第382話 血魔卿の問い



「知らぬ間にネズミが入り込んでいたか」


 その時投げかけられた言葉に、ぞくり、とユイトの背筋を強烈な悪寒が奔った。

 ばかな、という感覚。光学迷彩に加え、気配も音も消す殺功の技、生中な相手に気取られぬ修練の技が通じず。

 まるで茶飲み友達でも誘うかのような呼びかけの声には……確かに聞き覚えがあったのだ。

 その姿を視界に収めた瞬間――ユイトの全身を緊急事態とニューロンの雷光が駆け巡る。見誤るはずがない!!


「……血魔卿!!?? ばかな?! フットワーク軽すぎんだろ!!??」


 ユイトがこの魔人を最後に見たのは、アズマミヤでの一大争乱の最後の一幕。

 アズマミヤ都庁ビルから落下した姿が最後だったが、この魔人の姿を見ても――どちらかというなら納得の感情が大きかった。

 血魔卿は以前と同じいでたち、腰に差す剣こそ違えども油断なく構える姿には前よりも隙が見いだせなかった。

 この魔人がここにいるなら『フォーランド』の現地人、その支配階級と繋がりがあるはっきりとした証拠だ。

 正直意外とは思わない。悪党同士、どうせ話が合うのだろう。

 ブレードを引き抜き、構える。思わぬところで遭遇した以上、ここからどうやって生還するかに意識をシフトさせる。

 だが……この魔人は意外なことに片手を上げてユイトを制した。


「まぁ、待て」

「なにを」

「今、やつがれはうぬとやり合う気はないのでな。見てわかるだろう」


 ユイトは最初、この男の姿を見た時……3D投影装置で映し出された精巧な影法師だと思った。

 しかし目の前の男から発せられる内功を見れば、確かにこの男が本人であると分かる。


「見ればわかるだって? なにを……」


 見ればわかる……よくよく注視すると、確かに血魔卿の体には違和感があることがわかった。

 ……片方の腕、以前見た時に比べてその腕の気脈の流れが明らかに淀んでいる。四肢の一つを切断でもされない限りはこんな風にならないはずだ。だがユイトは欠片も油断しない。すり足で慎重に位置を変えながら、背中に発電装置を背負う形に持っていく。

 

「……腕でも落とされたか」

「その通りよ。

 ふん。なかなか奇怪な状況よな。やつがれは当然ながら貴様と立ち会えば勝てるだろう。それはゆるぎない」


 ユイトは相手の言葉に返答はしなかったが……しかし血魔卿の言葉は否定し難い。

 どこかで片腕を失い、気脈に衰えや不備が見られるものの……この魔人が未だ自分より実力上位であることは変わりない。事前準備無しで勝てると思えるほど、楽観視はできなかった。


「だがな、小僧。やつがれは確かに勝てるが……確率としては7割か、8割。優勢は変わらぬが……絶対ではない」


 それもまた正しい。

 実はこの状況……ユイトにとって決して不利ばかりではない。

 

 その一番の理由は背中に位置している発電装置だ。

 どれほど内功を消耗しようとも、後背の装置から無尽蔵に電力を引っ張り、消耗を回復できるユイトのほうが有利に見える。



……



 地の理はこちらにある――だがユイトは強烈な疑問を感じずにはいられなかった。

 ユイトは血魔卿の存在を……相手から呼び掛けられるまで察知できなかったのだ。ならば血魔卿は戦闘を始めるタイミングを自分で選べる優位性を自ら捨て去ったわけだ。正々堂々? あり得ない。この男がそんな綺麗事にかまけて勝機を逃すものか。


 もし血魔卿が声をかけなかったらどうなったか?

 ユイトはそのまま移動し、別の場所へと調査を続けていただろう。そうすればユイトはエネルギーの回復装置として利用できる発電装置の援護なしでまっとうに血魔卿と戦わねばならなかった。


 その程度のことを……この老練な魔人が理解できないなどあり得るのか?

