第331話 最後の助け



 ポロニウム……と言われてカレンは最初すぐに理解しきれなかった。

 普通は人生でかかわりを持つような名前ではないし、教育プログラムに入っているような言葉でもない……この中でその言葉の意味に即座に気づけたのは、『上』で高等教育を受け、嵐の騎手ストームライダーの護衛部隊として警戒するべき毒物の知識を享受されたレオナ一人であった。


「ポ、ぽぽぽぽッ」

「背丈のでかい女の妖怪みたいな声出してないで説明してよ!」


 あまりの恐怖と驚愕でレオナが頭の文字を連呼したが、カレンがそれに呆れながら説明を促す。

 レオナは一拍呼吸してから叫んだ。


「プルトニウムや劣化ウランの親戚みたいな物質ですわよ!」


 細かな説明は頭から省いたものの……カレンたち一堂にとっては、その説明でポロニウムがどれほど危険な物質か一瞬で理解できた。

 放射能汚染で周囲を被爆させる危険な物質という事か。カレンは『上』の軍隊が体を張って築いた血路を、ローズウィル、アンジェロ、ミツバ社員の三名を伴って疾走する。

 

「汚染被爆の恐れは?」

「さすがにそれはありませんわね」


 レオナの言葉は短いが安心できる。

 ポロニウムはごく微量でも犠牲者を死に至らしめる危険な猛毒の物質だ。例え相手がフルサイボーグでも、内部の電子機器を放射能被爆でずたずたに破壊し尽くしてしまう。もしそれらの物質が循環器系に回ってしまえば、取り返しのつかない脳にまで放射能被爆を引き起こして死に至らしめるだろう。

 

 だが。

 敵味方関係なく所持しているだけで人間を被爆させ死に追いやる物質など、兵器としては失格だ。


「多分、特殊なコーティングが施されてますわね。肉体に突き刺さった時以外は問題がないようにしているはずですわよ」

「つまり、ただの猛毒付の矢ね。なら気にしても仕方ないかっ!」


 戦闘を進みながら時折、頭上の壁面に立ちながら弓を構える相手に牽制射撃を放ちつつ前進する。

 同時に『上』の軍隊の、どこか腰の引けた感覚にも合点がいった。


 彼らは装備も練度も一級だが、支援体制も一級だ。

 血液と共に循環するナノマシンは生中な猛毒など効かないに違いない。

 だが、さすがに彼らも体内被曝を引き起こすポロニウムは恐ろしいはずだ。あのクラスの毒物を解毒できる最高級ナノマシンやインプラントは、今一緒に走っているローズウィルのような本物の上流階級にしか与えられないだろう。


 脳さえ無事ならば確実に生き残れる――その根拠が崩れ落ち、死に対する恐怖感が彼らから冷静さを奪っているのだ。

 対してシスターズの傭兵の動きはまるで解き放たれた肉食獣のよう。これは長く持たないかもしれない――そう考えているカレンの視界に……遠くに位置するジャミングタワーの光が消失するのを見た。





『あまり余裕はないよ。ユイト』

「……兄さん」


 ユイトは己の頭に広がる雷撃能力ボルトキネシスの才能に眩暈にも似た感覚を覚えた。

 無意識のまま体に染みついた動きで万年寒鉄の刃をふるい、ナインの切っ先を凌ぐ。


 今まで長い間幽閉されてきた兄の疑似人格の頼みだ。決してナインを殺めるつもりはない。

 そこでふと、ユイトは己の脳で蘇ってきた才能――電気の働きが遠くで消失するのを感じた。反射的に視線を向ければ、ジャミングタワーの一つが機能停止に陥ったとわかる。

 残るは最後の一つ。

 アレが停止すれば、この天羽あもうサイコラボに幽閉されてきた兄の意識がダウンロードさせてしまう。


 ユイトは切っ先を動かした。

 わかる。少しずつ雷撃能力ボルトキネシスの力に体が順応していく。

 人間の意識が脳細胞シナプスを走る電気信号でできているなら、ユイトは相手の脳内に走る意識の尖り、殺意、敵意とも言うべきものを電流を介して理解できるようになりつつあった。


「はぁ……はぁっ……くそっ! 急に、硬くなったな!」


 ユイトはブレードを構えながら、荒い息をつくナインに視線を合わせた。

 今までは反射速度と内功で培った膂力で切っ先をはねのけてきた。だが疲労困憊の状況では力には頼れない。自然とユイトは相手の動きの起こりを読み、その先の先を潰すかのような応手でナインの攻めを防ぎ続けている。

 

「ナイン……」

「どうしたんだ……『彼』を殺すんだろう! そうするのがみんなの幸せのために必要だってんだろう!!

