3

 宿舎、地下の教室。一五○○時。


 三人の間には会話が全く絶えていた。その場を満たしていたのは、空調ファンのかすかな風切り音だけだった。


 巧也の隣の、昨日までしのぶが座っていた席。だけど今、そこに彼女はいない。加藤三佐に続き、しのぶまで……

 しかし、三人が抱いている喪失感は加藤三佐の時とは比べものにならなかった。何と言ってもしのぶは、これまでずっと三人と一緒に過ごしてきた仲間なのだ。

 それがこうも簡単に失われてしまう。これが、戦争の最前線にいる、ということなのだ。三人は戦争の残酷さを身に沁みて感じていた。


「……ぼくのせいだ」


 ぽつり、と巧也が口を開く。


「ぼくが油断したせいで……ノブがぼくを助けようとして……」


 その声には、身を切られるような後悔がにじんでいた。


 しのぶは敵機に自ら体当たりを仕掛けたのだ。巧也を救うために。その事実に彼は打ちのめされていた。


「違ぇよ」譲が巧也の言葉を遮る。「お前のせいじゃねえ。そもそも俺が……カーシーさんを探しに行こう、なんて言わなかったら……今日の出撃はなくて、今頃はシノだってここでこうしていられたはずだったんだ……それなのに……」


「やめてよ」絵里香だった。「まだ完全にシノが死んだって決まったわけじゃないんだから……私は信じてる。シノは強いよ。私なんかよりもずっと強い。だから、きっと彼女は生きてる」


「どうして、そう思うんだ?」と、譲。


「シノって、一度ミサイルに直撃されたでしょ?」と、絵里香。「それも私の目の前でね。ショックだった。今でもあの時のことは目に焼き付いてる。私だったら、いきなりあんなことになったらきっとパニクると思う。でも……シノはケロッとしてた。全然気にしてなかったみたいだった。その時ね、思ったの。この子は強い。私はかなわない、って」


「そうか……」譲は深くうなずく。「そうだな。いつもオドオドしてるように見えて、シノは強いよな。というより、ノブになったら、マジで強いからな……ん?」


 そこで譲は、しのぶの席の机に乗っているノートパソコンを、巧也が見つめているのに気づく。


「タク、どうした……?」


「……なんだろう、これ」


 しのぶのノートパソコンの下に、何か小さな白い紙のようなものが置かれていて、それが少しだけノートパソコンからはみ出して見えていた。


 手を伸ばし、巧也はノートパソコンを右に動かす。それは一枚のメモ用紙で、しのぶの手書き文字でこう書かれていた。


 "もしわたしに何かあったら、このパソコンのデスクトップにあるファイルを開いて下さい"


 巧也はノートパソコンの電源を入れる。すぐにデスクトップ画面が表示された。


「あ……」


 画面を見つめていた巧也が、小さく声を上げた。


「どうした?」

「どうしたの?」


 譲と絵里香も巧也の席に駆け寄り、画面をのぞき込む。


 巧也の視線が注がれているのは、「みんなへ」と書かれたアイコンだった。彼がそれをダブルクリックするとテキストエディタが開かれる。そこにはこう書かれていた。


 ”みんながこのメッセージを読んでいる時、わたしはもうこの世にはいないかもしれません。

 だけど、わたしはみんなに会えて、とても嬉しかった。みんながいたから、わたしはずっとJスコでやってこれた、って思っています。


 エリー、わたしはあなたがとても羨ましかった。とてもきれいで、かっこよくて……わたしにないものばかり持ってるあなたが、とてもまぶしかった。大好きでした。”


「何言ってんのよ……」絵里香が涙声になる。「あなたの方が、私にないものばかりもってるじゃないのよ……」


 それは彼女の素直な思いだった。まさかしのぶがハッカーコンテストの全国トップであり、大人顔負けの実力の持ち主だったとは。しかし、そこまですごいと、もはや嫉妬をする気にもなれない。


 世の中にはすごい人間がたくさんいる。私も私自身が輝ける何かを探していこう。絵里香にそう強く思わせたのは、しのぶだった。


 ”ジョー、スケベだけど、実はすごく周りに気をつかってる人だよね。でも、女の子の胸スケベな目で見てるの結構バレてるから、気をつけてね。”


「ひでぇ……」譲の目からも涙がこぼれ、彼は泣き笑いの表情になる。「確かに俺はスケベ野郎だけどさ……そんな、二回も繰り返さなくても……いいじゃねえかよ……」


 ずいぶん前からしのぶに関しては脈なしかも、と感じていたが、これでもう決定的だな、と譲は思う。確かに彼も、絵里香とは何の気兼ねも無く話せるのに、しのぶにはなぜか変に意識してしまってうまく話かけられない。それに……

 しのぶは、それはもうあからさまに巧也に好意を寄せていた。最近は巧也の方もまんざらでなくなってきているように見える。そして、譲自身も絵里香が気になる存在になりつつあることを自覚していた。それでも……もうしのぶに会えないかもしれない、と思うと、彼は涙を止めることが出来なかった。


 ”タク、ずっと男の子って騙しててごめんね。でも、ノブになってタクと一緒に「空」で大暴れ出来て、わたしはとても楽しかった。タクはノブの大親友。でも、シノにとっての君は……ごめん。恥ずかしくて書けない。ずっと、一緒にいたかったよ。”


「……」無言で、巧也はただそのメッセージを見つめるだけだった。


「タク……お前は……ぐすっ……どうなんだよ」しゃくり上げながら、譲。「シノはお前のこと、好きだったんだぞ……それこそ、自分を犠牲にしてもお前を助けるくらいに……な」


「……」


 しのぶの笑顔が、巧也の脳裏に蘇る。


 そう。


 いつだって彼女は、巧也に笑顔を向けていたのだ。彼女のそれ以外の表情を彼が思い出そうとしても難しいくらいに。


 次の瞬間。


「……!」


 胸が張り裂けそうな、衝動。


 巧也の目から、涙がこぼれ落ちる。


 ようやく彼は気づいた。いつの間にか、彼の心の真ん中にいるのは絵里香ではなく、しのぶになっていたのだ。


「う、うぐっ……ううっ……うわああああっ!」


 堰が切れたように巧也は大声を上げて泣き出した。その左から譲が右手を伸ばし、彼の肩を抱く。同じように絵里香も彼の右に並び、左手で肩を抱いた。


 そのまま三人は、声を上げて泣き続けた。


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 ひとしきり泣いた後で、画面に視線を移した絵里香が、ふと眉を寄せる。


「これ……続きがある」


 手を伸ばして絵里香がエディタをスクロールすると、画面の下に隠れていた文章が表示された。


 ”町田さん。わたしをJスコにスカウトしてくれて、心から感謝しています。わたしをみんなに会わせてくれてありがとうございました。そのお礼と言ってはなんですが、自律パイロットシステムのソースコードを書きました。結局最後まで完成させられなかったけど、何かのお役に立てれば嬉しいです。これを読んだ方、このパソコンを町田二尉に届けて下さい。よろしくお願いします。


 最後に、お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。わたしは二人の子どもで本当に良かったと思っています。勝、お父さんとお母さんをよろしくね。頑張って夢をかなえてね。お姉ちゃんは空から見守っています。


                           立川 しのぶ ”

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