第352話 悲しみの処方

 

 耐えきれないほどの悲しみに……常に一定の効果が見込める有効な処方箋は――時間である。

 だがブロッサムと彼女の小隊員たち、生き残った仲間はただ悲しみに沈んでいることを止めていた。


 今、彼女たちの戦場は、傭兵家業によくある銃弾の行き交う戦場ではなく……安全で清潔なオフィス内での遠距離通信だった。


「ええ、ええ。そうですよぉ。あたくし様たちの言葉が信じられないのも無理はないですけど」

『仲間を爆弾にしたってのは信じたくないけど……それよか訓練してもほとんど脱落者がいないなんて……』


 現在、『シスターズ』は苦境にある。

 そもそも当該企業にとっては『マスターズ』の訓練内容が公になればなるほど、立場が苦しくなるのだ。

 ……『シスターズ』が隊員を内功に目覚めさせるための手段は死さえあり得る過酷なまでの鍛錬。対して『マスターズ』は内功に目覚めた有段者による導きや座学を基本にしている。

 誰だって、楽に強くなれるならそっちを選ぶだろう。

 だからブロッサムは――ひそやかに『シスターズ』に在籍している仲間と連絡を取り、新米ヴァルキリーたちの中で死の選別から脱落した……あるいは恐怖から諦めた人間を『マスターズ』に勧誘するように手配をしていた。

 どのような組織であろうとも新しい人材が入ってこないのは痛手になる。

 今までヴァルキリーにとって唯一の立身出世の手段が『シスターズ』で実力を身に着けて傭兵として大成する――そこに新しい選択肢が現れ、しかも易しいのだから『マスターズ』に集中するのも当然の流れだろう。

 敵視するのは、わかる。



 だが、その為に取った手段が同胞を爆弾にするという外道そのものだった。

 

 ブロッサムにとっては古巣ではあるが、潰すことにもう躊躇ためらいはない。






 そんな風に『シスターズ』から新規のヴァルキリーをこっちに引っ張るという地道だが効果的な社会ソーシャル攻撃を繰り返していたブロッサムたちは……目の疲れに聞くブルーベリーのジュースをラッパ飲みして蒸しタオルを目元に当てて休憩を取っていたさ中に……その朗報に出会った。


「お、おお、お姉さまが……妊娠?」

「したわ!」

「させたぞ」


 何やらカレンお姉さまを大切な宝物のように抱えるユイト。その上で上機嫌で親指を立てるカレン。

 その姿にブロッサムは沈黙した。

 思い起こすのは『シスターズ』内部で、死の選抜に必死にしがみついていた自分。その自分の襟首を掴んで立たせて引きずるようにして合格に導いてくれた姿だった。


「おめでとうございます、カレンお姉さま……それはそうとしてユイト=トールマン……てめぇ……」


 ブロッサムにとってはカレン=イスルギは敬慕すべき対象。その彼女に手を出し妊娠させた男と思うと悔しいやら腹立たしいやら。

 ただ、ブロッサムはちょっと腹を立てたものの……それ以上何か言うのはやめた。


 彼の腕の中にいるカレンお姉さまは間違いなく幸せに満ち溢れていたからだ。

『シスターズ』ではダメだった。あの組織の中でカレンお姉さまは氣血の暴走によって仲間の顔を焼いてしまった。

 生まれながら経脈に欠陥を持ち、いずれ絶命に至るとわかっていても、あそこの医療技術では完治不可能だと思っていたのに。


 今では子をもうけ、恋人を得て幸せそうに笑っている。

 あの時、『シスターズ』を追放され、背中を見送るしかできなかった人が幸福を掴んでいた。


「お、おねえざまああぁぁぁ~ああっと!!」


 感極まってカレンに抱き着こうとしたブロッサムだったが……そこで彼女が妊娠していることを思い出す。

 途中で自分自身にブレーキをかけてバランスを崩し、地面に激しくぶっ倒れる。

 が、がばりと跳ね起きた。カレンはユイトの腕からひょいと降りると……そのままブロッサムをまるで昔のように穏やかに抱きしめてやるのだった。



 

 この数日の間、ブロッサムは『シスターズ』に対する復讐心からずっと離反工作に従事していたが……カレンの妊娠を聞きつけて、不意に肩の荷が下りたような感覚を覚えたのだ。

