俺が小説家の彼女を殺すまで

田舎の鳩

前編




「私、貴方のこと、好きになりたくないの。」


 変わった告白をされた。

 俺、西嶋凌太にしじまりょうたは高2の秋、クラスメイトの女子――義永沙織よしながさおりと二人きりの教室で。


 『好きに』なりたくない。

 じゃあ、『好きに』なりそうってこと?

 俺を。


 そんな調子の良いことを考えた。


「どうして?」


 長い前髪の下、少しつり目の綺麗な瞳が伏せられて、彼女の睫毛まつげは近くで見ると思っていたよりずっとあでやかに伸びていた。それがわかるこの席は、俺にしか座れないことが少し優越感があった。


「――だって貴方、恵まれているもの。」






義永よしながさんの話、聞いた?」


「聞いた聞いた。トゥイッタでポエムノート上げられて勝手にバズってるってホント?」


「まじやばくない?」


「いや可哀想〜〜」「何年の人?」

「2年4組」


「誰が上げたの?」


「あのモデルやってるとかっていう……美人の……」


「炎上して、フォロワーめっちゃ増えたんだよね」


「え〜〜ちょっと見に行かない? みんな行ってるらしいよ!」





「あっ、ちょっとミナ、後ろーーー」


 朝の校舎。

 2階の通路一番奥の教室の前に、人だかりができている。


「――ごめん、教室、入っていいかな」


 俺は、入口の前、身体を傾けながら中をのぞこうとしている女子の一人へ、声をかけた。自然と見下ろす形になってしまった女子は、俺の影を見上げると、ポッと顔を赤くする。


「えっ?!!あっ、ああああっ!! 西嶋凌太にしじまりょうた先輩……!!?」

「すみませんすみませんすみませんあの、すぐすぐすぐ退きますので!!」

「おおおおおおおはようございます!!!」


「おはよう」


 女子たちは、俺を見て顔を赤くすると、慌てて体を引いてくれた。

 

「ありがと」俺は見下ろしていた女子にお礼を言って、鞄を肩にかけ直すと、教室の入り口をくぐった。


「あっ、あの……!! 西嶋にしじま先輩……っ!!」


「何?」


 先程お礼を言った女子の後ろ。

 同じグループらしき、二つくくりの女子の一人が、切羽詰まった顔で俺を見つめていた。


「この間の県大会……バスケの試合、ネットで見、見ました……っ!! めちゃくちゃかっ、かっこよかったです!!」


 県大会。

 観戦がネット配信になったやつだ。

 あの日はたまたま、俺のシュートが連続で入った試合だった。


 一時期俺について言及するコメントが盛り上がり、

「おい!!

『このバスケ部員イケメン過ぎないか??』

 って噂になってんじゃねーかこのクソ野郎!!」と、部内で散々、揶揄からかわれた。


 あああれか………。

 苦い顔をして、思わず俺は苦笑する。


 赤茶けた髪は天然パーマで、朝はいつもセットする時間もなくて適当に寝癖を押さえつけてから出るようにしてる。

 高校のバスケ部に入ってからは、背がぐんと伸びた。

 高校用に作ったアカウントのフォロワーはいつの間にか急激に上がっていて、今では誰に向かって呟いてるのか、どうでもいい日常の呟きも少し緊張する。

 モテたって言えば、モテたんだろうと思う。


「ありがとう」俺は言った。


「おっ、ずっとおお応援してます!! 頑張ってください!!」


 ペコリと頭を下げると、女子はすごすごと集団の中に戻っていった。


「よかったね〜!! みなみ、直接言えたじゃん!!」

「本当に嬉しいよ〜〜!!」


 そんな会話もあっという間に、廊下の喧騒けんそうまぎれた。

 クラスメイトへと挨拶を返しながら、俺は自分の席へと歩いた。


 義永さん、大丈夫かな。


 今、高校は彼女――義永紗織よしながさおりの話題で持ちきりだった。





「やば! フォロワー1万人行ったんだけど!」

「え〜〜!! チナツホント? すごいじゃん!!」

「根暗ちゃん効果抜群〜〜」


 席に着いた俺はピタリと手を止めた。


 教室の前。教卓にもたれて話をする、中崎茅夏なかざきちなつの声だった。茶色に染めた長い髪先を触りながら、いつもの取り巻きの二人へと話を振っている。


「昨日さあ、『クラスの根暗が書いたポエムがやばい』って、あいつのノート写メ上げたら、めちゃめちゃバズっちゃったんだけど〜〜」


「みんな知ってるよ〜〜」クスクスと忍び笑いが起きる。


「あ、でもお、そろそろ消した方がいいんじゃ……」

 中崎の取り巻きの一人が、慌てて声をかけた。


「はあ? なんで? 義永があたしたちになんかできるわけないじゃん。

 大した奴でもないしさあ。全然喋んないし!

