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 とうとうF-23Jでの初飛行の日がやってきた。


「お、重い……」


 ヘルメットや酸素マスクが並んでいる装備室で、巧也は思わずつぶやく。今彼が身に着けているのは、百里基地でF-15に搭乗した時とほぼ同じ装備だ。あの時も重くて仕方なかったが、これから毎回フライトのたびにこれを装着しなくてはならないのか、と思うと彼は気が重かった。


「あ、暑い……」巧也の隣で、譲が額の汗をぬぐっている。


「みんな、準備はいい?」準備を終えた絵里香が、三人を見渡す。


「うん」と、巧也。

「ああ」と、譲。

「……ええ」と、しのぶ。


「Good」絵里香は満足そうに微笑んだ。「それじゃ、行きましょう」


 四人は装備室を後にする。


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 14:00。晴れわたった空。既にエプロンには四機のF-23Jが並んでいた。


「お疲れ様です!」


 先頭の絵里香が地上要員たちに声を掛けながら敬礼する。残りの三人もそれにならって、敬礼。


「(やっぱあいつ、ああいう優等生キャラが似合うよな)」譲が巧也に耳打ちする。


「……」巧也は苦笑してみせただけだった。


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 F-23J 003号機のシートに収まった巧也は、彼をぐるりと取り囲んでいる装置類をあらためて見渡す。彼の正面にある主計器盤インストゥルメントパネルは暗く寝静まっている。両脇には、様々なスイッチやレバーで埋め尽くされているコンソールパネル。それらが発する独特の威圧感が、ただでさえ狭苦しいキャビンを余計に窮屈きゅうくつなものにしているようだった。


 F-23Jはいわゆるグラスコクピットと呼ばれるタイプの操縦システムで、かつての戦闘機のように計器盤にずらりと計器類が並んでいるわけではない。左右に一つずつと真ん中下よりに一つ、合計三つのMPD(多目的ディスプレイMulti-Purpose Display)に加え、右端にADI(姿勢指示器Attitude Indicator)があるだけだ。必要な情報はそれぞれの状況に応じて自動的に選択されてMPDに表示される。もちろん手動で情報を選んで表示することも可能である。


 真ん中のMPDのさらに上にはHUD(ヘッドアップディスプレイHead-Up Display)が置かれている。これは特殊なコーティングがされた透明なガラス板で、パイロットに向かって倒れる形で斜めになっており、照準や残弾など戦闘に必要な情報が風防ウィンドシールドの向こうの風景に重なる形で投影される。

 しかし、パイロットがHMDを装着していればそちらに情報が表示されるので、MPDもHUDもあくまでHMDが故障した場合にのみ用いられる、バックアップに過ぎない。


 操縦桿は両膝の間にあり、それを握った右手の五本の指が届く範囲に、兵装発射ボタンやトリガーなどが配置されている。左右の足下にはラダーペダル。飛行中はこれを使って方向舵を操作して機首の向きを左右に動かすのだが、地上滑走タキシング時にも進行方向を変えるステアリングの役割を果たすのである。


 スロットルレバーは左コンソールパネルにあり、左右のエンジンごとに独立して動かすことができる。スロットルレバーにも無線のスイッチやスピードブレーキスイッチ、兵装選択スイッチなどが付いていて、パイロットが右手で操縦桿、左手でスロットルレバーを握っていれば、それだけで戦闘に関する全ての操作が可能だった。


 ハーネスを締め、マスクとGスーツのホースを接続。始動キーにもなっている、アイが入ったUSBメモリを右コンソールパネルのスロットに装着し、巧也は機付長にインターフォンでエンジン始動準備が整ったことを告げる。


 APUマスタースイッチとエンジン始動スイッチ、オン。さしあたり彼がしなければならないのはそれだけだった。後は全て自動でエンジン始動プロセスが始まる。

 F-23J も基本的に F-15 とエンジン始動プロセスは同じだ。APUがAMADを通じて左右のエンジンを回し、起動する。


 電装系マスタースイッチ、オン。MPDとHUDが次々に目を覚ましていく。額にはね上げていたHMDを降ろすと、そこに表示されていた起動画面がシミュレーションで見慣れた通常フライトモードの画面に変わる。HMDはAR(拡張現実Augmented Reality)モードであり、シースルーで見える風景に様々な情報が重なる。シミュレーションモードや夜間ではHMDをVR(仮想現実Virtual Reality)モードに切り替えることもできるが、その場合は外の風景は全く見えなくなる。


「こんにちは、タクさん! 今日はいよいよ初飛行ですね! がんばりましょう!」


 相変わらずテンション高いアニメ声の、アイだった。HMDの視界の隅に彼女のニコニコ顔が、アニメーションする小さなアイコンとして表れる。


「そうだね。頼りにしてるよ」


「ありがとうございます! 管制塔からデータが来ました。読み上げますか?」


「いや、いいよ。表示するだけでいい」


「分かりました」


 現在地の座標、風速、風向、海面高度のデータが次々にHMDに表示される。以前百里基地でF-15に乗ったとき、加藤三佐は管制塔から無線でこれらの情報を得ていたが、F-23Jは全て管制塔とのデータリンクで自動的に送られてくるのだ。だから一々無線を使って音声で情報をやり取りする必要は、全くないのだった。


 エンジンや動翼のチェックもアイが自動でやってくれる。F-15に乗ったとき、加藤三佐はずいぶん念入りにいろいろなチェックをしていたが、巧也は何もする必要がなかった。


「チェック終了です。異常はありません。機付長のOKも確認しました。セーフティタグも全て解除されました。発進準備完了です!」アイが宣言する。


 セーフティタグは、誤って作動しないように機体や武装に装着される安全装置で、REMOVE BEFORE FLIGHT(フライト前に外すこと)と書かれた赤いリボンが付いている。地上要員たちがそれらを外し、手に持って掲げていた。


「……」


 今さらながら、巧也は実感する。


 そう。この機体は、兵器なのだ。


 今回のフライトでは本物の武器を積むことになっていた。一応任務は哨戒パトロールなのだが、敵に出くわす可能性も十分あり得る。そうなってしまったら、まずは逃げるのが最優先だ。だが、それが出来ないとなったら、やはり戦わなくてはならない。そのために、内蔵の25mm機関砲に加えて空対空ミサイル4発がそれぞれの機体に積まれていた。できればそれが使われるような状況にはなってほしくないものだ。巧也は心から願う。


『スカルボ01小隊フライト点呼チェック


 無線から絵里香の声。「スカルボ01」は彼らの小隊に与えられたコールサインだった。


 「スカルボ」はフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」の三曲目。ピアノが弾ける絵里香が好きな曲で、そこからリーダーの独断で名付けたらしい。

 元々「夜のガスパール」は19世紀のフランスの詩人アロイジウス・ベルトランの同名の詩にラヴェルがインスピレーションを得て作曲したもので、「スカルボ」はそのベルトランの詩に登場する、夜中に騒がしく飛び回る妖精のことである。騒がしく飛び回る妖精……それは確かに戦闘機隊にふさわしいかもしれない。だから巧也もその名前は気に入っていた。


『ツー』しのぶの声。この一言だけで「2番機、準備良し」という意味になる。


「スリー」巧也が応える。


『フォー』と、譲。


『全員準備OKね。それじゃ、出発するよ』


 絵里香の機体が、ゆっくりと動き出した。


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