 なにかある。

 だが、それが何かわからない――だからこそ警戒を解けないでいる。


「だからこそ、やつがれはいったん貴様とは休戦したいのだ。……悪い話ではなかろう。

 やつがれは完全とは言い難い体で貴様と戦わずに済み。

 貴様はやつがれに所在を暴露され、ここの神官どもと余計な小競り合いをせずに済む」

「たわけたことを。戦闘を避けたかったならば、そもそも俺に話しかけなどせず、見逃せば済むだろうが」

「はははははっ」


 血魔卿が笑う。

 だがその笑いには真意を見抜かれ狼狽するもの特有の焦りがない。

 ユイトの指摘は相手の狙いを捕らえたものではなかった。


「ならば一つ約束しよう。見逃してくれるなら貴様の質問になんでも一つ、真剣に答えてやろう」


 ……興味深くはある誘いだ。

 だからこそ相手の狙いがなにか、いったい真意はどこなのかわからない。この魔人がそこまで譲渡して何を得ようとしているのだ? 矜持も高いであろう男が、下手に出るなど、どんな罠が待っている? ユイトの脳裏は困惑の極みにあった。

 

「なんせ、嵐の騎手ストームライダーとの勝負で片腕を失う羽目になったのだ。これ以上の痛手は御免被りたいのでな」


 そして……ユイトは老練な血魔卿の欺瞞の中に隠された――核心的な問いかけを避けることができなかった!!

 

(兄さん?! レイジ兄さんが、そうか……俺たちの知らない場所で血魔卿と戦ってくれていたのか)

 

 血魔卿の言葉に……今や遠く隔たれた双子の兄弟の気遣いや優しさを感じ取り、ユイトはわずかに、本当にわずかに……喜びと安堵を唇に浮かべ。

 それを――血魔卿の拡張現実と、心理洞察プログラムが正確に見抜いていたのだ!!

 


 ユイトは一つだけ手抜かりがあった。

 彼にとっては嵐の騎手ストームライダーは確執を乗り越えて和解に至った双子の兄弟、親愛の対象だ。

 だが……この世の大勢にとっては嵐の騎手ストームライダーなど天災そのもの。頭上を早く通り過ぎてほしいと願うばかりの暴威の化身。親愛の情を抱くなど――あの怪物のヘルメットの下、人間としての表情を知らなければ抱きもしない感情のはずだ!!



 血魔卿は、かつて嵐の騎手ストームライダーから逃れる際、斬り落とした腕の痛みで眠れぬ夜を過ごしながら考えた。


(……やつがれにあの化け物は憎悪を向けていた。

 ……憎悪だと? あの事件でやつがれは多くを殺してはいなかった。痛めつけ、殺しかけたのはあのユイト=トールマンぐらいのはず。これまでの長い人生で買った恨みなど多すぎて特定は不可能だが……)


 この時、血魔卿の脳裏にはあやふやだが無視しえない直感が働いた。長い年月を生死の境い目で生きてきた霊感と言い換えてもよい。

 嵐の騎手ストームライダーの雷撃とユイト=トールマンの雷霆神功。両方とも雷。

 両者には何ら関係がないのか?

 だが、だからこそ確かめねばならない。

 あの化け物に刻み付けられた恐怖と恥辱の記憶、それを拭い去るには奴の断末魔をあげさせるしかないのだ。

 事実、今の血魔卿は100年ぶりに生死の境い目を掻い潜り、慢心はとうに消え、恐るべき仇敵を抹殺するためならば恥辱に塗れながら下手に出ることもためらわぬ手負いの獣と化していた!!


 そして確信に至る。

 ユイトの顔にわずかに浮かんだ喜びと安堵。

 友人か、親戚か、家族か――兄弟か。


 あの怪物を抹殺する手がかりとなる貴重な情報を……血魔卿はこの時に勝ち得たのだ。





「で。

 なにが聞きたい?」


 相手の問いかけにユイトは――背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 血魔卿の声には憎悪はなく、さっさと済ませようという淡々とした意志が感じられる。

 だが、何かまずい。なにか……血魔卿は必要な目的を達成したという予感がある。今すぐではない。だがこの失敗が巡りめって破局をもたらすのではないかという恐るべき予感があった。


 それでも……捨てきれない疑問がある。

 ユイトは口を開いた。


「……あんたとトバ=トールマン。

 その関係を洗いざらいだ」 

「なかなか核心をついてきよるな、小僧。

 よかろう」

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