第338話 激おこの二人(下)



 あっ、と皆が声を上げそうになった。

 今まさに激おこの二人が、まるで巨山が揺らぐかのようにのそりと動いてローズウィルの傍に近寄り……その肩を、二人でそっと叩いた。全員が息を呑む。これは怒っているのか赦しているのか……どっちなんだ?! と固唾をのんで見守った。


「お嬢様……そんな風におっしゃらないでください」

「ひぇっ」


 ここで初めてローズウィルは今まで沈黙していたアンジェロと視線を合わせたわけなのだが……いつも天使のようにおだやかな彼から発される何か不穏なオーラに気づいて声をあげた。


「ぼくも、ユイトさまもお嬢様が生きていたことは心から喜ばしいと感じています」

「そうさ、そこは本当だ」

「え、あ。そ、そう、ね」


 同じく別方向から肩を叩いて気にするな、と言いたげなユイト。ローズウィルは思わず同意の声を返し……すっかり問題ないはずの心臓が嫌に慌ただしく脈打っていることに気づいた。ポロニウムの矢を受けた時でさえこんなにも緊張はしなかったのに。

 自分は緊張しているのだろうか? こんなにも穏やかで優し気に微笑んでいる二人を前に……そう思ってユイトとアンジェロに視線を向け……目の前の二人の笑顔が、一瞬で無表情になる様を見た。


 見える。

 般若が、鬼が、羅刹が……震えが走るような激怒の気配が二人を覆っていた。


「けれども、何も言わずに去ろうとしたのは許さん……」

「お嬢様が亡くなったものと早合点したままにしようとしたのはだめです……それは優しさではないです」


 あ、とローズウィルは悟った。

 

 ものすごく怒ってる。


 とてもまずい事態に陥っていると悟った彼女は、反射的に叫んだ。


「べ……弁護士を呼びます! 弁護士軍団を編成するわ!」

「お嬢様……別に裁判じゃないんですぞ。普通にがっつり叱られるだけですから」


 あまりに大人げなく余裕のないローズウィルの叫び声にサモンジ博士があきれ果てた様子で答えた。

 だがローズウィルは言う。


「だって、二人とも怒ってるわよ!」

「当たり前だバカ!!」

「怒るに決まってますよお嬢様!!」


 まぁうん。

 今の二人から発せられる激おこの気配に彼女もようやく気付いたのか、かなり焦って叫んだ。その言葉が二人の怒りの堪忍袋を断ち切ったのか、ユイトとアンジェロは口々に叫ぶ。


「わざとじゃないのは分かってる! わかってるけれどそれはそれとして怒るさ!」

「ぼくたちがどれだけ心配して落胆したと思ってるんです! しかもそれがお、お嬢様のうっかりミスのせいなんて……!」

「早く! 早く通信を繋いで! 誰でもいいから弁護士を呼んで!!」


 溺れる者は藁をも掴むというが、もしここで弁護士をネットで呼んだらローズウィルは人生でもかなりのピンチから脱出するために言い値を払っただろう。

 だが、レオナはじとー、とした目のまま言う。


「……ローズウィル。冷血魔はあなたに『金銭で買えるものはこの世の大半を占めますが、決して金で贖えないものもあります』と申しましたけど。わたくしがもう一つ付け足しておきますわ。『金銭で弁護士を雇う暇もない時もある』、と」

「あの……! ちょっと、わたしをどこへ連れて行くつもり!? ユイト、アンジェロ! どうして別室へ連れ込むの! 

 どうして防音設備が整ったところに!!」


 これからガチでお説教の時間である。

 ならば二人は周囲の迷惑にならないように大声が出ても問題のない部屋に場所を移し替えたのだろう。

 レオナはものすごく嫌そうな顔をしながら、イヤープロテクターを装着して二人の後を追った。別にローズウィルの弁護の為ではない。男性と性別:天使な両性具有のアンジェロと女性が一緒だと後々悪いうわさが断ちかねない。


「た、たすけて、たすけてー!!」

「はいはい……」


 悲痛な叫び声をあげるローズウィルだが自業自得なので誰も同情せず、嫌そうな顔で顔を背ける。

 激おこの二人のストッパーも兼ねてレオナもついて行くのだ。

 


 絶望するローズウィルの姿が処刑場に消えるかの如く、ぶしゅー、とドアが自動開閉する音が響く。

 ようやく激おこの二人が室内から去っていき、マスターズの面々は大きく安堵の息を吐き。台風が去っていったことに安堵するのだった。




 こうして。

 ローズウィルは泣いて怒るユイトとアンジェロにここから一日中絞られて。

 もう下手なことはしない、説明書はきちんと読む、ちゃんと説明するという教訓を叩き込まれるのであった。





 さて。

 ミラはふとそこで、カレン教官がさっきまで沈黙していたアウラと一対一で差し向いに腰かけている様子に気づいた。

 

「カレンせんせいにアウラせんせいっ、なにしてるんですか?」

「ちょっと確認よ。重要なデータなんでね」

「ええ。こればかりは彼女にしか頼めませんので」


 通信を介さず、目の前でやってきて拡張現実を介して情報をやり取りしているらしい。

 特に隠す気もないのか、ミラの眼前に映像が表示される。


「えっ。これ……」


 強化スーツに身を包んだ女性の……恐らくは、遺体だ。

 あちこち血で汚れていたり、顔面で欠損した部分に白い布を被せられたりしていたが、わかる。

 恐らく話で聞いていた、襲撃してきたシスターズの傭兵の遺体だ。


「顔見知りが何人かいるわね。そうでないのも何人か。

 ただ……あたしがシスターズを抜けたのは年単位で昔よ」

「ええ。しかしシスターズ在籍のヴァルキリーは同胞意識も強く口を割ってくれないでしょう。

 シスターズの内部事情に一番通じているのはあなたかと」


 カレンはむー、と考え込み、答えた。


「……一つ、あたしが見た中での共通点は。

 ここに映ってる死体の連中。全員素行不良で追放処分を受けたはず。

 ……こういう奴ってヤクザか裏社会の殺し屋になるのがセオリーだけど、不名誉除隊されそうな連中をまとめて一括で雇い入れてるやつがいるのかもしれないわね。

 ……それで、アウラ。『上』はシスターズに直接問い詰めたの?」

「知らぬ存ぜぬを決め込んでいます」

「そりゃそうか」


 なにせシスターズと思しき傭兵が仕掛けたのは『上』の軍隊だ。

 普通に考えるなら、こんな危険な連中に仕掛けるなんてあぶなっかしくてできたもんじゃない。


 ……言い換えると、この連中はそんな当たり前の損得勘定さえできないほどに……何かに熱狂しているのか。


 カレンは少し考え込み、近くにいたままのアズサに言う。


「ねぇアズサ」

「はい」

「……あんたのシスターズの知り合い、ブロッサムに連絡は取れる?」

「ええ」


 ブロッサム。シスターズのメンバーで、マスターズの調査にやってきたエリート部隊だ。

 ただ……ミラ=ミカガミが誘拐された一件以来、彼女達はさっぱり顔を表していない。


 正しい判断だ。

『上』の軍隊とトラブルを抱え込んでいる組織に近づき、別のトラブルに巻き込まれるぐらいならば距離を置いたほうがいい。

 

 つまり、そういう正常な損得勘定がまだできているはず。

 彼女を起点として情報を集められるかもしれない。


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