第391話 逃げんなよ



 ……アルイーは、はらわたが煮えくり返っていた。

『シスターズ』を仲間殺しの外道へと変質させたかつての弟子。カルロッサと呼んでいた第二世代の娘の事は覚えている。

 だが長い年月が過ぎたとはいえ、まさか自分の孫にあたる子の肉体を乗っ取ってまで生き永らえんとする外道ではなかった。……そのはずだった。

 かつての愛弟子ではあったが、殺すともう心に決めている。

 だが、殺すのはいつでもできる自信が彼女にはあった。そして……アルイーはカレン=イスルギの出生に関する秘密を知るのが今やネイトの肉体を乗っ取ったカルロッサ一人と知っている。


「そなたを殺す前に一つ聞きたい。シゲン=イスルギとカレンのこと。

 そしてなにゆえ……ペギーは自ら死を選んだ」


 熱血魔シゲン=イスルギの写真を残し、自身は拳銃自殺を行ったアルイーの弟子のひとり。

 様々な疑問があるが、それにこたえられるのは彼女だけだ。鋭い眼光を浴びせられ続けていたが……ネイトは少し考え込んで言う。


「……カレン、ああ。カレン。

 覚えていますよ。仲が良かった。あの子才能があった。ぜんぶぜんぶ血筋のおかげ。

 ほぉんと……忌々しいったらありゃしない」

「ぬ?」

「ほんとムカつく、そのくせあの子ヘラヘラヘラヘラと笑って親友とかクソが……」


 この時……アルイーは妙な違和感に気づいた。

 血魔卿の記憶痕跡を転写する外法は、相手の脳にある記憶すべてを乗っ取る。なのに彼女の言葉はまるでカレンと友人だったことがあるようなものいいだった。アルイーの疑問に気付いたのだろう。ネイトの見つめ返してくる視線に込められた、相手を呪うような泥じみた邪気が漲っている。


「ああ……先生。血魔卿もこう言ってたんですよ。

 わたしは、初めて見るケースだと」

「なぬ……?」

「祖母であるカルロッサは、その孫であるネイトの肉体を乗っ取った……そんな風に思ってるでしょうけどちょっと違う。

 私は、アルイー先生。あなたに助けられたことやマギー、ペギー、同じあなたの弟子だった第二世代たちの事もはっきり記憶しています。

 そして……あたしは友人だったカレン=イスルギの友人だった頃も良く、ね。

 祖母あたし、実に違和感なく、他人だったはずの記憶と人格が混ざりあっている。それが我々です」


 ……喋っている途中に見え隠れする喋り方やニュアンス。アルイーも長い人生でこういうやつを見たことがある。

 一般的に二重人格と称される人々だが、それらはスイッチが切り替わるように全くの別人に切り替わるはず。目の前のネイトは二つの人格がお互い肉体を仲良く掌握し合っているような印象だった。


「わからんぞ、ネイトとやら」

「んん? お婆ちゃん同士仲良く親交を深めないでいいんです?」


 祖母であるカルロッサとその師であったアルイー、積る話があるのは確かだがどうしても見過ごせない疑問がある。


「なんで気持ち悪くないんじゃ、お主。

 幾ら祖母とはいえ自分の脳みそに他人の記憶と人格が巣食っとるんじゃぞ」


 ……その会話を後ろで聞いていたアンジェロは頷き。彼を誘拐した現地人は意味が分からないながらも、両者の間にある緊張した空気によって金縛りにあったように動けないでいる。


あたし祖母の両者を無理なく結合させているのは第五世代に対する憎しみですよ」


 その言葉に、アンジェロを誘拐した第五世代の男性が、どういうことなんだよ、と首を捻った。

 どういうことなのか、と重ねて尋ねようとしたアルイーであったが……高速でこっちに接近してくる気配に気づく。千里離れていようとも感じられる狂暴な気配。察しはついた。


「……ラスヴェーダ! いや、冷血魔か!」

「正解だ」


 木々の陰を縫って黒い影が迫る。

 まるで冬が女の姿を取ればこうなるのだろう……全身から寒気を発する冷血魔ラスヴェーダ

 これで状況は各段に悪くなってきた。

 ネイトは、姿を現した冷血魔に言う。


「それでは老人は老人同士、仲良くしてください。よろしく、ひぃお婆ちゃん」

「承知した」


 返老還童の極みに達したアルイーは、『カーミラ』部隊がどれだけ精兵であろうとも正面から圧倒できる武功の持ち主だ。

 例え相手が『禁産胎魔功』を会得した冷血魔であろうともアルイーには勝つ自信があった。


 だがそれは一対一の場合に限る。


 冷血魔と戦いながら、アンジェロの身柄を守る――となると、これは大変に難しい。武功の深さでは己が上でも、冷血魔はよそ見をしながら戦って勝てるほど簡単な相手ではないのだ。

 アルイーは鞭をゆるゆると振り回す。周囲で旋回する軟鞭は次第に加速度を増し、狂暴な風切り音を纏いだす。接近すれば強化スーツの上からでも骨肉を砕き、絶命に至ると確信させた。


