間章
第340話 悪心の芽
ぷつん、とレイジは己の肉体にあった重要な何かとの接続が失われたのを感じた。
時間は夕方か、夜か。最初、それを感じた時には違和感を覚えたし、RS-Ⅰに依頼して自分の肉体に異常がないか確認もしてもらっている。
健康上の問題は何もなし。
ただ……レイジはその後で『極秘』と記載されたファイルを閲覧する権利を得る。
「…………」
「レイジ様」
副官であるクロエが心配げに尋ねてきたが、レイジは眉間にしわを寄せたまま返事ができなかった。
クロエは……今回、ユイト達が関わった一連の事件の報告をうけている。その際にユイト=トールマンが
レイジはその文章のすべてを読み終えて……己の両腕が戦慄いているのに気づいた。
自然と口からはすでに死亡した父への罵声が飛び出てきそうになる。
幼い頃、力に目覚めなかった弟は地上に降りた。幼少期、弟と一緒にいられなかった一番の原因が……父の計画通りだったわけだ。
ばちんっ!! と、レイジの手の中にあった書類が青白い雷光に打ち抜かれ、一瞬で炭化し粉のように燃え尽きる。
「あの男……もう父などとは呼ばん」
ぞっとするような低い声。愛されたいと願っていた相手の裏の顔を今改めて思い知り、いまいまし気に吐き捨てた。
そのままレイジは大きくため息を吐く。
「クロエ、戦闘訓練室を開けてくれ。
これで合点がいった。わたしは……ある程度弱くなっている」
「えっ……レイジ様、それは」
一個人の異能の力とは思えないこの世の影響力を理解するクロエは驚きを隠せないでいる。レイジは頷いた。
「……三本足の椅子の上に立っている姿を思い浮かべてみるといい。これまでは安定していた。
だが今回の事で、その三本の足のうち一つが失われている。出力それ自体が減少したわけではないが、制御が甘くなっている感覚だ。
安定して力を振るうには七割までが限度だろう」
「ユイト=トールマンめとのリンクが断たれ、制御レベルが落ちているということですね。
かしこまりました。ですが、レイジ様、奴に事情を話して再接続するわけには?」
クロエにとって一番優先するべき相手は、目の前のレイジ=トールマン。彼のもたらす秩序そのものだ。
必要であればユイトに対する不利益も厭わない彼女の提案にレイジは首を横に振った。
「弟は……ずっと昔に、本来手に入れるはずだった力をようやく取り戻しただけだ。
そんな弟からまた力を失う様に頼むなど情けないだろう?」
「では」
「鍛えなおす。
クロエ。お前の不安は分かる。
だが……心配する必要などあるか? わたしが……七割の力で倒せなかった相手などいなかっただろう」
「はい! 無用の心配でした!」
傲慢ではない。ただの事実だ。
この数か月で最も力を振るったのはあの血魔卿と名乗る魔人であった。正直、奴との勝負は……不謹慎かもしれないが、面白かった。ああいう勝負をしてみたいが、次の機会はあるのだろうか?
「……そういえば、いたな」
レイジはふと考える。
一度血沸き肉躍る戦いができるかもしれないと思った怪物。
『西』から姿を現した史上最大のモンスター、対抗不能、制動不能と言わしめた、陸上戦艦の如き怪物、『ジャガーノート』。
もっともそれも……『もし』のままで終わっている。その怪物は《破局》以前から稼働しているといわれる攻撃衛星によって破壊された。戦ってみたかったのだが、その機会は訳も分からぬままに見知らぬ機械によって奪われた。
ふいに、何もかも投げ出したくなる。
『上』のことなどすべてかなぐり捨て、世界の平穏など知らんぞと笑い、ただただ私利私欲のために力を振るう暴神に成り果ててみたいという欲求。
そうやって想像の翼をはためかせる時だけは……少しだけ自由でいられた。
……訓練室の準備に出るクロエの背を見送り、レイジは椅子に深々腰かけながら考えた。
この才能は弟の犠牲によって、なりたっていた。
「ユイト、か」
レイジは目を閉じる。
数日前、ローズウィルからメールを送られてきた事を想いだす。
(……レイジ様。今まで騒がせたことをお詫びするわね。
真相を知りました。
今まで場違いな愛を向け続けてきたこと、そのことであなたに気を使わせてすみません。
少し時間を置こうと思います……か)
「違うんだよ。ローズウィルさん……」
あんなにもまっすぐな好意を向けてくれた人は初めてだった。
彼女が自分とはじめて出会ったという薔薇園での一件を聞いて……心当たりはあった。その好意を向ける相手が自分ではないとうっすら理解していた。
レイジとしては今や羞恥で燃え尽きたい気持ちだ。
……彼女が地上に降りたことは知っている。なら、どこかでユイトと出会い、事の真相を知ったか。
真相を知りつつも黙っていたレイジを軽蔑しているかもしれない。
その恋を、感情を心地よいと感じつつも……ずっと罪悪感がぬぐい切れなかった。一度も笑顔を見せることができなかったのだ。
まるで、弟のお零れにあずかったような気持ちがレイジの背筋を這う。
レイジの心に喜びを与えてくれたローズウィルの事も、まるでユイトのお情けでも受けたかのようで。
そしてレイジにとってもっとも大きな心のよりどころであった力でさえ、弟の助力がなければ成立しなかった。
ならばレイジが自分一人の力で築き上げたものとはなにがあるだろうか?
急にレイジは……自分のものだといえるものが、何一つないのではないか、という虚無感に囚われる。
ユイトは自分自身の両足で、独立しているのに……自分は、弟に知らぬところで助けられていた。
その感覚が苦しいような、悔しいような、情けないような――腹立たしく、憎いような。
決して弟に向けるべきではない、暗く狂暴な感覚を自覚したのは、これで二度だったかもしれない。
レイジは立ち上がった。
「く……」
己の心の中に潜り込んだ『鬼』を追い出そうとするように胸を叩く。
こんな悪心を考える暇もないぐらいくたくたに疲れるまでトレーニングに励もう。そう決めて部屋を出た。
※ジャガーノートに関しては106話にこっそり書いています。
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