第393話 生誕への祝福と呪詛と


 この時代になると、出産時に麻酔を使わない人はよほどの困窮状態なのか。あるいは「産みの苦しみを味わうからこそいい母になれる」というよく分からない宗教に嵌っているか、その信者が親戚にいるかになる。

 カレン=イスルギは初産だったが、発達著しい医療技術のおかげで激しい痛みや苦しみを感じる暇もなく安産を迎えた。


「あー……疲れた」


 周りを医療従事者に囲まれ、元気な産声が上がる。

 全身が倦怠感に包まれ、頬の触れ合うほど傍に赤ん坊が看護師さんの手で連れてこられる。

 カレンはその子を手に抱いてみた。しわくちゃでおさるさんみたい、けれども愛しくて仕方なかった。


「おめでとうございます、元気な男の子ですよ」

「そっかぁ」

「お父さん、入れていいですか?」


 こくりと頷けば、恐らく部屋の外で長らく気を揉んでいたユイトがこけつまろびつの大慌てで駆け寄った。

 カレンの腕に抱かれている男の子の赤ん坊に目を向ける。ユイトは不思議な感動の中で、ん、とカレンから差し出される赤ん坊を抱いた。

 漫画やドラマでやってるのを見よう見まねで抱き上げる。


「……かわいいな」

「そーね……」


 あー、う~? と不思議そうに小さなおめめがユイトとカレンのほうを見つめた。

 二人が両親だという事を言葉やしぐさ、あるいは生き物としての直感で理解したのだろう。きゃあきゃあと笑っている。


「男の子だってさ、ねぇユイト。名前は決めてる?」

「ああ。俺と君から一文字ずつ取るつもりだ。ユイトとカレンから一文字ずつ。ユカだ」

「うん、良いわね。……ねー、はじめましてユカ。あたしがママで、こっちがパパよ」

「ああ、生まれてきてくれてありがとう……ユカ」

「うぶ~」


 なんだかよく分からない声でお返事してくれているのだろうか。

 まだ父として、母としての実感など沸かない二人だが、それでもこの子のためならなんだってできる――その確信だけは間違いなくあった。




『え? 生まれた?』

『わぁ、よかったぁー』

『社員全員でカンパしてパーティーの準備してた甲斐があったぁ……』

『わしじゃ! 今冷血魔倒してとんぼ返りしてきたぞ! ちょっとこのお婆ちゃんに一度赤ちゃん抱かせんしゃい!』


『マスターズ』のほとんどが赤ちゃんが生まれたことに喜びの声をあげている。

 そんな一同に背を向けるように……サモンジ博士は一人、分析室へと足を運んでいた。

 出産直後、将来に備えて臍帯血を保存しておくのはこの時代の常識だが、サモンジ博士はそのサンプルを分析にかけていた。

 カレン=イスルギと、そしてユイト=トールマン。

 あの嵐の騎手ストームライダーの甥にあたる赤ちゃんのユカくんの遺伝子情報には興味が惹かれる。


『釘を刺しますが、変なことは考えないでください』

「もちろんですぞ、で、えーと……」


 企業の人間からすれば喉から手が出るほどに欲しがるであろう遺伝子情報だが、『マスターズ』の電子機器すべてを掌握しているサンの目を盗めるわけもないし、する気もない。

 サモンジ博士にあるのは未だ知らないことへの欲求である。

 表示されるデータ類に目を通す……サモンジ博士はユイトとカレンの遺伝子情報と、ユカくんのそれを確認する。

 サモンジ博士はそこで……眉間にしわを寄せた。


「……ふぅ~む? これは……どうにもおかしい。

 世代的にユカくんの遺伝子が第五世代……というよりは第六世代に該当する」

『ヴァルキリーの第四世代がカレン、ユカくんは第五世代になるはず。その発言の根拠は?』

第一世代オリジンが人間と交配して生まれたのが我々の知るヴァルキリーですが。世代を経るごとにリスクは深まり、第四世代に至っては生きる上で大きなハンデを背負うことになりました。

