3

「……へ?」


 譲の表情は困惑のままだった。町田二尉は続ける。


「よし、じゃあね、今度は逆方向から考えてみようか。空を飛ぶものってどういうものかな? 飛行機以外にも空を飛ぶものってあるよね?」


「ええ。鳥とか、虫とか……」


「でも、鳥も虫も飛行機みたいにアルミで出来てないし、エンジンもない。だったら、どうやって飛んでるんだろうね?」


「そりゃ、翼とか羽根を羽ばたかせて飛んでるんでしょう?」


「……」再び二尉はニヤーとする。「ね、ジョー。飛行機が空を飛ぶ理由、まだ分からない? 既に君はとても重要なキーワードを何度も口にしてるんだけどなあ」


「ええっ?」


 相変わらず、譲は戸惑いを隠せなかった。


「ほら、1円玉やアルミ鍋が空を飛ばない理由って何だったっけ?」


「翼やエンジンがないから」


「で、鳥や虫はどうやって空を飛ぶ?」


「翼や羽根を……ああっ!」


 譲はいきなり大声になる。


「分かった! 翼だ! 翼があるから飛行機は空を飛ぶんだ!」


「そのとおり!」満面の笑みで、二尉は拍手した。「そう。飛行機には翼がある。翼があるものは空を飛ぶ。だから、飛行機は空を飛ぶ。これが三段論法。分かった?」


「分かりました! さすがッス、町田先生!」


「結局、分からないのは何かが欠けているのが原因なのよ。言葉の意味が分からない、って場合は知識が欠けている。どうしてそうなるのか分からない、という場合は論理が欠けている。だから、どうしてそうなるのかが分からないときは、今やったみたいに欠けている論理を探すわけ。いい?」


「はぁ……それは、いいんスけど……」そう言ったきり、譲はなぜか口ごもってしまう。


「どうしたの? まだ分からないことがあるの?」と、町田二尉。


「ええ。飛行機も鳥も、翼があるから空を飛べるのは分かったんスけど、何で翼があると空が飛べるのかって考えると、やっぱよく分からなくて……」


「……なるほど。君はそういうところが気になるのね」二尉はやさしく微笑む。「だから勉強が進まない。でもね、それは決して悪いことじゃない。なぜだろう、なぜだろうってどんどん突きつめて考えていって、世界の謎を解き明かしていくのが科学者なの。ひょっとしたら、君、科学者に向いてるかもね」


「ええっ! 俺が……科学者? いや、無理ッスよ! だって俺、赤点ではなかったけど理科もそんなに出来ないし……」


「それはどうかしら。ふとしたきっかけで出来るようになるかもしれないよ。未来のことなんて誰にも分からない。だったら、自分で自分の可能性を閉ざすようなことは、言わない方がいいと思うな」


「……」


 下を向いて、譲は考え込む。


 確かに、学校の勉強にはずっと苦手意識を持っていた。だけど、さっきの町田二尉の話は彼にもすごくよく理解出来た。分からないのは何かが欠けているから。それを探し出せば、分かるようになる。

 もしかして、俺は勉強が出来ないんじゃなくて、今まで勉強の仕方を知らなかっただけなんじゃないんだろうか。譲はそんな風にも思うのだった。


「まあでも」町田二尉は続ける。「なんで翼があると空を飛ぶことができるのか、というのは結構難しい話よ。本当に理解しようと思ったらベルヌーイの定理から始めないといけないからね。でもそれって大学で学ぶレベルの話だから。そうね……中学生でも分かるレベルで説明すると……流れる空気の中に翼を置くと、翼の下よりも上の方が空気の流れが速くなる」


「はぁ」


「でね、速度が速い空気は気圧が低くなるの。だから翼の上は下よりも気圧が下がる。そうなると、翼が気圧の低い、上の方に吸い寄せられる。つまり上向きに力がかかるわけ。これが揚力よ」


「あ、揚力って……なんか聞いたことあります」


「そう。この揚力が飛行機を空に浮かせている力なの。だけど、揚力は今言ったとおり、空気の流れがないと発生しない。だから、飛行機は自分で動いて空気の流れを自分で作っているわけ。その速度が遅いと……失速ってことになって、墜落しちゃう」


「あ……なんか宇治原先生から同じこと教わった気がしてきました。だけど町田先生の説明の方がずっと分かりやすいッス」


「まあねー。実は私、大学は理学部の物理学科出身だから、こういった話は専門分野なのよ。もしまた分かんないことがあったら、いつでも聞いてね」


「あざッス! それじゃ、さっそく聞いていいッスか?」


「え、いきなり? まあ、いいけど……」


「文字式のことなんスけど……xとかyって、何なんスか?」


「……そこからか」二尉は大げさにため息をついてみせた。「それは時間がかかりそうね。でも、もう遅いから今日はこれくらいにしたら? それに、数学の質問はやっぱり最初は数学の専門家の宇治原先生にした方がいいと思うよ。明日、休み時間に彼に質問したらどう?」


「で、でも……町田先生、教え方上手いんで……少なくともエリーよりはマシッスから……」


 その言葉に絵里香の顔がムッとしたのにも気づかず、譲は懇願こんがんの眼差しで町田二尉を見上げた。


「うーん……そしたら、宇治原先生に教えてもらっても分からないようなら、教えてあげる。だけどその前に、エリーにも教えてもらいなさい。ね、エリー?」


「!」二尉が絵里香に振り向いた瞬間、彼女は慌てて笑顔を作る。「な、なんですか?」


「彼に優しく教えてあげてね。人に教えることは、自分にとっても勉強になるんだから。ジョーはあなたのパートナーなんだからね」町田二尉はニッコリする。


「は、はい……」


「それじゃ二人とも、おやすみなさい」


「おやすみなさい!」


 手を振り、町田二尉は階段を登っていった。その後ろ姿を目で追っている譲を見ながら、絵里香はさっきから自分の中でもやもやしていた不快感の正体に気付く。


 これは、嫉妬だ。町田二尉に対する。


 別に、譲のことが好き、と言った気持ちが明らかにあるわけじゃない。だけど少なくとも巧也よりも好みのタイプなのは間違いないし、戦闘時のパートナーとしても呼吸が合ってきている。そんな彼の意識を、目の前で別の女に完全に持って行かれたのだ。一人の女として、いい気分でいられるはずがない。


 だけど……


 自分から町田二尉に助けを求めておいてそんな感情を抱いてしまうのも、ずいぶん身勝手な話だ。絵里香は自分に呆れる。それに……


 悔しいけど、相手は大人の女性でしかもかなりの美人。知識も落ち着いた雰囲気も胸の大きさも、何から何までかなわない。それでも……私だって、いや、私だからこそ彼のために何かできるはず。


 そうだ。


 町田二尉のやり方を盗めばいいんだ。彼女の教え方はわかりやすかったし、今日の彼女の話は自分にとってもためになった。


 絵里香は決心する。今度から、私も同じようにして譲に教えてみよう。いつだって私は町田二尉よりも彼に近い場所にいるんだから。


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