第392話 偽物にしては乳が足らない



 ブロッサムにとって、ネイトは自分たちを陥れた仇。

 頭に血が昇るのは当然だが、整列する銃口を前にしては危うい。


「カレンッ……!」


 だが、この時ネイトはちらりとブロッサムを見た瞬間――まるで獣と成り果てたかのように突進した。

 馬鹿な、と『カーミラ』部隊の人間や、逃げんなと罵倒したブロッサム自身がその愚行に目を剥く。

 こうなると『カーミラ』部隊の人間は数の理を生かした一斉射撃で仕留めることができない。ブロッサムの小隊員でさえ同様だ。アルイーと冷血魔の二人も異常事態を察しているが、お互いを牽制し合って容易に動けないでいる。


「カレン、よくあたしの前に顔を出せたぁ!」


 ブロッサムは突然突っ込んでくる相手に唖然とし、白兵戦の間合いに踏み込まれる。

 数の理を捨てた相手の見せる妄執の標的は、カレン=イスルギ。憎々し気な叫び声からはっきりと伝わってくる。腕から隠し剣ヒドゥンソードを展開して斬りかかってくるネイトを相手に、ブロッサムも同じ武器を腕から伸ばしながら切り結んだ。

 鋼と鋼が激突し、火花が散る様はお互いに向け合う憎悪が衝突したかのようだった。

 迫る刃を払いのけ、手を伸ばして斬撃の動作を出る前に潰す。

 振り向きざまの肘から延びる刃を避けながら蹴りを叩き込む。お互い強化スーツの性能には大差ない。あとは接近戦の技量次第だ。


(こいつ……正気じゃありませんですよ……!)


 同時に、間近でネイトの息遣いと憎悪を感じるブロッサムは一つの確信を得た。

 ネイトはカレン=イスルギに対して強烈な愛憎を抱え込んでいる。かつてカレンが走火入魔によって暴発した陽氣で顔を焼かれた際の傷。カレンは償いとしてその顔を治療させる高額の医療を全額負担したはずだ。

 戦士や兵士に健康保険などない。かなりの大金だったはずだがカレンはそれをすべて支払い終えた。

 なのに全く治療する気も無く顔の火傷をそのままにしている。


「なんで顔出したらいけないんですかねぇ……!」


 絡み合い、もたれ合うような白兵戦を続ける――同士討ちを恐れて相手は射撃できないが、間合いを開けられたら撃たれる。

 だが、幸い、あるいは不気味なことにネイトには楽に決着をつける気がないようだ。


 そもそも……ブロッサムとカレンを見間違う時点でおかしい。

 ブロッサムはカレンのファンで、一度ユイトからも『カレンのパチモン』という評価を受けている。

 髪型や雰囲気などは遠目で見れば間違うかもしれないが、近くで見れば一目瞭然だ。(特に胸が)


 なのに、気づかない。

 

「お前は、お前はいつもあたしの上で、目障りで! そのくせ親が特別で!」

「親がなんだってんですかぁ!」

「お前の親は第二次新人類で生まれながら頭も体も何もかも上だった! 切磋琢磨していたはずの友人が、負け続けていたライバルが……なぜ勝てないと切歯扼腕していた女が……生まれながらのスペック差で、あたしに屈辱を与えていたこの腹立ちを……!」


 その焼け爛れた顔に浮かぶ生々しい憎悪、吐き出される憎悪の吐露。ブロッサムはネイトの心に淀む憎しみの本体を捕らえたような気がした。だが第二次新人類とか訳の分からないことを言ってカレンお姉さまを悪く言っているのは分かる。

 ブロッサムは相手の攻撃に反応した。至近距離からの寸打を腕で絡め取って至近距離からの頭突きで怯ませる。

 そのまま関節を決めつつ投げ飛ばそうとするが、ネイトは痛撃に涙をこぼしながらも咄嗟に掴み技を拒んで、横薙ぎの刃を刃で止める。一瞬、鍔迫り合いで見つめ合う格好になる。


「カレンお姉さまがお前のことをどれだけ大切に思ってたか知らないくせに!」

「あ? ……おまえ、乳がない? 誰?」

「てめぇー!」


 カレンをお姉さまと呼ぶブロッサムに、ネイトはようやく現実が意識に昇ってきたのだろう。己の頭の中にいたカレンに絞られていた意識の焦点が目の前のブロッサムに合ったのだ。

 だがそれはブロッサムを二重の意味で怒らせたバストサイズと……自分で爆弾に仕立て上げた犠牲者の顔を、まるで覚えていなかったという事実に。ブロッサムが放ったのは前蹴り。相手の腹を突き飛ばすような一撃に――しかしネイトは正気を取り戻したことで、このまま格闘戦をやるより仲間に撃たせたほうが手っ取り早いと気づいた。

