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 加藤三佐は左右のスロットルレバーを、ゆるゆると100パーセントの位置まで動かす。エンジン音が高まり機体がゆっくりと動き始めると、三佐はゆるゆるとスロットルを戻す。一旦動き出してしまったら慣性で動き続けるので、スロットルを大きく開いたままにする必要はないのだ。そのままF-15DJはゆっくりと水上一曹の後をついていく。


「ずいぶん慎重にスロットルを動かすんですね」巧也が言うと、加藤三佐は少し笑ったようだった。


「ああ。ジェットエンジンは急激なスロットル操作は禁物なんだ。サージングと言って、エンジンが空回りして壊れてしまうんだよ。まあでも、戦闘機のエンジンは割と丈夫な方だから、あんまり気にしなくてもいいけどね。君らが乗ることになる新型機はスロットルもデジタル制御だから、乱暴に操作しても全然大丈夫だよ」


「そうなんですか……」


 ”そういうの、ゲームじゃわからない。やっぱり実機って全然違うんだなあ……”


 巧也がそう思った時には、既に彼の乗った F-15DJ は滑走路ランウェイ03Rに到着していた。ここは東西に二つ並んだ滑走路の、西側のそれの南南西に向いた端であり、地面に大きく03Rと書かれている。

 加藤三佐はそこで機体を滑走路に向けてから一旦停止し、ブレーキをかけたままスロットルを押し込む。エンジンが吹き上がるとすぐに彼はスロットルを戻す。エンジンテスト。それを二回繰り返して加藤三佐はスロットルを左右とも80パーセントに入れ、巧也を振り返る。


「じゃ、離陸後一気にハイレートクライムするからね。ビビるなよ」


「……はい」


 ゴクリ、と巧也はツバを飲み込む。ハイレートクライム。機体重量よりもエンジン推力が大きいF-15ならではの急上昇だ。離陸後しばらく水平飛行して速度を付け、いきなり急角度で引き起こし真上に向かって上昇する。その引き起こしの瞬間、かなりのGがかかるのだ。


 加藤三佐が両足のラダーペダルの上のブレーキペダルを離す。と同時に巧也の体はシートの背もたれに押さえつけられた。


 エンジン音がさらに高まり、ドン、という音と共に巧也はシートごと後ろから蹴り飛ばされたように感じる。アフターバーナー――ジェット排気に燃料を噴射し、排気に残った酸素を再燃焼することで推力を飛躍的に高める装置――が作動したのだ。


 巧也が気付いたときには、既に機体は空中に浮かんでいた。滑走路の半分も使っていない。


「いくぞ……3,2,1、ナウ!」


 加藤三佐の声と共に、巧也の膝の間の操縦桿が彼の手前に引かれる。と同時に、入間基地の遠心力発生装置で感じたのとほぼ同じくらいのGが、彼の体に襲い掛かってきた。


「ぐぅっ……」


 うめき声が漏れる。目の前の多目的ディスプレイに表示されているGの数値は5.1。約5倍の重さになったヘルメットに押さえつけられて、頭が持ち上がらない。悲鳴を上げそうになったその時、突然巧也はGから解放される。顔を上げると、正面から綿雲がぐんぐん近づいていた。その中にF-15DJはためらうことなく突っ込む。視界が真っ白に。思わず彼は目を閉じてしまう。


 再び目を開けると、既に雲を抜けたのか濃い青色の空が広がっていた。キャノピーに貼り付いた無数の水玉が、一瞬にして後ろに転がり消えていく。巧也はぼう然となる。


 ”ほ、本当に空に吸い込まれてしまったみたいだ……”


「タク、後ろを見てチェック ユア シックス


「!」


 加藤三佐に言われて振り向いた巧也は、目を疑う。


 たった数十秒前まで彼がいたはずの滑走路が、まるで針のように細く見えた。


「うそ……今、高度何メートルなんですか?」


「ええと、二万五千フィートだから……七千五百メートルくらいかな」


「七千五百メートル!」


 ”信じられない。富士山の二倍近くの高さだ。一瞬でそんな高さまで昇ってしまうなんて……”


「耳は大丈夫かい? 痛くない?」


 加藤三佐にそう言われると、確かになんとなく耳にツーンとした感覚がある。以前教わったように巧也がツバを飲み込んで耳抜きをすると、とたんに全ての音が大きく聞こえるようになった。


「大丈夫です」


「よかった。それじゃそろそろレベルオフ(機体を水平に戻すこと)するよ。また少しGがかかるけど、さっきよりはマシだからね」


「はい」


 巧也の応答を待って加藤三佐は操縦桿を引く。G表示は3.4。先ほどに比べたら全然余裕だ。しかもその数値はみるみる小さくなっていき、ゼロに、そしてマイナスへと変わる。彼にとっての「上」を見上げると、関東平野が広がっていた。いつの間にかF-15DJは背面はいめん飛行をしていたのだ。


「ロール、ナウ」


 加藤三佐の声と共にF-15DJはクルリと一八〇度横転。機体が正面せいめんに戻る。


「現在高度、三万フィート。どうだい、気分は?」と、加藤三佐。


「悪くないです。飛ぶ前に、吸い込まれそうな青い空だなあと思ってましたけど、まさかほんとに吸い込まれるとは思ってませんでした……」


「ん? ああ、なるほど。君、なかなか面白いことを言うな」加藤三佐はクスクスと笑った。


「はぁ」


「確かに、空に吸い込まれちゃったようなもんだよな。こんな速さでここまで昇ってこれる機体は、自衛隊の中でもF-15だけさ。なかなか体験できないぞ。あ、でも君らが乗る新型機はもっとすごいかもな」


「そうなんですね。だけど……」巧也は周りを見渡す。「空の色が……なんか、地上から見るのと違いますね」


「ああ。地上から見るより色が濃いだろ? 青っていうよりあい色に近いよな。つまり……それだけ宇宙に近づいた、ってことさ」


「……!」


 宇宙……


 巧也には全く想像できない世界だった。だけど……空の色が変わった、というだけでも何となく身近に宇宙を感じてしまう。そして、パイロットはそういう世界に生きているのだ。心がワクワクするのを巧也は感じていた。

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