!」
廊下の突き当たり。ジャージ姿の男教師が顔を出すと、バインダーを振り上げて怒鳴る。
「げっ、生徒指導の先生じゃん…やべえ帰ろ帰ろ」
「ミナしっかり……まだ傷は浅い!! 息をするんだ!!」
「返事がない……ただの
「とんでもない顔をしてるわよ……引きずって帰るしか…」
廊下に集まっていた生徒たちは、散り散りにそれぞれの教室へと帰っていく。
教室の入り口の近くに立ったまま、ポカン、とした顔で
「フラれた……?
「お前の後ろにいるだろ」とクラスメイトの一人が指摘する。
「……フラれっ、ええええ?!! どうわああああああああ!!」
「どいて」
「あ、すみません」
飛び上がる
……なんとなく、この後の
ヒュッと、
「西嶋がああああああああ!! フラれたああああああ!!」
両手を口に当てると、
声はよく通って、空に吸い込まれていく。
「うるせえぞお前はいつもいつもオ!!
クラスメイトたちは青ざめた顔で、うるさい
彼女は一度も、俺を見ることはなかった。
*
「お前、いつの間に好きな子なんてできてたんだよ?
こないだ、1ヶ月前くらい? 他校のめっちゃ可愛い子に告白されて付き合って別れて……」
俺の恋愛事情がどこにもかしこにも筒抜けなのは、主にこのうるさい友人のせいだと思っている。
「すげえネタじゃん〜〜びっくりするぞ、他の奴ら、あの
「人の恋愛をあんまり茶化すなよ」
「いやいや! 面白過ぎるだろ! 今に学校中の噂になるぞ」
主にお前のせいでだけどな。
「いつ? いつから好きなん?」
2時間目の移動教室。
俺と
廊下を歩きながら、俺はぽつぽつと友人に喋った。
放課後、教室で小説を書いている
昨日の放課後に告白をするつもりだったこと。
でも、『好きになりたくない』と言われたこと、『恵まれているから』と言われたこと。
だから俺は、告白をする前に振られてしまったこと。
「――それって……嫉妬じゃね?」
俺の話をじっと聞いていた
「え?」
「いや、だから……恵まれてるお前に対する嫉妬……的な? 羨ましーんかな?」
「なんで?」
「さあ? 知らんよオレも」
少し考える素振りをして、
「……
「そんなことないよ」俺は即座に返した。
「いや、周りにそう思われてるって話!」
「だから何?」
「それがさあ、お前みたいなその……モテる奴に好かれて……。
いやでもそれって、いきなり美女に告白されるようなモンじゃん?
めちゃくちゃハッピーライフ送れそーだし……。
……女子ならフツー、喜ぶよな? オレが女なら
だってさ、こんなイケメンだぞ……クソが」
「つまり?」
「可愛い彼女が欲しい〜〜!!」
こいつ……。真面目に聞いた俺がバカだった。
「あこれ、
校長室と職員室の間の掲示板。
いつか文芸部で賞を取ったものだろうか。
切り抜かれた新聞と一緒に、原稿用紙に手書きで書かれた文章が、透明のファイルに挟まれて展示されている。
俺は目についた一文を読んだ。
『僕なんかに使ってくれている、君の時間が
このセリフを知ってる。
彼女のノートに書かれていた。
それは長い独白のセリフだった。
汚れた海で暮らす小さな魚が、友達になった美しい鳥に向かって、心の中で独白する。
相手に伝えることもできずに、心の中で語りかける。
『僕なんかに使ってくれている、君の時間が
僕には何にも無いんだから、君が好きになれるものは何一つとして、持っていないんだから。君が僕から奪えるものなんて、
「何も無いから、私は……これが好きなの。」
いつかの放課後。
そう言って彼女は、さらりとノートを
その動作に、自分が触れられた訳でもないのに。うなじがジリジリと熱を持つ感じがした。
「――お、噂をすれば?」
校舎と校舎の間、プールに向かう道を歩く、細くて小さな人影が見えた。その前にいたのは、同じクラスの中崎チナツと、その友人の二人だ。
「
「――と、中崎〜ずがいたな?」
「これは……」
「イジメ現場?」
そんなことは無い……とは言い切れない。
実際、俺は彼女がクラスで孤立していることを知っていたし、だからこそ、放課後の時間だけ、俺は彼女と話をしていたのだから。
「――行ってみよう」
「まじ? 中崎怖くね?」
「俺は行くから」
俺たちは顔を見合わせると、彼女たちの後を追った。
続
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