2

 その時だった。


『エリー、フォックス・ツー』


 絵里香の赤外線ホーミングミサイル発射のコール。


「え、エリー……?」


 あっけにとられた巧也の視界の中で、白煙を上げたミサイルが真下から敵機に迫る。しかし敵機は囮弾フレアを放出してそれを難なくかわしてしまった。そのままミサイルは何もない上空に向かって空しく煙の尾を描いていく。


「……」


 巧也はぼう然とその様子を見つめるだけだった。絵里香にしてはやや詰めが甘い攻撃だ、と彼は思う。これまでの戦いやシミュレーションの中で、彼女のミサイル発射のタイミングとコースは絶妙だった。とても真似出来ない、と巧也はいつも感心していたのだ。それなのに、これはどうしたことだろう。


 しかも、もう武器は何も残されていないのに、絵里香はそのまま敵を追いかけ続けている。どういうつもりなのか。巧也には全く理解出来なかった。


 ところが。


『さて、そろそろかな』そう言って、ようやく絵里香が敵から離脱する。


 そして。


『3……2……1……ゼロ』


 絵里香のカウントダウンが終わった瞬間。


 はるか遠くの敵機が、いきなり真っ赤な火の玉に包まれた。それはそのまま黒い煙の塊に変わる。


「え……何が起こったの?」と、巧也。


『最初から二段構えの攻撃なのよ』得意そうに絵里香が言う。『射程範囲レンジギリギリでもとりあえず上に向かってミサイルを撃てば、かわされてヒットしなかったとしてもミサイルは燃料が尽きればまた落ちてくるでしょ。で、そのミサイルが落ちてくるポイントに敵機を追い込めば、あとは上から落ちてきたミサイルがそいつを片付けてくれる……ってわけ。これが私の必殺技。名付けて……Second Impactセカンド・インパクト


「……!」


 信じられない。そんなことが本当に出来るものなのか。巧也は絵里香のミサイルをコントロールする能力に、完全に舌を巻いていた。


「すごいな……さすがはエリーだ」


『どういたしまして。というより、私らはチームなんだから、君一人で戦おうとしないで、任せるところは任せて欲しい』


「……」


 巧也はため息をつく。今のエリーは、ぼくよりもリーダーにふさわしいかもしれない。彼女は成長したみたいだ。だけど、ぼくは怒りに我を忘れて、一人で戦ってしまった。


『それに』絵里香は続けた。『私だって、シノを撃墜したヤツを生かして帰すつもりはないから』


「あ……」その言葉に巧也は、絵理香の誤解に気づく。「違うんだ、エリー。ノブは撃墜されたわけじゃない……ノブは……ぼくをかばって……敵に体当たりを……」


『ええっ!』絵里香が絶句した、その時。


『エリー、ビンゴ・フューエル。基地に帰るギリギリの燃料です』絵里香のアイの声が、無線を通じて巧也の耳にも入る。


「ジョーの機体の残り燃料は?」巧也の問いかけに、彼のアイは即答した。


「ほぼ同じです。このままでは三機とも、あと二〇分で墜落してしまいます」


「分かった」巧也は無線のスイッチを入れる。「エリー、ジョー、君らは帰投RTBしてくれ。ぼくは残ってノブを探す」


『何言ってんのよ!』絵里香だった。『君の機体だって、強制的にアイにコントロール握られてRTBしてるじゃない』


「いいんだ。今から脱出ベイルアウトして地上に降りて探す。帰投するだけならアイに全部任せられるだろ」


『バカ言わないで! 脱出には無事に済まないリスクもあるのよ? これ以上F-23Jのパイロットを失ったらどうなるの? 今はこれが唯一敵に通用する機体なのよ?』


「……」絵里香の正論に、巧也は何も言えなくなってしまう。


『ね、タク、落ち着いて考えてよ。一旦基地に戻って燃料を補給して、みんなでまたここに飛んで来て探せばいいじゃない。救難物資も積んでさ。それを投下したら、脱出したシノの助けになるじゃないの……』


「……わかった」巧也がポツリと言う。「スカルボ01フライト、RTB」


 三機は基地へと機首を向けた。


---


「え……そんな、もう飛べないんですか?」


 千歳基地のエプロンで、巧也は彼の機体の機付長、丸山二曹を睨み付ける。三十代の女性整備士。いつもならこの人の笑顔を見ると、ああ、地上に帰ってきたと安心出来た。だけど、今の彼女の顔は暗く沈んでいた。


「ごめんなさい……もう燃料がないのよ。ここんとこ出撃が多かったし、海路が止まってるから燃料が運べないの。とりあえず今、鉄道で内地から運べるだけ運んでるんだけど……少なくとも今日はもう、無理ね……」


「……」言葉を失った巧也は、下を向いてしまう。その両脇に、機体を降りた絵里香と譲が並んだ。


「一機だけでも飛べないんですか?」と、絵里香。


「それも無理ね。飛べたとしても、一機だけでは危険すぎる。それはあなたたちが一番分かっていることでしょう?」


「……」丸山二曹にそう言われてしまうと、絵里香も黙らざるを得なかった。


「それじゃ私、仕事があるから。みんな、気を落とさないでね」


 そう言って、丸山二曹は格納庫ハンガーの方に駆けていく。それと入れ替わりに、町田二尉が彼らの方に歩いてきた。


「ダメだったわ」彼らの前で足を止めた町田二尉は、力なく首を横に振る。「シノの救命ビーコンは、検出出来なかった」


「!」


 それは、しのぶが少なくとも今まで救命ビーコンのスイッチを入れていないことを意味する。意識がないか、あるいはそもそも脱出できなかったか……


「うそ……うそでしょう? 町田二尉」巧也は二尉に詰め寄るが、


「こんなこと……冗談で言えるわけないじゃない……」そう言って彼女はうつむいた。


「……」


 頭が真っ白、というのはまさにこのことだった。何も考えられない。言葉を失った巧也は、ただぼう然と突っ立っていた。


「そんな……シノが……?」絵里香の両目から涙があふれる。


「シノ……」譲もこぶしで涙をぬぐう。


 二人が嗚咽するのを聞きながら、巧也はぼんやりと考えていた。


 ”……どうして、ぼくは泣いていないんだ? シノがこんなことになって、とても辛いのに……悲しいのに……どうして……”


「タク……君は泣かないのね」町田二尉だった。悲し気に巧也を見つめている。「ううん、泣けないのね。分かるわ。あまりに悲しみが強いとね、人はかえって泣けないものよ。でも……それはとても辛いことだわ。タク、泣きたくなったら思い切り泣きなさい」


 町田二尉は優しく微笑む。


「……」


 無言で、巧也はうなずいた。


---

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る