第351話 その姉弟に手を出すな


 レオナとアンジェロの二人は、『ブルー』内部にある食堂で共同して組織運営の仕事をしていた。

 カレンやブロッサムの仲間達は、三か月前の一件で心に深い傷を負ってしまっている。特にカレンは知らぬ間に父を殺害していた事実に衝撃を受けていたから、レオナはなるべく彼女に負担の少ない仕事を割り振り、自分で大変なほうを担当してばかりだった。


 そんなカレンが……ユイトと手を繋いで、これまでと違うおだやかで暖かな幸せを微笑みの形で顔に浮かべていた。

 レオナはアンジェロと顔を見合わせてから、二人に話しかける。


「あら、カレン。どうなさいましたの?」

「ぼくとお姉ちゃんの二人でちょっと珈琲入れて休息してました。いかがですか?」


 その言葉に嘴を挟んだのはサンだった。


『カレン』

「なによ?」

『カフェインの摂取は問題ありませんが、妊娠期間中はカフェインを代謝する時間が長くなります。

 一日300mgを目処にしてください』


 妊娠したからと言って珈琲を控える必要はない。その意味合いの言葉を受けてレオナは……牛乳パックから注いでいたミルクが、コーヒーカップからあふれ出すのにさえ気づかずに二人を凝視した。

 アンジェロが牛乳をハンカチでぬぐう中、レオナは深呼吸して言った。


「カレン……」

「ええ」

「……あの。その……つ、つかぬ事を伺いますけども。

 その……ゆ、ユイトと赤ちゃんできるようなことをなさったの?」

「い~でしょ~www」


 とあからさまにからかうような満面の笑顔を浮かべたカレンに、レオナはちょっと顔を赤らめたけど……にっこり微笑んでアンジェロと両手でハイタッチした。そうして二人はにっこり微笑みながら祝福の言葉を述べる。

 

「ええ、本当に素敵ですわっ!」

「お、おめでとうございます、ユイト様! カレンさんっ!!」


 カレンは照れ臭そうに俯いた。性的なことに関して初心なレオナについついいつもの癖でからかいの言葉を発したけど、まっすぐな祝福を受けて困ってしまう。

 そうしてからレオナはぽんと手を打つ。


「それで、結婚式はなさるの?」

「結婚式......ってなによ」

「『上』の行事でな。親戚や友人を呼んで大きなパーティーを開くんだ」


 この場で唯一『上』出身ではないカレン一人が疑問の声を上げた。

 今の時代、結婚式は物質的にも精神的にも余裕のある『上』ならではの行事だった。違う家の男女が新しく家庭を持つ際、親族にそれを伝え、祝福を受け取る催事として式をあげる。

 ただ地上の場合だと結婚しても式を挙げたりはせず、役所の手続きと内輪の仲間同士でちょっとしたパーティーをやる程度に収まっているのがほとんどだ。

 ユイトとカレンの恋人たちはお互いに顔を見合わせた。


 もし式を挙げるなら……どうしても呼びたい人が一人いる。


「なぁ、レオナ。……こういう催事に兄さんを呼ぶことはできるかな」

「あっ……そう、ですわね。レイジ様にも来てほしいですわよね」


 レオナも目を伏せ、考え込む。

 ユイトにとってはレイジ=トールマンは様々な軋轢を乗り越えてようやく和解を果たした肉親だ。カレンにとっても『弟を頼む』と託してくれた相手だし、先のアズマミヤの大争乱ではいろいろと世話になっている。

 心情的にも是非祝福してほしい相手だが……その重責を思うと、例え双子の兄弟の目出度い日にさえ来てくれるかもわからない。

 世界の平和を維持する重しのような嵐の騎手ストームライダー。だが世界の平和の代わりに個人としての自由や幸福などのすべてをないがしろにされているようにしか思えないのだ。


