第383話 逆鱗



「そもそも。あんたなんでこんなところにいるんだ」


 ユイトは発電機に背中を預けながら訪ねる。

 進められようとこの場所を動く気はなかった。今ユイトが持っている優位性の一つだからだ。そのあたりも分かっているのか、血魔卿は答える。


「やつがれはこんな島になど用はない、が。

 冷血魔は我が右腕に等しい。彼女からの数少ない要請よ」

「……吸血魔や熱血魔とはまるで扱いが違うんだな」


 皮肉を込めて刺すように放った言葉にも、血魔卿はまるで同様もせずに応える。

 ロナルド=ローとシゲン=イスルギ。

 その両名はこの魔人にとってはそれほど重要な相手ではないのだろう。

 血魔卿は答える。


「やつがれがそういう男など、最初からわかっていただろうが」

「そうだな……」

「さて。……トバ=トールマン、父親の事が知りたいか」


 正式にそうだと名乗った訳ではない。しかし同じ姓だ。それは気づくか、とユイトは頷いた。


「あんたの事やトバ=トールマンの事はアルイーお婆ちゃんから聞いている。

 記憶転写のシステムを作り、当時の金持ちたちに自分の魂の位置に関して大きな疑念を抱かせ、返老還童のため生体強化学を研究させたろくでなし」

「……ふむ。奴がろくでなしの畜生というのに異論はないが」


 ないのかよ、とユイトは呻いた。

 やはりトバ=トールマンに対する認識はユイトも、サモンジ博士も、アルイーお婆ちゃんも……血魔卿も大差ないようだ。


「ただ、奴ほど純粋な人間はいないぞ」

「純粋? 奴が? はらわたの中身がへどろ塗れの汚泥のどぶ川みたいなクソ野郎だぞ?」

「そうさな。そこに異論はない」


 吐き捨てるような声でユイトは答える。

 嫌悪と侮蔑の入り混じった言葉に、血魔卿は『そういう反応も、まぁ当然か』と頷いた。


「トバ=トールマンには夢があった。

 宇宙開拓だ。……増え続ける人工、環境汚染、食料危機。人類を養い続けられるリソースには限度があり、増え続ける人口を排出する捌け口が必要で。新しいフロンティアは宇宙に求めるしかない。

 やつがれの意見ではなく、当時トバ=トールマン自身が行っていた言葉だ」


 ふぅん、とユイトは興味なさげに呟いた。


「トバが専攻していた分野は『宇宙空間における人間の健康』に関してだ。

 危険な放射線、宇宙線による肉体の癌化。絶対零度、真空の宇宙空間。無重力空間による骨粗鬆症。

 人類が宇宙に生活圏を築こうとするならば、あまりにも異質な環境に適合するしかない。しかし……そもそも人類は2000万年もの歳月をかけて今の形になったが……人類はたった数千年程度の短い時間で宇宙へと飛び立った。

 あまりにも早すぎる進化速度のせいで、宇宙に適合する暇さえなかった。

 だからこそ奴は考えたのだろう。人類を強引にアップグレードする。そのための、生体強化学。

 人類を宇宙に雄飛させる。

 そのためならば人をどれだけ傷つけ苦しめても構わない。我が子であろうと自分の夢のためなら何をも犠牲にして良いと思っている。

 それが、奴よ」


 そのためならば……幼い子供だった自分をレイジ兄さんと引き剥がし。

 雷霆神功などという狂気の沙汰をやらせた。様々な悪行のせいで大勢の人間が不幸になり、苦しめられたのだ。

 血魔卿は言う。


「やつがれは奴が集めた生体強化学を会得することで無敵の力を得た。

 ただ。その際に一つ約束事をしておる」

「約束?」

「移魂接花大法。

 お前にとってはヴァルゴの意識をカズラとかいう餓鬼に移したあの技術よ」


 人間の記憶痕跡を他者に移し替え、肉体も、脳髄さえも他人が乗っ取る外法中の外法。

 あれか、とユイトは相手を睨む。


「やつがれは、奴に依頼された時、その指定された相手の体に意識を移してくれと言われている」

「……」


 ユイトはそこで嫌な予想が膨らむのを感じる。

 アズマミヤの争乱で血魔卿はユイゼン市長の記憶痕跡をユマ議員に移すために行動していた。意識を移せる対象は血縁関係者のみではないか、とカレンやレオナたちは推論を立てていたと、事件の後で話していたのだが……。


