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「……で、私に詳しく教えて欲しい、ってわけか」


 その日の授業終了後、控え室の101号室に戻ろうとしていた宇治原三佐は、質問がある、と言う絵里香と譲に挟まれていた。


「そうなんです」絵里香がうなずく。「私もうまく説明出来なくて……」


 不甲斐ふがいなかった。分かりやすく教えてあげよう、なんて思っていたのに、いざ説明しようとするとうまく言葉が出てこない。ひょっとしたら、私は分かったつもりになっているだけで、本当に理解しているわけではないのかもしれない。そう絵里香は思わされたのだった。


「ふむ。一応数学は私の専門だからね。いいよ、教えてあげよう。それじゃジョー、問題を出すよ。ゆずるくんは1個500円のチョコレートを5個買いました。全部でいくら?」


「いくらなんでも、それくらいは俺だってわかりますよ」憤慨ふんがいした様子で、譲。「500かける5で、2500円でしょう?」


「ほう。正解だよ。よくできました」宇治原三佐がニッコリすると、


「当然ッス」譲はプイと横を向くが、その頬は赤らんでいた。


「じゃあ、同じものを10個買ったら?」


「5000円」


「1万個買ったら?」


「500万円」


「1億個買ったら?」


「500億円」


「3兆2456億8509万1876個買ったら?」


「ちょ、ちょっとそれは……電卓がないと……」


「ふふふ。実はね、今みたいないくつもの計算も、文字式を使えば一行で表すことができるのさ」


 そう言って、宇治原三佐はホワイトボードにこう書いた。


 y=500x


「この、yってのが全部の金額。xってのが買った個数。5個でも10個でも1万個でも1億個でも、3兆……ええと、忘れたが、とにかくこの式を使えば、どんな個数でもxに入れればy、つまり全部の金額が計算できる。すごいと思わないか? たった一行の式で、どんな数でも計算できちゃうんだぞ?」


「……いや、ちょっと待ってくださいよ」と、譲。「そんなの当たり前でしょう? 1個500円なんだから、それと個数を掛け算すれば全部の金額なんてすぐ出てくるじゃないスか」


「その当たり前のことを書いたのが、この式なのさ。そう考えれば難しくもなんともないだろう?」


「あ……」


 ようやく譲は目の前が少し開けた気がした。今まで呪文のようにしか見えていなかった、文字式。しかし、それにもちゃんとした意味があったのだ。


「そういうことだったのか……」


「しかもね、それだけじゃないんだ」三佐は笑顔で続ける。「じゃ、こういう問題はどうかな。お店のレジで全部の金額が6500円でした。さて、ゆずるくんは500円のチョコレートをいくつ買ったでしょう?」


「え……」


 首をひねったまま、譲は答えない。


「こういう時もね、この式が大活躍するんだ。いいか、yは全部の金額だっただろ? だったら今度は y に 6500 を入れてみる。そうするとこうなるよな」


 再び宇治原三佐がホワイトボードにペンを走らせる。


 6500=500x


「さて、ここで知りたいのは、さっきはyだったけど今回はxだ。さっきはyイコール何々、って形になっていたからすぐわかったけど、今回も x イコール何々って形にしたい。どうしたらいいと思う?」


「ええと……どうすんでしたっけ……」


「いいかい、こういう時、まずはとにかく分からない文字を左に持ってくるんだ。AイコールBならばBイコールA。だから左辺と右辺を交換して、こうなる」


 500x=6500


「ああ、なるほど。文字が左に来ました」


「そうだね。だけど、まだ x イコール何々って形にはなってない。500っていう数がxにかかってる。さあ、どうしたらいい?」


「ええと……両辺を500で割れば……」


「おお! すごいじゃないか! その通りだよ!」


「へへ……」


 三佐に褒められて、譲は照れ臭そうに鼻の頭をかく。


「そうすると、x はこう書けるね」宇治原三佐はすらすらとホワイトボードに数式を書いた。


 x=6500/500


「さあ、ここまで来たら答えは出るんじゃないか? 6500割る500を計算すればいいんだからね」


「ええと……答えは13ですか?」筆算した結果を見ながら、譲が言う。


「大正解! おめでとう! ほら、分からなかったxが計算できたじゃないか。これが文字式の威力だよ」


「……すげぇ!」


 今初めて、譲はこの y=500x という式、yやxといった文字の意味を、完全に理解した気がしていた。分かってしまえばなんということはないのだ。


「ありがとうございます! 宇治原先生!」


「またわからないことがあったら、遠慮なく質問してくれ。私も、君のような優秀なパイロットを学業不振という形で失いたくはないからね」


 そう言って、宇治原三佐はニヤリとしてみせた。


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