 前蹴りの勢いを利用し、吹き飛ばされるようにして味方のほうへと後退したのだ。 


「ブロッサム!」


 仲間の一人が前に出ながら背中に装備していた盾を地面に突き立てた。携帯遮蔽物モバイルカバーがすぐさま左右に広がり、仲間全員を保護する盾になる。

 堅牢な装甲板が相手の射撃を防ぐが――回り込むか、あるいは徹甲弾を使うか。

 穴倉に閉じこもって勝てる相手ではない。ブロッサムたちがそう考えた時だった。


『こちらキリヤ装甲歩哨、待たせて悪い。デリバリーサービスだ、切り離すぞ!』

「遅いですよぉ!」


 レオナだって敵と交戦していると知れば応援を寄越す。

 クアッドコプター《睥睨》の独特のローター音と共にワイヤーが切り離される音。上空からの視認性が最悪の森の中だから爆撃ではない――そう訝しむ『カーミラ』部隊の前で、そいつは轟音と共に着陸した。


「ひ、ひー! ここ、怖かったぁ!」


 半分涙声をあげるのは、のろまそうな長身のミラ=ミカガミ。

 そして彼女が捕まって落下してきた超重量級の鋼の怪物はのそりと身を起こし、そのセンサーで敵を視認した。様々な部分に改造が施されているが間違いない。


「び、《ビッグ・ジョー》だと?!」


 かつて『マスターズ』が撃破した地上最強の陸戦兵器が、核融合炉の代わりに取り換えられたジェネレータより異音を響かせながらその巨体を両陣営の間に割り込ませた。その横にある手すりから飛び降りると、ミラ=ミカガミはコンソールを開き、機械支配能力マシーンドミネーションを用いて迅速に行動させる。


「はやく盾にしてー!」


 巨体とは裏腹な、滑らかで俊敏な動き。その装甲の分厚さもさることながら……排熱ファンが激しい回転音と共にジェネレータを稼働。

 全身から強固な電磁装甲ヴォーテックスシールドを形成する。突如として戦闘に飛び込んできた巨大な機動兵器に、このままの戦闘続行は不可能と判断したのだろう。『カーミラ』部隊が次々と小型の手投げ弾を放り投げる。スモーク弾だ。地面を転がったそれらは一瞬で黒い噴煙を周囲にまき散らし、こっちの視界を封じにかかってくる。


『追撃中止ですよ、深追い厳禁!』


 ブロッサムは仇であるネイトを見て頭に血が昇っているのを自覚している。できるならここで奴の脳天に弾丸をぶち込みたいと思っているが……しかしそれで護衛の本分を忘れるほど前のめりでもなかった。

 それとは裏腹に、アルイーと冷血魔ラスヴェイダは未だにらみ合いの状況にあった。

 周囲がスモークで包まれ、足元から腰まで深い霧に包まれた状況の二人。例え顔の高さまで覆い隠されようとも、氣による位置の把握、わずかな呼吸音や大気の流れで周囲を認識する両者にとってはこの程度問題ではない。

 だがアルイーは不快気に目を寄せた。


「お仲間はそなたを置いて逃げとるようじゃが?」

「あの子は私にしんがりを望んだ。だからやる」

「自分の子、孫だからか」


 冷血魔は無言のまま……ただし、臨戦態勢を維持し続けたままでアルイーと相対している。

 視界までスモークに覆われ……冷血魔が動いた。相手に対して威嚇を維持しつつ、じりじりと後退していく気配。


「追わぬ、去れ。……かつては肩を並べて戦った友人同士じゃ」


 アルイーは冷血魔と戦って勝てる。ただし簡単ではない。

 それに彼女の心には、冷血魔に対する憐憫の心が静かに広がっていた。

 冷血魔はネイトの命令を命懸けで果たそうとするだろう。かつて産んだ娘とその孫だ。こだわるのも分かる。


 アルイーには冷血魔の心が手に取るように分かった。

 冷血魔自身は長年『上』や社会の上流階級の護衛として生きてきた。その気になれば銀行預金の利子で安楽に暮らすことだってできるだろう。だが……長年生きていると無為に耐えられなくなる。何か生きる理由や張り合いが欲しくなる。

 だから血の繋がった娘のために何かしてやりたくなる。


(じゃが……わかっているのか、ラスヴェイダよ。

 そなたの孫は、そなたを嫌っておるぞ)


 具体的に何があったのかはアルイーにわかるはずもない。

 冷血魔はネイトに尽くそうとしているが……ネイトの目を見ればその忠誠や愛に報いる気がないのは一目瞭然だ。それに冷血魔は――禁産胎魔功を会得している。


 自分の力のためならば、我が子の命を奪う事さえ躊躇わないと証明している女だ。娘が警戒しても当然ではないか。


(それすらも分からぬのか。

 あるいは……その愛が報われぬとわかっていても構わぬのか。母とはそういうものかもしれんなぁ)


 道を違えたかつての友人。シスターズを外道へと貶めたネイトに従う魔人。

 いずれ我が手で討ち果たさねばならないが、友人殺しには――いつまでたっても慣れそうにはない。


 アルイーは嘆息をこぼした。



 

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