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 低圧訓練装置チャンバーは、左右の壁に沿って椅子が6個ずつ、合計12個向かい合わせに並んでいるだけの、単なる部屋だった。ただし、それらの椅子の真横には黒い酸素供給装置があり、テストの時はそれと酸素マスクのホースを接続しマスクをヘルメットの金具に留めて、しっかりと顔に密着させないといけない。


 試験はまず男性から行うことになった。部屋に入る前に、ヘルメットをかぶった巧也はオペレータから白紙が一枚挟まれたA4のクリップボードを渡された。机の上に同じものがたくさん積み重なっていて、おそらく試験対象者全員分の数があるようだ。


「なんですか? これ」


「テストだからね。筆記もあるんだよ」オペレータがニヤリとする。少し髪の毛が薄い、やせたおじさんだった。 


「えー……難しいんですか?」


「いや、すごく簡単。小学生でも解ける」


「はあ」


 それ、やる意味あるんだろうか。巧也は心の中で思ったが、口には出さなかった。


 一番奥、右側の椅子に腰を下ろした巧也は酸素マスクを装着し、ホースを酸素供給装置につないで準備を完了する。動画でよく見る戦闘機パイロットの格好と全く同じだ。ちょっとワクワクしてしまう。だが……


 今回は巧也の他に8人の大人の男性パイロットが一緒に試験を受けることになっていた。町田二尉の言う通り、この人数がみんなでブーブーオナラをしたら、においが大変なことになりそうだ。そう考えると、巧也はだんだん憂うつになってきた。


 酸素マスクをつけていても、呼吸には全く問題なかった。今彼が吸っているのは純粋酸素ということだが、普通の空気との違いはよく分からなかった。微かな匂いがあるが、これはきっと酸素マスクのゴムのそれだろう。


「聞こえますか? 聞こえたら手を挙げてください」オペレータの声。


 巧也は黙って手を挙げる。他の8人も同じように手を挙げていた。オペレータが続ける。


「それじゃ、向かって右の列、点呼をお願いします。中島君からどうぞ」


「あ、はい」マイクは酸素マスクに内蔵されているので、巧也がそのまま話せば声は伝わる。「ワン」


「ツー」「スリー」「フォー」「ファイブ」


「!」


 隣に並んでいる4人のパイロットたちの点呼の、あまりの速さに巧也は目を丸くする。


「続いて、左の列、どうぞ」と、オペレータ。


「ワン」「ツー」「スリー」「フォー」


 これまた矢継ぎ早だった。


「準備はOKですね。それじゃ、まずは八千フィート……約二千四百メートルの高度まで上げますよ」


 とたんに、シューという空気が抜ける音が聞こえ始めた。それと共に、どんどん耳が遠くなっていく。テスト前に町田二尉に言われた通り、ゴクリ、と唾を飲み込むと、聞こえる音のボリュームが元に戻る。耳抜きというヤツだ。


 空気が抜ける音が止まった。


「はい、八千フィート。どうですか? 耳が痛い人、います? いたら手を挙げてください」と、オペレータ。


 手を挙げた人は誰もいない。オペレータは続ける。


「それじゃ、ここから徐々に高度を上げていきますね。最終的には三万六千フィート……約一万一千メートルまで行きます。お腹が張ってきたら、恥ずかしがらないで、いくらでもオナラやゲップをしてください。もしオナラの匂いがしたら大変です。マスクがちゃんと装着されてない、ってことなので、ほっておくと気絶してしまいますから」


 とりあえず、今の時点で巧也は特に腹が張っているように感じてはいない。だけど、これから気圧が下がってくると、どうなるか。


 再び空気が抜ける音が聞こえ始める。


 一万フィート……一万五千フィート……二万フィート……


 確かにだんだん腹が張ってきたようだ。だけど、まだオナラがしたいほどじゃない。


 三万フィート。さすがに苦しくなってきた。とうとう巧也は、一発オナラをかましてしまう。


 臭いはしない。ってことは、マスクは大丈夫か。だけど、なんだか少し寒くなってきたみたい。


「はい、三万六千フィート。お腹が苦しい人いたら手を挙げてください」と、オペレータ。しかし、手を挙げる人はいなかった。


 実際のところ、さっきの耐G試験に比べたら巧也は苦しくもなんともなかった。ただ座っているだけだ。お腹が張ってきたら、オナラをすればいい。それですぐに楽になる。


「よし、それじゃ二万五千フィートまで下げます」オペレーターが言う。


 また耳が遠くなってきた。巧也はツバを飲み込んで耳抜きを繰り返す。


「二万五千フィートです。それではこれから合図をしますから、聞こえたらマスクを外して下さい」


「えーっ!」


 思わず巧也は叫んでしまう。

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