「兄さんなら普通に来てくれそうなんだが」

「リモート出席でも構いませんかしら? わたくしで段取りを付けますわよ」

「案の一つにしよう。ほんとに……顔を出してくれるなら何でもいいんだがなぁ」


 嵐の騎手ストームライダーの正体は『上』でも最重要機密。

 もし彼がネットワークで長時間どこかに接続しているなら、彼の正体を探ろうとする人間がユイト達に目をつけかねない。心苦しいが兄を呼ぶのは難しそうだ。


「レイジさんを呼べないなら無理して式をする必要はないわよ」

「そうだな……」


 二人の結論に、痛まし気な顔をするレオナだったが、アンジェロはふんすと気合を込めて言う。


「なら、ぼくが気合を込めてお祝いの歌を歌わせていただきます!」

「あたしもそれは本当に楽しみよ、ありがとう。アンジェロくん」

「今からでも胎教のために歌わせていただいても構いませんよっ」

「アンジェロ、それはかなり気が早いですわよ」


 レオナがカレンのおなかに目を向ける。

 一見して妊娠しているようには見えないから、まだ妊娠の初期段階のはずだ。

 

「ただ、カレン。それとユイト。

 これからお二人はお腹の赤ちゃんとカレンの健康を第一に考えていただきますわよ。

 特にカレン! 激しい運動は控えなさいな。酒にたばこは……元から嗜んでませんわね。このまま健康を維持すること」


 至極もっともなレオナの意見には二人とも否はない。深々と頷いた。


「細やかな事はアルイーお婆ちゃんと彼女の弟子たちのお婆ちゃん軍団に伺うとして……なんていうのかしら。心がふわふわして地に足がついてない感じなのよね」


 カレンはユイトとお互いに肩を寄せ合いながら正直な感想を述べる。

 体の中すべてが幸せという気体でいっぱいになってお空の果てまで舞い上がりそうな夢見心地なのだ。


「あ、あの……ユイト様」

「うん?」


 ユイトはそこでアンジェロが何やらもじもじしている様子に気づいた。


 いやなよかんがする。


「カレンさんのご妊娠おめでとうございます。

 もし、そういうことをなさりたくなったならぼくがお手伝いさせていただきますねっ」

「待て」


 嫌な予感がさらに膨らむ。頬に手を当てて顔を赤らめながら照れている様子のアンジェロ。ユイトは手を伸ばして彼(?)の肩を掴んだ。


「アンジェロくん。君は何を言ってるのかな?」

「え? だって、カレンさんはご妊娠でしょう? つまり、その……男女同士で仲良くするアレはできないんですよね?

 ぼくは純粋な男性ではありませんからわかりませんが……その、できないと大変おつらいと聞きましたし」

「いや我慢ぐらいなんでもないよ?!」


 ユイトは思わず叫ぶ。

 カレンはレオナを見た。視線で『タスケテ』と訴える。

 だがもともと性的なことには初心なレオナ。最初こそ弟であるアンジェロの発言の意味が良く理解できなかったようだが、気づくとゆでだこのように真っ赤になってしまった。


「あ、あ、アンジェロ、あなたなにを言ってますの!? お姉ちゃんは許しませんわよ?!」

「え? でもお姉ちゃんはエッチなことは苦手なんですよね? ぼくがユイト様と練習しますのであとでコツを教えてあげますっ。

 それにお姉ちゃんは『マスターズ』の教官をしていますし。カレンさんと妊娠の時期が重なって二人とも動けない時期があるのはまずいと思うんです」

「微妙に正しい意見を聞きたいわけじゃありませんわよ?!」


 微妙に正論に見えて根本的な部分を間違えているアンジェロの言葉にレオナの羞恥心は燃え上がる一方だった。

 拳をふるふると震わせ、レオナはユイトを睨む。


「あ、アンジェロには優しくしないと許しませんわよ!!」

「いやしないよ我慢するよ?!」

「もちろんわたくしの時も優しくしないと承知しませんわよ!」

「気が早いね!!」


 ユイトもカレンとそういうことをする関係にはなったし、レオナも自分のことを嫌ってはいないと知っている。

 しかしそれでも男女が一線を越えるにはふとしたきっかけという必要で、レオナとはそういうのはまだない。

  

 雌雄同体のアンジェロの大胆発言を前に、レオナはその発言のふしだらさを叱り。

 もともとユイトを慕っているアンジェロは姉のお叱りがご不満な様子で。


 二人の白熱する口論を前に、ユイトはレオナに指示された通り母体第一のため、カレンをそっとやさしさの溢れる丁重な動作で抱え上げて、足音を消してその場から逃げ去るのだった。



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