第360話 五里霧中



 さっきユイトの後頭部を直撃した小石が、ふわり、と浮き上がりユイトの手に収まる。

 虚空摂物の技を用い、引き寄せたそれは次の瞬間、親指に弾かれ弾丸めいた勢いでネイトの影武者の女の喉笛を強烈に直撃した。


「ごふっ、ごほっ……!」

「やはり唖穴か……!」


 点穴術の中にある唖穴を突かれるとそれ以降は喋れなくなる。

 害を成す点穴ではないが、あとで解かないと呼吸が止まる結果を招くため、扱いには慎重を期す武功だ。


「た。助け……」


 ネイトの影武者が悲鳴をあげる。

 声を封じられ、全身を軍服型の強化スーツで遠隔からリモコンされているのだろう。

 涙を流しながら助けを請う姿に罪悪感がうずくが、ネイトとの会話を優先させた。


「……今のは点穴術。そしてさっきお前は、俺が『気脈を見る』と言っていたな。

 生体強化学。さしずめ冷血魔から伝授されたか」


 ネイトは返答をしない。


「まずはおめでとうを言っておくべきか。

 お前たちは俺たちと同じく生体強化学を手に入れた。これで俺たちの持っていた優位性は消えた。

 ……では、なぜ。なぜだ、なぜカレンを目の敵にする。なぜブロッサムの部隊を爆弾に仕立てた。

 なぜ俺たちにこうも敵意をむき出しにする」


 生体強化学を会得したならば、『シスターズ』も効率良くヴァルキリーの訓練が行える。以前のような過酷な死の選別などやる必要などない。しかしユイトの問いかけにネイトは歯を剥いたような憎悪の声を向けてくる。


『ヴァルキリーはね……死ぬべきなんです』

「……は?」


 ユイトの拡張現実にのみ聞こえてくる声に、意味が分からず思わず聞き返した。

 ヴァルキリーの育成を専門とする傭兵組織のトップ層が言うセリフではないはずだ。ユイトは目を細め、油断なく身構えながら問いかけを続ける。


「じゃあお前も死ぬのか」


 冗談でもなんでもなくユイトの台詞は本心である。

 そんな危険なことを言いだす有害な人物は真っ先に消えてほしい。もちろんだがネイトの言葉は、ユイトの本心に頷きなどしなかった。


『もちろん。ですが、すぐではありません。『マスターズ』も『シスターズ』も。そして『フォーランド』に住む全てのヴァルキリーを全部、全部抹殺し尽くしてからです』


 そんなこと、できるはずがないし割に合わない。

『マスターズ』も『シスターズ』もかなりの量のヴァルキリーが所属する傭兵組織だが、全てではないはずだ。

 例え人為的に生み出された生体兵器の末裔だとしても、ひとつの種を滅ぼすことに何の意味がある? それになによりネイトもまた傭兵組織のトップなら、自分たちの組織の土台である構成員を皆殺しにするなんてことの愚かさ、わからないはずがないのに。


 わかったのは……少なくともこのネイトはちょっと正気ではない。

 企業人のような打算や欲得では動かない。正気では到底考えつかないような頭のおかしいイカれた理屈で動いている、そう判断した。


「わかった。じゃあ……最後に一つ聞きたい。

 ……おまえ、カレンの事をどう思ってる」


 その言葉を受けて、通信の向こうのネイトは少し沈黙する。己の中にある激しい感情の渦をどう言葉にすればいいのか、少し悩んでいるようだった。


『彼女は……生まれが悪かった。

 あの両親の子でなければ。普通のヴァルキリーであったなら……』




「ま、マスター、敵が引くみたい」

『どうしよっか』

「……警戒は維持。俺はあの影武者を診る」

 

 ……気配が薄れていく。

 ネイトの影武者の護衛……あるいは見張り役と思わしき、光学迷彩のヴァルキリーはゆっくりと後退していったようだ。

 ただの会談で終わるまいと半ばは予想していたが、想像よりはるかに剣呑だった。それでも一発も弾丸を撃たずに済んだのだから、まずは良しとすべきか。

 ユイトは携帯端末での録音を確かめる。あのネイトというヴァルキリーの音声から、心理分析にかけるためだ。

 だが、この分だと「イカレてる」という心理分析などのド素人のユイトでさえ察しのつく結果しか出てこなそうだ。


「……結局、ベギー事務長の死の原因、カレンの父親である熱血魔の真相を暴かない限り連中の事情は分かりそうにないな」


 その内部事情に一番通じている相手には心当たりがある。

 カレンの気脈を壊し、熱血魔を差し向けた仇敵、血魔卿だ。


 もちろん難敵なので迂闊に相談などできるはずもない。

 結局は、未だ五里霧中の中にいるままだ。


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