「冷血魔、かつてはラスヴェーダと呼んだ古馴染みよ。退く気はないかの」

「……アルイー。我々は長く生き過ぎた。若き日に抱いた望みはとうに潰え、今は血を引く子の、孫の願いを実現するのが我が願い」

「……孫の体を祖父が乗っ取る外道を見過ごしたか、馬鹿め!」


 アルイーは目を伏せる。

 冷血魔ラスヴェイダとは決して知らぬ仲ではない。かつて地方の軍閥や傭兵企業に利用されるだけだった第二世代。

 その母体とすべく監禁されていた冷血魔を助けたのは、外ならぬアルイー自身である。だがしばらく後で疾走し、再度あった時には魔功を会得した外道へとなり果てていた。

 アルイーの鞭が逆立つ。空を切る強烈で狂暴な炸裂音――音速を超えるその一撃は、電磁装甲など食い破り、強化スーツの耐衝撃性能を粉砕して着用者を絶命させるだろう。

 だが冷血魔もまた二振りの棒にも見える武器、硬鞭を振りかざし凄まじい衝撃を打ち払った。

 交戦が始まった以上、もう。ここが頃合いである――振り向いて、アンジェロのほう……よりもさらに後方に控える味方部隊へと喉を向けた。


『もういいぞ、呼ぶのじゃ!』


 伝音入密。

 遠く離れた相手に言葉を送り届ける音功の一種だ。

 その声と共に――『カーミラ』部隊と同じく『上』製の強化スーツに身を包んだ『マスターズ』のヴァルキリーが姿を現す。構えるのは大口径。アサルトライフルには過剰装薬ホットロードされた高威力の弾倉が叩き込まれている。

 その部隊を率いるのは――カレン=イスルギのパチモンと良く言われていたブロッサムと彼女の部下たち。

『シスターズ』に爆弾にされ、恨み骨身に徹する復讐者たちであった。

 セレクターはフルオート。強化スーツのエネルギーはすべて反動制御リコイルコントロールに割り振っている。銃口はネイト――自分たちに最悪の裏切りを行った連中に集中していた。


「ようやくですよぉ……ネイトォ、くたばれこのクソがぁぁ!!」



 ……アンジェロを敢えて誘拐させ、相手の目論見を白日に晒す作戦。

 当然ながらバックアップの救援部隊をレオナは用意していた。どれだけ大金を詰まれようとも『シスターズ』に寝返らない、絶対に信用できる人間。それは当然ながら『シスターズ』を恨み抜いているブロッサムと彼女の小隊に外ならない。

 弟を心配するレオナは彼女たちに『上』の武装を与えた。運用コストは目玉が飛び出るほど高いが、ちょっとでもリスクを減らしたいと思った親心がここに生きた形である。


 弾丸が放たれた。 

 ブロッサムの小隊員が構える銃器。一斉に一人めがけて放たれた弾丸の量も運動エネルギーも過剰で、電磁装甲ヴォーテックスシールドさえ減衰させてネイトを射殺させるに足る威力だ。

 だがそれに対して冷血魔が反射的に動いた。

 射線に割り込むように身をねじ込み、両腕に構える硬鞭を激しく振り回して弾丸を跳ね除ける。


「今は手心などないぞ、冷血魔ぁ!」


 我が身の安全をかなぐり捨てて娘を、孫を守りに行く彼女。

 冷血魔の心にもある家族への情愛。その心の何十分の一でもいい――どうしてその優しさを他の人間に向けてやれなかったのだと歯噛みしながらアルイーは鞭を一閃させた。 

 意識をアルイー以外に向けた代償は大きい。冷血魔は硬鞭で一撃を止めたが、無理やり庇いにいったのだ。アルイーが冷血魔を無視できないように、冷血魔もまたアルイーを無視できるほどの実力差はない。腹に一撃を浴びる。


「……ぐぅぅ?!」


 古来より『鞭打ち』は恐怖の肉刑として知られていた。単純に痛いからだ。

 鋼筋鉄骨の肉体を持つ冷血魔と言えども、自分以上の絶世高手の振るう鞭を味わい激痛のあまり額に脂汗が浮く。

 仕留めきれるか、ここで。アルイーは再度躍りかからんとする。

 最初はアンジェロを餌に相手の目論見を暴く予定だったが――ここで『シスターズ』の指揮官が出てきたのだ。それも仲間であるアンジェロを殺害しようとして、だ。


『シスターズ』は今ひとまずは味方。指導者ネイトを殺害すると後々面倒になるかもしれない。一瞬の躊躇いがよぎったが、それは本当に一瞬である。


 アルイーと、ブロッサム。

 二人の脳裏をよぎるのは、『マスターズ』の訓練生が修練を終え、卒業したあの日に爆死したダリアの姿。


「逃げんなぁ……! 逃げんな、ネイトォ!」


 ブロッサムの怒号に対する返礼とばかりに『カーミラ』部隊の銃口が一斉にこちらを向く。

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