 ですが、この『フォーランド』ではモンスターとの戦争による人工減少とそれを補うためか、世代交代が早くすでに第五世代が生まれています。

 遺伝子工学で改造されたヴァルキリーの遺伝子と人間の遺伝子。それらは世代を経るごとに『馴染む』。

 その完成系が第五世代なんでしょう。今までヴァルキリーは女性しか生まれませんでしたが、第五世代以降は男性も女性も生まれている」

『その意味することは?』

「ヴァルキリーを産んだトバ=トールマン。

 あの男の目指したのが、多分第五世代なんでしょうな」


 サモンジ博士は過去の事を想いだす。

 あの男は間違いなく天才であったけれども、人の心に頓着することがなかった。

 あの男が見ていたのは常に先。人類が進出するべき第二のフロンティア。宇宙へ進むことだけだった。かつて弟子として彼を見知ったからこそ断言できる。

 ヴァルキリーから生まれる高次人類ネクスタントは、恐らく宇宙進出した際の様々な問題を解決するためのもの。

 無重力、放射線などによって引き起こされる健康被害を、生命としての基礎スペックを底上げすることで解消しようとしたのだろう。


 その、あまりにも早すぎる進化の速度。

 人々の心や社会体制の不備による諸問題――第四世代のヴァルキリーが塗炭の苦しみの中で生きていなかければいけない現実など、奴は毛ほども気にしないだろう。

 師の、そういう冷酷さに嫌気がさしてサモンジ博士は奴のもとを出奔したのだ。


「で、話を最初に戻すんですがね。

 ……このユカくんですが、遺伝子が馴染みすぎている。……この馴染みっぷりは第六世代と言ったほうが、いや」


 そう言ってからサモンジ博士は記憶の中から符合するものを引っ張り出して検索し、ディスプレイに表示させる。

 

高次人類アセンションヒューマンのクゼ議員が最もこれに近い。

 生まれながらの換骨奪胎、わずかな確率から生まれてくるはずの、遺伝子が馴染み切った突然変異体に近い。

 いや……逆か。ユカくんの完璧な体はこの後の世代にいくらでも生まれてくる。クゼ議員が特殊なのだ――だが、なぜだ?

 ああ、いや、?」

『一人で納得していないで説明してください』


 映像に浮かぶサンが不機嫌そうな顔をしている中、サモンジ博士は頷いた。


「クゼ議員に子供がいればもっと検証は確実だったのですが、ここからは推論です。

 カレンさんの父親か母親は高次人類アセンションヒューマンだったのではないでしょうか」

『……根拠は』

「彼女の父親と目されている人物……熱血魔ことシゲン=イスルギは、クゼ議員に対して高次人類アセンションヒューマンのことを事細かに伝えましたが。……ここの遺伝子に関する知識など、生体強化学や生物学に相当精通していなければ知りようもありません。

 話を聞きましたが、熱血魔はそういう知的キャラではなさそうですからねぇ。

 で、彼が突然変異の第二次人類だとすれば納得がいく。クゼ議員に話したのも自分と同じ体質ならば説明もできるでしょう。そして熱血魔の子だったシゲン=イスルギから生まれたカレンさんが第五世代と同等の体を持っているならば」


 だがそこで映像に浮かぶサンが挙手して異論を述べる。


『ですが、カレン=イスルギは生まれながらの走火入魔。普通の第四世代並みの身体能力と病を抱えていました。

 ユイトが生体強化学で助けていなければ生きてなかったでしょう。あなたの意見は間違いでは』

「ええ。ですから……完璧な体を、そんな欠陥だらけになるよう血魔卿が破壊したのでは?」


 以前……アズマミヤ都の最終決戦で、血魔卿はカレンを始めてみた時に言ったのだ。


――10か20年ほど昔に、シスターズの連中に頼まれて氣脈を壊し、いずれ走火入魔に陥り死ぬように計らった、!――


 ……カレン=イスルギは生まれながら第五世代相当の優れた肉体を持っていた。

 その能力の高さを妬み、嫉まれた結果――『シスターズ』のリーダー、マム=カルロッサによって壊された……年月が過ぎればいずれ死ぬように細工を施されて。

 それこそが……カレンの父親がシゲン=イスルギだとブロッサムに残して拳銃自殺した、ペギー事務長の自殺の理由ではないだろうか。

 

 なんの罪もない赤子の人生を、台無しにした――その良心の呵責に耐えかねて。

 

『ですが、なぜ』


 サンは信じられないと言いたげだ。

 彼女からすればそうだろう。第四世代のヴァルキリーは確かに生存するうえで大きなハンデを抱えていた。

 それに対してカレンがそういうハンデを持っていないなら生存に有利なはず。そのことを喜べばいいだけなのに。


 だが、そこは嫉妬とは無関心の人工知能だから理解できないのだとサモンジ博士は思った。

 

 自分たちと同じヴァルキリーなのに、カレン=イスルギには明るい未来が待ち受けている。

 自分たちと同じなのに……なんでこいつだけ、救われているのだろうか。


 だから、殺そうとしたのではないか。


 自分たちと同じ、本来なら背負う必要のないハンデを背負わせて。

 カレン=イスルギを借金まみれの中で赤貧に苦しませながら、最後には遺体さえ残さぬ死を与えようとしたのではないか。


 サモンジ博士は身震いした。

 執念深い憎悪に戦慄せざるを得なかったのだ。


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