 まるであの日、見殺しにするしかなかったダリアの……死んだ友人の魂の一かけらが赤ん坊を形作る何かになって宿っているような、そんな心持ちになった。新しい命の芽生えを受けて、ブロッサムは罪悪感がわずかに和らいだ気がした。



 ブロッサムはカレン=イスルギが『シスターズ』を離れてからの事を聞く。

 

 友人の顔を焼いてしまい、その治療のために多額の借金を抱え込んだこと。

 そのさなかに薬死ヤクシのマンハンター部隊と遭遇し、ユイトと出会って経脈の異常が快癒したこと。

 だが、会話の途中でブロッサムははっきりと不自然な点を見つけて口を挟む。


「……お姉さまが顔を焼いてしまったのって……同期のヴァルキリー、ネイトですよねぇ?」

「え? ええ、そうだけど」

「……あいつ、顔の治療再生は完全に行っていませんでしたよぉ」


 カレンは言葉を呑む。

 己の喉奥に冷えた鉛の塊が下っていくような……ひどく不快な感触を覚えた。自分の内功が暴走し、走火入魔へと陥ってしまったあの時の犠牲者。だが何度か行ったビデオ通話では完全に顔の傷跡は修復されていた。あの時、完全に顔面筋が回復せずに引き攣ったような笑みになってしまう彼女に罪悪感を何度も感じていたのに。


 ……直接会った訳ではない。

 今の時代、顔の映像を修正しようとすれば簡単なはず。


 だが、そんなことをする意味がわからない。女が顔を焼かれたのだ。優れた美容整形の技術があり、それを受ける資金だってカレンが出したのだ。

 なぜ治療しない? 美貌を取り戻すより大切なものが、ネイトにはあったのだろうか?

  





 それは、計画を進めていたものにとっては予想通りに。

 多くにとっては唐突に始まった。



 地上から宇宙を監視するレーダーサイトはその日も宇宙からの落下物を見張り続けている。その日も同様に地上へと降下する物体を捕らえた。

 

 こういうことは、たまによくある。

 宇宙を漂う人工衛星がスペースデブリに激突して周回軌道を外れたか。あるいはなにかの拍子で内容物が爆発して成層圏から落下を始めたか。そういう意味ではごくありふれた異常事態だった。

 レーダーの監視官はその隕石が……人類の生存圏とモンスターによって埋め尽くされた『フォーランド』との境目、カサイ都の『壁』の向こう側に落下すると確認すると緊張を解いた。

『フォーランド』はもはや化外の地。生存者は誰も存在せず隕石が墜ちようが被害はない。落下地点も地上で、津波を引き起こす可能性もなかった。

 どこにも緊急警報を伝える必要はない。監視官は安堵の息を吐きながら――コンピューターのはじき出す落下予想時刻を見やる。


「はーち、なーな、ろーく……」


 ゼロになる瞬間にどこかで大きな地響きが起こるのだろうか。


「にー、いーち……ぜーろ」


 ちょっとした遊び心で数を数えていた監視官は――突如としてコンピューターが地面との衝突を示す音と表示がなされていないことに気づいた。

 計算した落下予想時間がずれた? 馬鹿な、と思った監視官はデータログを慌てて確認し、絶句する。


「減速……だと?! 馬鹿な!! 生きている衛星軌道からの投下物サテライトドロップだっていうのか!」


 即座にコンソールにとりつき計算を再開する。

 減速……明らかに単純な落下物ではなく、こいつは『着陸』しようとしている。落下予測地点を再計算。先ほどと堕ちる場所はそう大差ない。『フォーランド』のままだ。



 だが、この衛星軌道からの投下物サテライトドロップはこれまでの自然落下物とは違う特別な意味を持っている。

 この地球の衛星軌道上には機能を保持したままの施設がまだ残っており。

 人間の生存者など一人もいないはずの『フォーランド』に、荷物を受け取るだれかがいるという意味でもあった。

 それは『企業』や『上』の言い続けてきた『壁』の向こう側には人間の生存者など一人もいないという常識を真っ向から覆す内容だった。


 監視官は備え付けの電話ですぐさま通話を始める。

 彼の権限では手に余る異常事態を前に、努めて冷静さを意識する。


「本日未明に衛星軌道からの投下物を確認しました。

 間違いありません、RS-Ⅱです」 







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る