8

 試験を受ける女性は絵里香を含めて3人だけらしい。その人数ならそんなにくさい思いをしなくていいんじゃないか、うらやましいな、などと巧也は思う。


「ね、中島君」


 町田二尉が、にこやかだが、どことなく謎のプレッシャーが感じられる笑顔で言う。


「はい」


「分かってるとは思うけど……川崎さんが戻って来て、もしくさかったとしても、絶対に『臭い』って言っちゃダメだからね。そういうの、女の子はめっちゃ傷つくんだから」


「は、はい……」


 気おされるように、巧也はおずおずとうなずいた。


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 女性の部の試験も終了。ゲッソリした顔で絵里香が控室に戻ってきた。


「……ん?」巧也は鼻をヒクヒクさせる。


 臭いどころか、とてもいい匂いが漂ってきたのだ。


「一緒に試験を受けた女性パイロットの人が、香水を持っててね。終わった後、私にもそれを付けてくれたの」と、絵里香。


「へぇ……」


 やっぱり女性は細やかな心配こころくばりをするんだな。巧也が感心していると、絵里香はさらに続けた。


「それに、言っとくけど、私一度もオナラしてないから。信じてもらえないかもだけど」


 "えー……ほんとかなあ……"


 巧也が疑いの視線を絵里香に向けた、その時。


「ううん、信じるわ」


「!」二人は同時に町田二尉に顔を向ける。二尉は微笑み、巧也を見ながら続けた。


「中島君、君もそんなにオナラはしてないんじゃない?」


「え、ええ。二回くらいかな……」


「やっぱりね。二人とも朝食の納豆が良かったのよ。納豆は腸内環境を整えてくれる。オナラの元になるガスの発生も抑えてくれるの」


 そうだったんだ。これからも毎日納豆を食べるようにしよう。巧也は心に決めた。


「あら……川崎さんは、最後まで計算間違わなかったわね。すごいじゃない」


 クリップボードを見ながら町田二尉が言うと、絵里香は得意そうに胸を張る。が、


「だけど、最後の方はかなり文字が崩れてるわね」


 と町田二尉に言われ、


「ええっ!」と、あわててクリップボードをのぞき込む。


「あ……」


 最初はきちんとした文字で書かれていたのに、最後の方はミミズがのたくったように変わり果てていた。なんとかギリギリ文字として判別できるレベルだった。絵里香の顔が赤くなる。


「ね。低酸素状態ってこわいでしょ?」町田二尉が真面目な顔で言った。「こんなふうになってても自分では気づかないからね。君らも空に上がったら、十分気を付けてね」


「「はい」」二人の声がそろった。


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 ”それじゃタク、またね”


 そう言って、基地の玄関で手を振って別れたときの絵里香の笑顔を巧也は思い出す。彼女の母親が車で基地まで迎えに来ていて、絵里香はそれに乗って帰っていったのだ。


 "やっぱ、いいよなぁ……川崎さん……"


「ふふん。どうやら中島君、川崎さんが気に入ったようね」


 白いバンの車中。運転席の町田二尉が、助手席の巧也に向かってニヤニヤしながら言う。


「え、ええっ?」


「確かに、きれいな子だもんねぇ。だけど……ちょっとまだアピールが足りないかな。彼女をモノにしたいなら、頑張んないとね」


「は、はぁ……」


 あっという間に車は入間市駅に到着する。


「というわけで、二人とも耐G試験も低圧試験も無事合格。良かったわね」町田二尉が嬉しそうに言う。「明日はいよいよ、搭乗試験。集合場所と時間は、分かってるね?」


「ええ。場所は石岡駅。時間は今日と同じ、一○三○ひとまるさんまる時ですね」


「もう……すっかり自衛隊式が身についちゃったみたいね」町田二尉が苦笑する。「それじゃ中島君、今日は本当に、お疲れ様でした。かなり体が疲れてると思うから、気を付けて帰ってね」


「はい。ありがとうございました」


 巧也は車を降りてドアを閉める。車の中の町田二尉が彼に向かって敬礼する。巧也も見よう見まねで答礼してみせた。


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