第332話 生かして帰さない


 弟の必死の叫び声に、兄の意識を宿した『彼』は穏やかに応えた。


『なに、弟が元気でいてくれるのが……僕は一番うれしいんだ』


 そのCPUの付近で雷光が膨らむ。

 ナインは握っていたブレードさえ放り投げて駆け寄る。『彼』が制御し損ねた雷撃能力ボルトキネシスがナインの五体を貫くが、しかしユイトから模倣コピーした雷撃能力ボルトキネシスによる耐性が阻んだ。衣服が弾け、皮膚の表面に軽いやけどを負うが、それを自己治癒系の超能力で無理やり直してなおも手を伸ばす。


「俺だ! 俺の中に入れ! このままじゃ君が……!」


 無理だ、とナイン自身わかっているはずだ。

 機械の中に取り残された『彼』の意識を保持できるのはオリジナルのみだが、ここにはいない。赤の他人の脳になど移動できない。

 ネットワークに意識を移そうとしても、あと一本残されたジャミングタワーが接続を遮断する。


『あの日。生身の肉体を失い。全てを捨てて楽になりたかった僕の最後のよすが

 君と弟の幸せが、今の僕の幸せなんだ』


 そして、未だに膨らむ雷光の中心で……ユイトの脳裏に浮かんだのは子供の頃の兄の顔。

 力など関係なく、ただ屈託なく笑い合っていた幼い日々の幻視だった。



『それじゃ。元気でね』




 ユイトとナインの視界すべてを青白い爆発が埋め尽くした。

 全身を雷光が貫く。無意識のまま雷霆神功を運功するユイトは……あの運命の日に放たれた兄の一撃と同じく、雷竜が己の五体に潜り込み、住処とするような感覚を覚えた。

 荒れ狂う激流を制し、経脈の中で循環させる。強大な力の新たなうねりは、ユイトの中に前から住み着いていた雷竜と合流し、融合するのを感じる。

 ローズウィルの殺し間で疲労困憊、絶対絶命まで追い込まれていたその肉体は新たな力を注ぎ込まれ、どうにか賦活する。

 呼吸する。力がみなぎる。

 同時に指先が震える。悲しみが痺れのように手足を萎えさせてくる。 

 新たな活力と……疑似とはいえ兄の魂を守り切れなかった悲憤がこみあげてきた。



 ナインは、動かないでいる。


『彼』の魂魄を宿したCPUは限界を超えた雷撃を放ったことで煙を吹いていた。

 何もかも完全に焼き切れている。

 いくら電子生命体になっていたとはいえ、物理的実体が完全に破壊されてしまえば……その命は潰えるのだ。

 生きている電子機器など欠片も残ってはいないだろう。その傍で、ナインは魂を失ったかのような呆然自失の様子で膝を突いていた。

 彼の傷心の深さはユイトの比ではない。幼い頃から無二の友人として接していた『彼』を失ってしまったのだから。


 本当はユイトもこのまま膝を突いてしまいたい。ぐちゃぐちゃになった胸の内を吐き出した後、カレンに縋りつきながらそのまま夢も見ないほどの深い眠りに堕ちてしまいたかった。


 だが、そうする前にやるべき事がある。


 ユイトの双眸が、冷血魔を貫く殺意の視線を放ち、相手を睨み据えた。



 

「……まったく。もう少しぐらい生き汚さを見せても良いと思うが、ご立派な」


 冷血魔は思わず嘆息をこぼした。

『彼』からすればある日突然生身の肉体から機械に移され、10年以上孤独に幽閉されてきたのだ。もっとこの世すべてに対する憎悪や憤懣を持ち、オリジナルである嵐の騎手ストームライダーの肉体を乗っ取るぐらいの復讐心を持っていてもおかしくないだろうに。

 だがそれ以上に今ある平和を崩すことより、弟と友人の無事を何より願う……善と良心を彼が持ち続けたせいで、冷血魔の目論見は完全に崩れ去ったのだ。


 完全失敗だ。


 そして、これまでの振る舞いで相手から強烈な憎悪を買う羽目になった。

 ユイトは立ち上がる。そして万年寒鉄の刀を引きぬき、切っ先を向けた。


「冷血魔。お前を殺す。

 文句はないな」


 ユイトの全身から発される内氣は以前よりも厚みと重厚さを増している。

 今兄より撃ち込まれた雷竜を御し、そして枷を外された雷撃能力ボルトキネシスの才能がユイトの五体に雷撃となって循環している。

 運命の日に打ち込まれた10億ボルトの雷撃は、背中に刻まれた雷紋――あるいは龍の如き威容となっていた。

 そして今新たに撃ち込まれた雷撃によってユイトの体に宿る雷竜はさらに成長したかのようだ。龍の顎、あるいは龍尾にも見えるリヒテンベルク図形が大きくなり、ユイトの首にまで伸びている。


 冷血魔は困ったように微笑んで、拳銃を真上に向けて引き金を引いた。

 噴煙の尾を引きながら飛翔するソレが、空中に飛び上がって花火めいた輝きを撒く。


 この状況で出す新しい指示など一つしかない。

 敵の目的はジャミングタワーを制圧して『彼』の人格データを回収し、嵐の騎手ストームライダー抹殺の最終兵器とすることだった。だがその望みは……理不尽な境遇に追い込まれたのに恨み事を飲み込んで、最後まで一言も口に出さぬまま命を絶った『彼』の決断で潰えた。


 作戦失敗した以上、その信号が発する意図は『全軍撤退』だろう。


「今さら……いまさら? おまえ、ここにきて……いまさら? 

 いまさら生きて帰れるとか思ってるか?!」


 ユイトは突進した。

 横にいるアウラ姉さんと連携を取るという意識さえ吹き飛び、己の五体を駆け巡る無力感と激怒をぶち込まずぬにいられぬと言うようだ。


 冷血魔は手を翻す。

 どこから取りだしたのか、構えるのは硬鞭二つ。通常、鞭と言われると調教師が猛獣を躾ける際に使うような長大なものだが、硬鞭は鉄製でしなることはない。これに撃たれれば衝撃が骨に響くほどの打撃を味わうことになる。

 その全体から狂暴な凍てつく氣を漲らせた。


「武器を構えるのは久しぶりになる。……さすがにその刀相手では……!」


 冷血魔もまた血魔卿に次ぐ武功の持ち主。護身鋼氣や鋼氣功を用いれば銃弾でさえ恐れることはない。

 しかし、ユイトが構える万年寒鉄の刃は氣を通さず、また氣を無力化するいにしえの神鋼。身を護る武功のすべてを切り裂く名剣だ。

 真っ向から閃電、落雷の如き勢いで放たれる剛猛の一撃に、冷血魔もまた渾身で迎え撃たねばならなかった。


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