「血魔卿。その外法は近親者相手にしか使えないわけか」

「聡いな。ああ、左様。

 できれば施術を受ける人間は血筋が近ければ近いほどいいとされる。

 息子か、娘か……」


 顎を撫でて考える血魔卿の言葉にユイトは……父に対する落胆と失望をより一層強めた。

 ……トバ=トールマンの血縁者。その息子であるレイジと自分……やつは、そういう男なのだ。人類最強の雷撃能力者ボルトキネシス、雷霆神功を会得した自分。そのどちらかを利用して再び若い肉体を得ようというのだろう。

 だが、ユイトは耐えられる。

 怒りと嫌悪に全身を満たしながらも……繰り返した軽蔑と失望から激昂せずに自分を制御できていた。




 その一言を聞くまでは。



「あるいは




 激烈な憎悪が、ユイトの全身を支配した。

 血魔卿とは一時休戦だった。ここで面倒を起こしても神官どもに気づかれて厄介なことになるだけ。

 何もせずに耐えて帰ればいいだけのこと――そんな賢い計算などすでに消し飛んでいる。



 剣同士が激突する、強烈な金属音。

 


 横薙ぎにぶち込んだ切っ先が、血魔卿の受け太刀の半ばまで食い込んでいる。

 血魔卿は驚きつつも呆れたような眼差しでユイトを見た。


「おい。突然どうした。約束は」

「……約束破りなのは承知している……あまり感心できないふるまいなのは理解の上だ……」


 だがそれでも……それでも!

 忌まわしい父の視線が、血魔卿の魔手が!!

 カレンのお腹にいる自分と彼女の赤ちゃんの手に向くかもしれないと思うと――殺意を抑えきれそうにない!!

 全力で発電機から電力を引き上げ、全身よりばちばちと雷光を発しながらユイトは血魔卿に躍りかかる、


「だが……殺す!! お前を!!」


 脳天から吹き上がるような憎悪を前に、血魔卿は自分の発言のどこが地雷だったのかと首を捻り――胴と腰を生き別れにさせるような凄絶な横薙ぎの斬撃を飛び上がって避けながら頷いた。

 先ほどまでの呆れは消え、納得と同情の色が目に浮かんでいる。ユイトが激高したのはあの一言がきっかけ。

 ならば、その心情が理解できる。


「あぁー……なるほど。理解した。

 それは確かに……やつがれを殺すしかあるまい」


 血魔卿は亀裂のような笑いを見せながらユイトの剣撃を跳ね除け、笑う。

 

「祝福してやろう。どんな時代であろうとも子が生まれるのはめでたい。

 ……そして同情しよう。あんな祖父を持ったばかりに哀れなことだ」

「待て! 俺と戦え、逃げるなぁぁぁ!!」


 そうして撒かれるのはスモークグレネードの類だ。

 強烈に散布される噴煙を前にユイトは血魔卿を追おうと駆け出そうとするが――発電室内部で起きた異常事態を受けて、血魔卿の姿は室外の隔壁の向こう側に隠れていく。

 その時、耳元に血魔卿の声が響いた。伝音入密の秘術でユイトの耳もとに声を届けているのだろう。


「安心しろ、さすがに生まれたばかりの赤子相手ではあの大法は使えんし……やつがれは人殺しの畜生だが、それでもさすがに子供は気が引ける。

 施術には最低でも十歳以上だ。成人であればなお良い。それ以下だとうまく行かぬからさっさとトバを始末するがいい」

「くそがっ!!」


 完全に閉鎖された隔壁。

 一事の激昂と憤怒のまま、余計なことをしてしまった後悔で隔壁をへこむほどに殴りつけるが……この施設内部に聞こえる警報の音を前に悠長にはしていられない。

 血魔卿も、トバ=トールマンも始末する。

 後悔と決意を胸に、ユイトは全力で脱出のため来た道を戻りだした。




※コメントでムジュンにきづきましたが、たぶん実験的なことだったのだとあとで補足します!!(土下座)

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