第9章 ぼくは空で、君を守る。

1

「うそ……シノが……撃墜された?」


 しのぶの機体とのデータリンクが切れたことに、絵里香は気づく。彼女たちが戦っていた敵は、燃料切れになったのか二機とも離脱していた。絵里香も譲も深追いをすることはない、と考え、巧也たちの援護に向かおうとした、その矢先のことだった。


「ああ……信じられねえが……そうみたいだ」


 譲の声も震えていた。


「ジョー、タクを直接援護してあげて。君は彼と組んだことあったでしょ? 私はバックアップに回るから」


「わかった。武器はねえけど……そういうときのための乱気流アタックだからな」


 譲の機体が翼をひるがえし、巧也たちの空域に機首を向ける。


---


「ノブ! ノブ! 応答してくれ! 頼む……応答してくれよ……」


 巧也は無線に必死に呼びかける。だが、応答は全くなかった。


 雲の下に降りてしのぶを探さなくては。降下しようと彼が機体を左に傾けた、その時。


 ロックオン警報。


「!」


 巧也が我を忘れたすきを突いて、いつの間にか彼の目の前にいたはずの敵機が彼の真後ろについていた。彼の中に激しい怒りが湧き上がる。


 ”……ふざけんなぁ!”


「うおおおおお!」


 雄叫びを上げながら、巧也は操縦桿を怒りまかせに一気に引いた。ほぼ九十度の角度で彼の機体は左にふっ飛ぶ。その様子を目の当たりにした譲は、思わず声を漏らす。


「げ……今の、9Gくらいかかってないか……?」


 巧也は本来そこまでGには強くないはずだった。だが、今の彼は怒りに我を忘れている。怒りは体の血管を収縮させ、血液の移動をしにくくさせる。結果的にそれが彼のブラックアウトを防いだのだ。


 そして彼はあっという間に敵機の6時方向を取り返し、あっさりと機関砲で撃墜してしまう。


 それを見た敵の最後の一機が逃走を開始する。だが、巧也はためらうことなく急旋回し、機首をそれに向けた。


「やめろ、タク! 深追いするな!」


 譲の声は、しかし、巧也に届いていないようだった。しかもデータリンクによる情報では巧也の機体は燃料切れ寸前。戦闘機動など、とてもできる状態ではない。


「ちくしょう! 世話焼かせやがって!」


 巧也を追いかけようと、譲はスロットルを最大推力位置に入れる。だが、なぜかアフターバーナーが点火しない。


「なんだと……故障か?」


燃料切れですビンゴ・フューエル」事務的な口調でアイが告げた。「ジョー、これ以上作戦行動を続けると基地に帰投出来なくなります」


「く……」譲は歯をかみしめる。が、間髪かんぱつ入れず彼は無線のスイッチを入れた。


「エリー! 頼む、タクを守ってくれ!」


『言われなくてもね!』


 言うが早いか、絵里香の機体が譲の真横を一瞬にすり抜ける。


---


 "シノを撃墜したヤツは……絶対に許さない……"


 絵里香も怒りに燃えていた。だが、巧也に比べれば彼女はいくぶん冷静だった。


 データリンクによれば、あと数秒で巧也の機体は燃料切れビンゴになる。だが自分の機体の燃料にはまだ余裕がある。ミサイルもAAM-5が一発だけ残っている。しかし目標は射程距離外アウトレンジだ。追いつかなくては。絵里香は操縦桿を前へ突き入れる。


 マイナスGがかかり、浮かび上がろうとする絵里香の肩にシートハーネスが食い込みそれを防ぐ。プラスGには4人の中で最も弱かったが、彼女はマイナスGには逆に強かった。それでも彼女の視界が赤く染まる。血液が頭部に登り、眼球内の血管が広がる現象—―レッドアウトである。長く続くと眼球内や脳内に出血が起こる、危険な状態だ。

 しかし、絵里香は既にそのリスクの見返りを手にしていた。いつの間にか彼女の機体は、目標との距離を一気に詰めていたのだ。


 急降下ダイブして速度を増すことで高速の目標に追いつく空戦機動、ロースピード・ヨーヨー。操縦桿を引き、絵里香は前方上方の敵機目がけて引き起こしを開始する。打って変わって激しいプラスGが彼女に襲いかかる。だが、しのぶのことを思えばこの程度は何の苦でもない。絵里香は心の中で独りごちる。


 "久々に、アレをやらないとダメなようね……"


---


「!」


 巧也の体が前のめりになる。いきなり機体が減速したのだ。


「な、なんだ……?」


 HMDの残燃料の数値が赤く点滅していた。


燃料切れですビンゴ・フューエル」アイだった。「これ以上のスーパークルーズ並びにアフターバーナー使用はできません」


「ダメだ! アイ、頼む! ぼくはヤツを撃墜しなきゃならないんだ! そうでなくちゃ、ノブが……」


「落ち着いて下さい、タク」あくまでアイは冷静に告げる。「これ以上の戦闘行動は自殺行為です。私が操縦を担当しますアイハブコントロール任務終了、帰投しますコンプリートミッション、RTB方位051へ有視界飛行、開始VFR、ゴー051


 その言葉と共に、巧也の意志に反して機体が旋回を開始する。


「お、おい、アイ! やめろ! コントロールを戻せ!」


 必死に操縦桿とラダーペダル、スロットルを動かすが、全く無駄だった。視界の中で敵機がどんどん小さくなっていく。巧也の口から絶叫がほとばしった。


「うわああああ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る