 そもそも根暗で誰とも仲良くしてないあいつのこと、こーして面白いことにしてあげて、感謝して欲しいっていうか〜〜」


「で、でもホラ、『これって本人の許可は?』ってコメントしてる人もいるよ……?」


 俺は手にしているケータイのアプリを開くと、自分のアカウントのフォロー欄から、中崎のアカウントを開き、問題の呟きまでさかのぼった。



《痛すぎワロた》

《こんなん上げられたら自分死んでる》

《うわ、根暗の自語りキッツ〜〜!!》

《ボッチはいつの時代もギャルの餌食に……ご愁傷様しゅうしょうさまです》


《意外と良くね? 自分はこの文章結構好き》

《小説とか書いてる人かな……?》



「ま、まあ。義永って文芸部だからあ、こういうの上げられても喜ぶんじゃない?よくわかんないけど〜」もう一人の女子が言った。


「あーーなるほどね!! 小説なんか書いてるからボッチなのか!!

 あはは!! そんなことしか楽しめることがなくてかわいそ!!」


 わざとらしいぐらい大きな声で、中崎なかざきが言う。


 大仰な手振りで話を推し進める中崎なかざきに、周りの人間が注目していた。その目はどこか、大きな嵐を近くで見たがる野次馬のように、嫌な色をしている。


「ね〜〜西嶋にしじまあ! あたしさあ、あんたのフォロワー超えたんだけど! 見たあ?」


 テンションの上がった中崎なかざきが話しかけてくる。

 俺は携帯を見つめたまま無視した。


「え〜無視とかひどくない? あたしめっちゃ西嶋にしじまのことライバル視してたんだけどお」


「てゆうかチナツ、西嶋にしじまのフォロワー超えたら告白したいって言ってたもんね〜〜」

「え、まじで? じゃあ今?」


 正直すごく、気分が悪かった。

 義永さんについて好き放題言っている彼女たちのことも、それをただ、いつものように諦観ていかんしている、自分自身のことも。


「おっはよ! 西嶋にしじま〜〜」


 一人の男子が教室に入ってきて、俺は顔を上げた。


「つーかお前! 昨日部活サボったろ?!

 先輩らすげー怒ってたんだぞ〜〜!!」


 仁田雅人じんだまさと

 同じ部活で高校からの唯一の親友でもある彼は、いつものように高いテンションで、ズカズカと鞄を肩からずり落としながら俺の席へと歩いてくる。ストレートの短い黒髪は後頭部を刈り上げていて、前髪はいつもワックスで固められていた。


「それは……」


 親友の後ろにいた人影が視界に映って、俺は目を見開いた。


『私、貴方のこと、好きになりたくないの』


 片手を大きく上げる仁田じんだに続いて、教室の入口に小柄な女子の影が現れた。

 肩までの黒いセミロングに、顔半分を隠すほどの長い前髪。紺のブレザーは基準通りにしっかり着こなしていて、彼女の身体の薄さを際立たせている。


「おい、義永よしながさん来てるよ」

「え? あれが義永紗織よしながさおり?」

「どれどれ?」「あそこ、今入ってきた女子だって」

「うわ本物〜〜」


 生徒たちの好奇の視線が彼女へ集まる。

 静かなざわめき。

 誰もが少し声を落として、さりげなく彼女に向かって視線を寄越した。


『だって貴方、恵まれているもの』



 ――俺は、なんとなく。

 今言わないと、もう二度と誰にも、自分自身にでさえも、この気持ちを打ち明けることはないような気がしていた。


「ねー西嶋にしじま。あたしさあ、実は前から――」


 近づいてくる中崎なかざきの言葉を、遮るように声を上げる。


「あのさ、仁田じんだ。俺昨日――」


 わざと椅子の音を立てながら立ち上がる。

 自分に視線が集まるのがわかった。


 義永よしながさんと目が合ったような気がした。

 でもやっぱり、重たい前髪の向こうの彼女の顔は見ることができない。

 彼女の本心が知りたかった。

 俺は彼女のことが好きだから。

 思いの他、喉から出た声は強張こわばっていて、俺は少し自嘲じちょうしてしまいたい気分だった。


「――義永よしながさんにフラれたんだけど」


 ボトリ、と仁田じんだがバッグを落とす。

 教室前の廊下に集まっていた生徒たちのうち、女子の集団から悲鳴が上がった。


西嶋にしじま先輩が……フラれ……あっ」

「ミナしっかりーーー!!!」


 卒倒そっとうする女子を周りの人間が支える。


白目剥いて気絶している……」


 その日高校には、二つの衝撃が走ることになったらしい。





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