 やれよ!!」


 時間は敵の味方だ。

 あの地上に降下したヴァルキリーたちを『上』の軍隊は完全に抑えきれていない。ジャミングタワーの一本が電力供給を断たれたのだから、二本目もそう遠くないうちに終わる。積極的にナインを打ち倒して……打ち倒して……?

 手がない。

 ここでナインを倒し、冷血魔を倒し……そして『彼』を助ける手段は、ない。

 勝っても得るものなど何一つない戦いにユイトは虚無感に囚われそうになり……そこで、彼の声が響いた。



『ユイト。ナイン。

 そろそろ、お別れだ』



 ユイトとナインの脊椎に、氷の塊が差し込まれたような危機感が奔る。


「待て……待ってくれ、兄さん!」

「お別れって……そんな事を言うな! 君の意識をオリジナルに戻して見せる、だから今度は生身の体でまた会おうって……!」


 二人の必死の言葉に――『彼』は、レイジの幼少期の疑似人格は穏やかな声で答えた。


『最初に言っただろう……? 唯一の心残りだった弟との再会は叶った。

 こんな体になってもまだ生にしがみついていた未練は消えたんだ。それでもあさましく、まだ生きているのは……ナイン、僕のために命を賭けてまで戦う君のまごころが……本当にうれしかったからだ。

 だが、それも此処までにしよう。

 僕がもっと早く決断すれば……戦闘それ自体が起きず、傷つく人も命を落とす人もいなかった。僕の未練で無駄に人が死んだんだ……』


 全員の脳裏に声が響く。

 それは『彼』が最後の手段を取る覚悟が含まれていた。

 それに焦りを覚えたのは、アウラと離れた位置で交戦していた冷血魔。


「待て。それをすれば……おまえは生き延びる最後の可能性さえ」

『いまさら命を惜しむと思ったのか? どうやら僕のオリジナルは大変出世したみたいだな……この決断が、一番困ると見たぞ』 


 アウラもまた冷血魔との戦闘を切り上げ、天羽あもうサイコラボの倉庫がゆっくりと開くさまを見た。

 ジャミングタワーを二機停止したせいだろうか、その中から巨大なCPUが見える。恐らくは『彼』の物理的実体。精神と人格のデータを載せた機械だ。

 長年の間、秘匿され続けてきた企業の闇。世に出ぬように封印されてきた存在が白日の下に晒される。


『アウラ。僕はお前が嫌いだった』

「……存じ上げております」

『弟がいなくなって、すぐにお前に聴いたのに、お前は弟のこと全て忘れたかのように振舞った。

 けど……思い出したんだね』

「はい……」

『オリジナルとは和解できた?』

「はい」


 そうか――と『彼』の声が響き……その巨大CPUが次第に雷光を発し始める。

 雷撃能力ボルトキネシス

 だが……電流に弱い精密機器である彼がそんな力を発揮するのは、はっきりと自殺行為だ。


『ユイト……兄さんがしてやれる……最後の……手助け、だ……』


 その自らの崩壊さえも厭わぬ、生涯最後にして最大の雷撃を放とうとしている。

 バチバチと機械に火花が散る。CPUのモニターが吹き飛んだ。己自身を崩壊させる力を徐々に蓄積していく。その力の矛先は、ユイトだ。己の持つ雷撃でこの土壇場を潜り抜け、冷血魔を打倒する力を与えようとしているのだ。


「やめろ、やめてくれ兄さん! こんなのは望んじゃいないぞ!」



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