第339話 酒飲み友達
ローズウィルが激おこの二人に一日中説教を受けて、その数日後……ふらりと前触れもなくナインは帰ってきた。
「……いなくて良かったよ」
死亡したと思っていたローズウィルが生きていたことを人づてで聞かされたナインは、特に感情を浮かべることもなく。ただ一言だけ答えた。
『彼』が自害同然に雷撃を放ち、冷血魔の目論見を命を捨てて阻止し。
ナインの記憶はそこで途切れている。呆然と『彼』の実体だったCPUの前でへたり込み……気づけばそこから姿を消していた。
そして今は。
『ブルー』の屋上で携帯テーブルを広げて。ユイト、サモンジ博士の三人で卓を囲んでいた。
広がる夜空の下、煌々と輝く月を肴に酒を飲む。
「俺が……『彼』を失って落ち込んでいる俺がいたら。君たちは気遣って心から喜べなかったろうから」
ナインは呟いてから、自分の卓の前に置かれた小さな杯を煽る。
中身は酒だ。空になったそれにユイトが注いでやる。
「『彼』の事は残念でしたぞ。心からお悔やみを」
「ああ……」
けっきょく……今回の事件で一番大切な人を失ったのはナイン一人だ。長年一緒に生活をし、親友として接してきた友人ただ一人だけが消えて散った。
ほかならぬ、ユイトのために命を捨てて。
ユイトもまた無言で杯を煽る。酒精が喉を焼く。熱い。胃腸の中に火の塊でも飲み込んだようだ。
氣血を巡らせ、腎臓の機能を強化すればアルコールの分解を促進できるが……今日の目的はただ酔う為だ。
「ユイトさん。あなたにも……」
詫びておくべきですかな、と言いかけたサモンジ博士は……しかし危うく口にするところだった失言に気づき、言葉を飲み込む。
今回の事件の発端はもう十年以上も昔。レイジ=トールマンの
レイジやユイトからすれば大変な迷惑だ。知らぬところで当人の、兄の人格のコピーができていた訳なのだから。
だが……『彼』はナインにとっては無二の友だった。
そんな博士の飲み込んだ言葉の意味を理解したのだろう。ナインはしかし……静かに、疲れたような微笑を浮かべるのみだった。
「いいんだ。まずは……祝杯を挙げよう。
死んだと思っていたらなぜか生きていた『上』のお嬢様の無事を祝して」
ちん、と掲げた酒杯を合わせて三人は酒を飲んだ。
ナインは、それにしても……と呟く。
「そのローズウィルお嬢様、今はどうしてるんだ?」
「ひとまずは『上』に戻ったよ。今回の一件であちこち面倒になったからな」
「なるほど……じゃあどうしてこの胡散臭い博士はまだ此処にいるんだ?」
「おおっと我輩に突然の流れ弾ぁ!!」
ちょっと酒が回り始めているのか、サモンジ博士は笑いながら答えた。
その疑問は最もである。ユイトとしても、この胡散臭い博士はそのまま『上』に戻るものと思っていた。
「まー。そうですねー。我輩にとってはミラさんとランさんは非常に特殊な状態を経た実に興味深い観察対象ですぞ。
医師としても経過は気になりますし、博士としてもデータは目が離せません」
「実際……この辺の脳科学分野は日進月歩だ。サンは下手な医師より腕が立つが、それでも『この分野においてはサモンジ博士に一歩譲りますね』と言ってる」
ふぅん、とナインは答える。
「でもサモンジ博士。あのローズウィルさんの下なら膨大な予算と人員を用意してくれそうだけど。
好きな研究をするなら彼女と一緒に還ったほうがいいのでは?」
「あいにくですが我輩、目先の知的好奇心のためなら人生を棒に振れるタイプの科学者でして」
そういう人かー、とナインは少しほほ笑んで……星空を見上げる。
「……『上』に。『彼』のオリジナルがいるのか」
「ああ」
「一度。『彼』がどんな顔をしているのか、直にあってみたかったんだが」
結局、『彼』の記憶と精神をレイジに移し替えるという……冷血魔の目論見であり、ナインが藁にもすがる思いで実現しようとした望みは……潰えた。
せめて一目、『彼』が大人になった姿を見てみたいという気持ちが籠っている。
その言葉にユイトは自分の顔を指さした。
「こんな顔さ」
「え?」
「双子なんだ」
そうか……とナインは呟き、なるほどと頷きながらユイトの顔を見る。
『彼』が生身の肉体を持ったまま成長すれば、目の前の彼のように立派な青年に成長してくれたのか、今のように卓を囲んで酒を飲むような未来もあり得たのか。
だが、そのすべては可能性のままで終わってしまった。
ナインは俯く。涙が溢れそうだった。
ユイトは思う。
双子。兄と同じ顔をしている……ただそれだけなのに、自分の人生に大きな影響を及ぼしていた。
あの運命の日、アウラ姉さんにその名を間違えられたこと。
そしてローズウィルが、レイジの事をユイトと間違えたように。双子であるだけなのに……こんなにも運命を変えてしまっている。
願わくば、たまにはこの同じ顔が良い方向に運命を変えてくれますように。
まぁ、今は……ナインが『彼』の無事な姿を想像する役に立ってはいるから……たまには兄とうり二つのこの顔も意味はあったが。
ナインは涙をこぼしながら盃を掲げる。
『彼』を失った傷心が癒えた訳ではない。いや、むしろこの心の傷は永遠に彼の魂に刻み付けられたままだろう。
この心の痛みこそが人生だという様に、ナインは言う。
「俺の友達の『彼』の冥福を祈って」
「その魂が安らかに眠れますように」
「このような悲しみがこれで最後でありますように」
三人はそれぞれ、『彼』の冥福を祈り。
それぞれ酒を飲み干した。
そうしてユイトは幼い頃の兄の思い出を話しはじめ。
ナインは『彼』の記憶を語る。故人を懐かしみ、気持ちに整理をつけるために。
こうして。
ユイトは紆余曲折あったものの……お互い愚痴を言い合える酒飲み友達を手に入れたのだった。
作者
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
第五章はこれで完結しました。この後で数話ほど、第六章に繋がる間章を数話投稿した後で、これまでと同じように一か月ほど休載期間を挟んで続きを書いていきたいと思います。
110万字まで到達しましたが、ここまでお付き合いくださりありがとうござます。
今後ともよろしくお願いします。
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