第350話 おかあさんをさがせ


 まぁうん。

 確かにそういう事はした。

 そういうことになってもおかしくはない。喜ぶべき慶事であった。

 ただ、ユイトもカレンも、あまりその言葉が自分たちのものになると思っていなかったのだ。


 ユイトは『上』の出身であり、追放された人間で。

 カレンは生まれながらハンデを背負ったヴァルキリーであり、多額の借金を抱える身だった。

 

 二人とも、どこかで子供などできるはずがないと醒めていたのかもしれない。

 お互いを愛し、慈しんでも、邪悪な運命の神が二人に訪れるはずの幸福を台無しにするのではないか。

 誰か愛する人と結婚し、家庭を持ち、子供を設ける。

 人が『幸福』と聞いて真っ先に思い浮かべる形はそれだろう。そんな人としてもっとも喜ぶべき幸せが自分たちに訪れるなんて、二人ともどこかで信じ切れていなかったのだ。



 カレンは、無意識のままおなかを撫でた。

 ここに、子供がいるのか……妊娠の初期段階でまだ目立って膨らんでいる訳ではない。けれどもそうと自覚すると、暖かく柔らかなものがそこに宿っている感動で……無意識のまま涙をこぼした。


「あたし……ママに、なったの?」

「俺も、パパになったのか」


 ユイトとカレンの二人はお互いに視線を交わして抱きしめあった。

 自分たちと無縁のはずだった喜び。

 戦いを生業とする自分たちだから……子供を設ける経験なんて得る暇もなく、どこかで流れ弾でも喰らって死ぬのかと思っていたのに。こんなにも喜ばしいことが自分たちに起こった事が信じられなくて。

 これが心地よい、ゆめまぼろしの類でないかと怖くなり……お互いの肌と鼓動で、これが夢ではないと実感した。


「は。はは……そうか」


 ユイトの頬を滝のように涙が伝う。

 父親になった――そう考えると脳裏には一抹の不安がよぎる。

 頭に浮かぶのは養父トバの顔。何かと拳骨の飛んでくる冷厳な父。自分が知る父の姿は奴で、果たして自分がいい父親になれるのだろうか、と不安になる。

 いやいや、とそんな不安を意識を切り替えてかき消した。

 確かに自分に技能や知識を教え込んだのはあの養父だが……ユイト=トールマンが初対面で見ず知らずだったカレンを助け、ユーヒとマイゴに弁当を与えて手を差し伸べ、レオナとアンジェロを救い……そして自分を殺そうとした兄さえも許したその優しさは、父から受け取ったものではない。


 ユイトはこの時、父のくびきから放たれた。

 俺を慈しんでくれたのは風車村の村長たちや心優しい老人たちであって、あの父ではない。

 あの村で自分が愛されたような愛を、今度は自分が我が子に与えてやればいいのだ。


「お母さん、か。あたしうまくやれるかな」


 カレンもまた、ある種の不安に苛まれていた。

『シスターズ』という組織で厳しい選抜の中を必死になって生き抜いてきた。習い覚えたのは間違いなく殺法の類であり、暖かく柔らかな愛を受けた記憶がない。

 ……いや、ないわけではないか、と考え直す。

 マギー教官はカレンにとっては厳父のようでもあり、強大な庇護者のようでもあった。あの人のように振舞えばきっと悪くはならないはず。

 どちらも親に恵まれなかった二人が、我が子の存在を知り共に考えたのは……自分たちの生い立ちが、我が子の幸せを阻害する原因にならないかという不安であり。



 その、我が子の未来を想う心を最初から備えた二人は、親にとって一番重要なものを持っているのだと。

 まだ、どちらも気づいていなかった。




「お父さんか」

「あたしはお母さんね」


 ……不思議な感慨の中で二人は天井を見上げて呟いた。

 ご懐妊となると、エッチな事は絶対厳禁である。予定が変更になった。どういう意味かは絶対に聞かないでほしい。


 さて。

 当然ながら二人とも親になることは生まれて初めてなので、先達に話を聞こうと思ったが……。


「俺たちの知り合いに意外と既婚者いないな……」

「あはは、びっくりね」


 クゼ議員とマコ=ウララは割といい仲だとは思うが、子供はいない。

 ならば亀の甲より歳の甲。ユイトとカレンはアルイーお婆ちゃんに電話を掛けた。


「もしもし」

『お、なんじゃなんじゃ。今わし弟子のお婆ちゃん軍団と飯に行っとるんじゃけど』

「「あ」」


 ユイトとカレンの二人は……そういえば今マスターズには大量のヴァルキリーを育成するために、アルイーの直弟子に当たる第二世代のお婆ちゃんヴァルキリーがたくさん来ているのだった。

 人数も十名以上いるし一人ぐらいは既婚者がいるに違いない。

 その反応にアルイーは訝し気な声を上げる。


『……なんでわしが反応した途端、うぬら何かに気づいたような声あげとんの?』

「いや。電話かけた時点でお婆ちゃんはもう用済みなことに気づいただけなんだ」

『なんでじゃ?!』

 

 突然シツレイな口を叩かれてアルイーは愕然としたが、さすがに質問もせぬまま電話を切るのもどうかと思ったのでカレンは変わって尋ねる。


「ねぇアルイーお婆ちゃん」」

『う、うむ。なんじゃ』

「お婆ちゃんって母親になった経験はある?」

『ん? んー。なかなか妙な質問じゃの? 

 ……子供を産んだ経験があるかどうかなら無しじゃな、武功を極める上で処女神功は効率が良かったでの。

 子供を育てた経験があるかどうかなら、あるの。こう見えて今食卓を囲んでいる婆の何人かはわしが抱っこ紐で繋いでガラガラ回しとったんじゃぞ』


 なら育児についてはプロフェッショナルではないか。ユイトとカレンの二人は、アルイーの事を後で師匠と呼ぶことに決める。

 そんな妙な質問を受けたアルイーは言う。


『で……なんかあったんか、そなたら。妙な質問をしおってからに』

「いや。カレンが妊娠したんだよ」

『ほぅ』


 その言葉を受けてアルイーは生返事を返し。

 しばし十秒ほどの間、言葉の意味を反芻して……ようやく頭が理解に至ってから、アルイーは叫んだ。


『先に言わんかこのバカーー!! 

 ……おめでとう!! おめでとう!! おめでとう!!


 ほんとうに……おめでとう!! 


 ……おうおぬしら、酒持ってこーい!! 掛値なし文句なしの目出度き日じゃー!!!』

 

 途中で感動のあまり涙声になっているアルイーの声を聴きながら。

 ユイトとカレンは――ついつい、もらい泣きしてしまった







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る