第334話 虫けらの盾
奇襲による損害、ポロニウムの矢による死の恐怖。
だが、当初受けた打撃への混乱から立ち直れば、やはり『上』の軍隊の精強さが際立ってくる。
それに加えてレオナが、ローズウィルの権限でひとまず臨時パイロットを務める『ヘカトンケイル』が疾走し、敵への対処を始めれば状況はこっちに傾くようになった。
脚部に内蔵されたキャタピラは小型戦車じみたすさまじい走行音を響かせ、人間が一抱えしなければ持てないような巨銃を構えて逃走中のヴァルキリーたちに射撃を撃ち込んでいる。
ランチェスターの法則通りに状況は推移していた。数的劣勢だったヴァルキリーたちはじわじわと退却を始めている。
だが、先ほどの信号弾によって撤退を始める彼女達はまるでニンジャであるかのように垂直の壁を走ったりと、三次元的移動でこちらの的を絞らせない。
「不透明な状況だし、このままマスターと合流するって」
「わかったわ」
小型車両に乗せられたローズウィルと護衛対象たち、アンジェロとミツバ社員は黙ったまま頷く。
ローズウィルは一人いまいまし気に指の爪を噛んだ。
……この
道の端々に、部下が屍になって倒れ伏している。
敵が来ると、思っていなかったのだ。
『上』の軍隊であり、世界でも屈指の権力者である自分にわざわざ噛み付きにくる敵がいるはずがない……その安直な思い込みが、この状況を招いた。己の怠慢が部下の死を招いたのだ。
握る拳が、熱い。だからこそトップとして部下を置いて逃げることができなかったのだ。
それが、大きな後悔を伴うと知らずに。
ユイトは己の脳天に集中するレーザーポインターに気付く……より先に、敵の脳髄より発せられる殺意の射線――もっと正確に言うなら、脳神経を走る思考のパルス――を察知し、万年寒鉄の刃を構えようとした。
「あ、ぎっ……!」
だが腕を掲げようという動作の途中で、肩に激痛が走り中断する。
無理もない話だった。いくら
ブレードで弾丸は防げない――ならば、とユイトは己の全身を護身鋼氣と、次第に掌握しつつある
次の瞬間、壮絶な猛射がユイトの脳天に迫り……二重に張り巡らされた不可視の力場に阻まれた。
「ばかな?!」「マガジンを装填しなおせ、もう一度だ!」
敵のヴァルキリーたちの驚愕が聞こえてきた。
指導者である冷血魔の撤退援護だろうか、遠く離れた位置から弾丸を撃ち込んでくる。
この距離から恐ろしく正確な狙い。さすがに腕がいいが……ユイトはさらに踏み込んだ。
冷血魔は目を細め、憐れみに似た表情を浮かべる。
「そんなに兄の影が死んだのが許せないか」
「当たり前だろうが!」
「なら先に、彼の
「そいつもおまえの後を追わせてやる!」
冷血魔の言葉は時間稼ぎと断じ、そのまま一刀をねじ込もうとする――瞬間、ユイトは己の耳朶に聴きなれない飛翔音を感じ取った。
……ヴァルキリーの兵士たちはユイトが纏う不可視の装甲を見て、
特徴的な風切り音が響き渡る。
ユイトは背筋に走る強烈なまでの嫌な予感のまま、放物線上を描いて迫る矢を見た。
まずい。
何かわからないが……冷血魔の一撃と同じかそれ以上にまずいと直感する。
「何撃ったぁ?!」
弓矢に榴弾でもつけているのかと思ったが、違う。
ユイトは即座に虚空摂物の力をふるい矢の軌道に干渉する。避けてもいいが、それをすると逃走している冷血魔を狙えない。当たらなければそれでいいと判断したその時だった。
冷血魔が軌道からそれたはずの矢を硬鞭で正確に打撃し、その軌道をユイトめがけて強引に向けてきたのだ。
「う、わっ?!」
反射的にブレードを盾にして避けようと思ったがそれを止める。
本能的にこの欠片に刃物をぶつけてはいけないと直感した――事実、それは正しい。もしユイトが万年寒鉄の刃を盾に防げば、飛散した細かなポロニウムの粉末を浴び、被爆汚染を受けただろう。
ブレードを手放し、その手掌でもって鏃ではなく矢の中心部を撫でるような軽やかな手つきで受け流した。
そして――その直後に己の失態に気づく。
後ろにいる仲間達。カレンをはじめとするヴァルキリーたちが降車して援護に向かおうとするさ中に――恐ろしく危険な矢の流れ弾が飛来したのだ。
己の腹でも斬りたくなるような失敗に血の気が引くような感覚。
冷血魔への追撃とトドメさえも忘れて反射的に振り向き、そして見た。
飛来する矢はそのまま――カレン達と共に戻ってきていたアンジェロのほうへと飛んでいく。
ナイフによる投擲と撃ち落としも間に合わない。
アンジェロは自分のほうに飛んでくる矢に大きく目を見開く。
咄嗟に様々なことが脳裏にひらめいた。矢、死ぬ。かすり傷でも助からないらしい。脳天に当たっても死ぬ、放射能被爆汚染、癌、レオナお姉ちゃん、ユイト様にレイジ様、ファンのみんな。様々な思考が走馬灯になって駆け巡る。
口惜しさと無念さ、ありとあらゆる感情が喉を突いて悲鳴になって溢れそうになるけれども、恐らくその悲鳴さえ出る暇もない。
避けられない、無理だ――死ぬ……。
その、死の矢を。
横合いから伸ばされたローズウィルの片腕が、盾になって突き刺さった。
「お……お嬢様?!」
ローズウィルは己の腕に突き刺さったポロニウムの矢を無感動に見つめながら……地面に崩れ落ちそうになる。
そんな彼女をアンジェロが抱き留めた。
彼女の体内の生命維持インプラントが拡張現実を介して最大限の警告を発する。即座にポロニウムの矢を摘出すべきだが、ローズウィルは腕で矢を掴んで引っ張ってもまるで抜けない様子に辟易したように眉を寄せた。
こういった矢は返しが付いていて、突き刺さった肉に食い込み摘出できないように工夫されている。
摘出には消毒薬と簡易的な切開手術が必要だがここにはそんな気の利いた設備はなかった。
「アンジェロ君! どいて!!」
カレンは状況を見て取って叫んだ。
この地上の人間を虫けらとしか考えていないはずのローズウィルがどういう心境の変化なのかと疑問はあった。だがその全てを脇に捨て、強化スーツの腕部に内蔵された
この時カレンが取った手段は乱暴で野蛮だったが……一秒を争うこの状況では確かに的確で手っ取り早かった。
「荒っぽいけど我慢してよ!」
ブレードを一閃させ、矢を受けたローズウィルの片腕をためらわずに斬り飛ばしたのだ。
鮮血が溢れるが、体内に循環するナノマシンが治療を開始。ほとんど一瞬で止血が完了するのは、さすがに最高級のインプラントを使用しているからか。ローズウィルは片腕を切断されたとは思えないほど落ち着き払った様子で礼を言う。
「あら、ありがと」
「片腕切られて平気な顔か、
いやになるほど冷静な顔で答えるローズウィルのそのふるまいが信じられなくて……アンジェロは驚愕で目を見開きながら、尋ねずにはいられなかった。
「お嬢様……どうして、虫けらとしか思ってないぼくを……かばったりしたんですか……?」
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