第346話 もう一度地獄へ落とす


 突然、父が想像よりもはるかに大物だったと聞かされてユイトは目を白黒させる。

 隣のレオナが言った。


「……トバ博士が、生体強化学を会得した達人なんて話、わたくしは聞いたことありませんわよ」


 考えてみればレオナも、アンジェロも当時『上』にいたトバ博士が手掛けた人間ではある。

 優れた科学者の功績は知っているが、超人ではなかったはずだ。アルイーもそこは否定せず頷く。


「そこはそうじゃな。あやつはあくまで生体強化学の知識を文章の形にして手渡しただけ。奴自身は普通の人に比べれば動けるが、戦闘のプロではなかった」

 

 そこは間違いないとユイトも納得する。

 生体強化学を学んだ今なら、養父トバの力は一般人の範疇を出ることはなかっや。


「それに……もう親父は死んでる。気にすることはないさ」

「あ、すみません。我輩そこんとこ詳しく聞きたいのですが」


 だがそこでサモンジ博士が挙手して質問する。なんだろう、と首を捻るユイト達の前で彼は言った。


「頭は潰しましたか」

「え」

「頭は潰したかどうかです。今の時代、そこが重要ですぞ」


 ……まぁ、そうだ、が……ユイトは――兄レイジとアウラ姉さんにそこまで細かいところは確認していなかったと考える。


「サン、ちょっとRS-Ⅰを介して確認を頼む」

『了解しました。……アウラとコンタクト……確認終了。至近距離で胴体にレールガンの直撃を与えたそうです。

 頭部が無事か否かに関しては――未破壊だそうです』


 まぁ、そうだろう。

 あの時のアウラ姉さんはレイジ兄さんを保護するのが一番の目的だった。絶命確実の重傷を与えておきながら、わざわざ念入りに頭を潰す必要などない。


 だが……義眼の下の口元を苦悩にゆがめ、深刻そうな雰囲気で黙り込むサモンジ博士を見ると、ユイトの脳裏に嫌な予感が湧き上がってくる。

 博士は、不吉な予言をどう告げるべきか悩み抜く予言者のように苦悩を浮かべて口を開いた。


「……ユイトさん、実はね。

 トバ先生なんですが」

「……なんだよ」

「あの人、カドケウス・ライフガード社のCEOなんですぞ」

 

 ユイトはちょっと黙った。

 ちょっと黙って……その言葉が意味する深刻な事態にたっぷりと沈黙した。

 横で黙って聞いていたレオナが手を上げる。


「……カドケウス・ライフガード社は世界有数の巨大企業ですけど、そのトップの正体は『上』でさえ掴み損ねていたと聞いてますわ。

 本当、なんですの?」

「真実じゃ。

 正確には……わしの知る限りじゃと、トバ=トールマンの思考パターンを入力されたAIシステムが社長業務を代行していると聞く。

 わしはてっきりあの男も寿命でくたばったものかと思っていたんじゃが。

 この数年の間までまだ生きていたとは思わなかったの」


 サモンジ博士への質問に、アルイーが変わって応える。

 だがそれを横で聞いていたユイトは嫌な予感がどんどんと膨れ上がっていくのを感じた。

 地上でも最大の権力者である大企業のCEOの地位を捨て、あんな山奥で普通の運び屋をやっていたあの男。

 ユイトも、レイジも、彼をただ『上』から追放された科学者だとしか思っていなかった。だが彼がカドケウス・ライフガード社のCEOであったなら、当時から最先端の医療用インプラントを持っていてもおかしくはない。

 ユイトは思い出す。確かに風車村を離れて一番近くのカタクラ都に寄った時、あいつは半月ほど姿を消すことがあった。その時に最新鋭のインプラント手術を受けたと説明がつく。


「……だが、いくら延命用のインプラントをつけていたとしても、限度はあるだろう」


 サモンジ博士が何を言いたいのかユイトにもわかった。 

 養父トバの生存の可能性を、彼は論じているのだ。

 その嫌な予想を否定しようとユイトは言う。

 一度失われれば二度と取り返しのつかない記憶の消失が今の時代の『死』だ。

 いくら高度なインプラントを搭載しようとも、電源の切れた状態で放置されれば死ぬだろう。


「それに風車村は当時、ネットワークに接続されていない僻地だったんだ。

 親父の体に生命維持のためのインプラントが施されていたとしても、ネットワークに接続されていないなら救難信号も受信されず、そのまま電源を失って脳の保護機能も停止し、完全に息絶えたはずだ……」

「ユイト……あなた大丈夫ですの?」

「大丈夫? ……どうかな、冷静じゃない。

 親がくたばっても特に心も痛まなかったが、生きている可能性に怖さを感じるなんてな」


 妙なものだ、とユイトは考える。

 幼い頃に受けた暴力や言動、果てには自分の死さえも論外と言わんばかりのバカげた雷霆神功を教えた冷淡な態度に恐怖と怒りが同時に湧き上がってくる。


 サモンジ博士は少し考え込んで尋ねた。


「ユイトさん。それでは、トバ博士が殺害されてから、三日。

 その間に『カドケウス・ライフガード社』のヘリが近隣を飛行していない――そういう確証がありますかな」


 その言葉を受けた瞬間――ユイトは己の背筋に氷の刃が突き刺さったような悪寒を覚えた。




「……あった。一度、カドケウス・ライフガード社のヘリが、近隣を飛んだはずだ」





 兄と決別したあの運命の日。

 風車村では、嵐の騎手ストームライダーによって怪我人が大勢出た。

 その際に村人や村長は怪我人を緊急で搬送するために連絡したはずだ。そして――カドケウス・ライフガード社のヘリが風車村に訪れた。

 と、なれば当然風車村の近くをヘリが飛んだはずだ。 

 ……あの時は強烈な雷雨で通信障害も出ていた。もしかするとトバの遺体から発信される救難信号を見過ごしていた可能性もある。

 ……だがトバがカドケウス・ライフガード社のCEOだとすれば、最新のテクノロジーをふんだんに使えたはずだ。

 サモンジ博士が義眼を赤く発光させながら言う。


「……生存の可能性があるわけですね?」

「否定しきれない」


 レオナが息を呑む。彼女からすれば自分を手掛け、アンジェロの『パフューマー』インプラントを組み込んだ男。いわば自分たちの運命を決定づけた相手がまだ存命かもしれないと聞かされたのだ。

 ただレオナは……ユイトのその顔に不思議そうにする。


「ユイト……その。お父様が生きていらっしゃるかもしれないと聞いて、あまり嬉しそうではないのですわね?」

「いや、レオナちゃんや。わしには青二才の気持ちがわかるぞい。……トバ博士はわしの知る限り世界一の知恵者じゃったが、世界一虫の好かん男じゃった」

「知性に関しては……我輩では到底勝てぬほどのお人でしたぞ。ただ天は二物を与えずといいますか。謙虚や思いやりという言葉は彼にはありませんでしたねー」

「……みんな口をそろえて悪口を仰いますのね」


 さすがにレオナも実際にあった事のない恋人の父親が、どれほど人間として破綻しているか口をそろえて言われたので顔をひきつらせた。


 ユイトは……大きく呼吸して気持ちを入れ替える。


「まぁいいさ。前向きに考えよう」

「前向きに、ですの?」


 ああ、とレオナに頷いた。


「今度こそ。

 あいつをこの手でぶち殺す喜びを味わえると、そう思うことにするよ」




※次回で間章完結いたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る