第328話 ないと信じていた力
本来なら、ユイト=トールマンとナインとの間には隔絶した力量の差がある。
ナインは確かにこの数か月で修練を経て実力を伸ばしているし、複数の検体からコピーした超能力もある。だがそれでもユイトは雷霆神功による圧倒的なパワーとスピードには敵わない。
本来なら、勝負にならない状況で、勝負の形になっているのは……これがお互い万全の状況で戦うような競技ではないからだ。
ユイトはローズウィルの仕掛けた殺し間で疲労困憊に至っており、未だ完全回復していない。ナインも消耗はしているが、その度合いはユイトよりははるかにマシだ。
人生で最もバッドコンディションにあるユイトと。
友人の命を助けようと必死になり、その剣に躊躇いや曇りなどひとかけらもないナイン。
最不調と絶好調の両者が戦う事で、この奇妙な拮抗が生まれいでたのだ。
剣が交わる。火花が散る。
ユイトは荒々しく呼吸を繰り返し、経脈を賦活させようとした。だが、氣血を巡らせる隙を与えれば与えるほど勝機は遠のくと知るナインはしゃにむに攻めかかる。
「やめろ、ナイン……! こんなやり方などでは!」
「だが、君のやり方だと消滅するしかないんだろう!」
本来ならば呼吸をさらに重ねて体力を回復させる方向に行くべきだろう。全身は疲労感で水を吸った綿のように重く、指先はブレードを保持することさえ精いっぱい。鍛え抜いた肉体は、それでもユイト自身の意識に応え、なおも戦闘態勢を手放しはしなかったが……限界は近いだろう。
ユイトはたまらずにナインを説得しようと試みる。
必死の剣幕で斬りかかるナイン。彼を止めるならば剣を以て命を絶つしかないだろうが……ユイトはそれを選択する気はなかった。
兄レイジの疑似人格、ナインが『彼』と呼ぶ命をこれから絶たなければならないのに、さらに別の命を奪わなければならないのであれば、武とはなんと意味のないものだろう。
『ナイン……』
「ああ、待っていてくれ……待っていてくれ……! どうにかしてやるから……!」
今のナインは『彼』を救うという一念一つで動いている。『彼』の声に対しても、まるで幽鬼めいた執念で答えるのみだ、
ユイトが唾競り合いから関節技で制圧しようと迫れば瞬間移動の超能力で距離を空け、踏み込んで斬りつける。ユイトが手塩にかけて教え込んだ技術が教えた当人に使われているとは皮肉だが。
『ユイト……君を殺す気で仕掛けるナインだが、助けてやってくれないか』
「最初からそのつもりなんだ、兄さん! その助ける対象はあなたもなんだ……!」
兄レイジの幼い頃の人格が、そのまま固定された『彼』の声を聴いているとユイトはなんだか今自分の時間感覚が変になってくる。
目を覚ましたまま夢うつつにいるような。子供の頃の夢を起きながら見ているような。それを言うならローズウィルと再会した時もそうだ。子供の頃アウラ姉さんに花を贈ろうとしていた時に出会った彼女。幼い頃の縁がまとめて今降りかかっている。
『ユイト……アウラとは仲直りできたのかい?』
「もう何も問題はないよ、兄さん!」
ナインの切っ先をはねのけ、肩口からぶつかって突き飛ばす。
ナイン自身もそれを受けて飛ばされながらも……地面を転がって衝撃を流し、即座にブレードを構えた。
『ああ……そうか。
……あの後、弟がいなくなって、それからアウラはその記憶を失っていたけど……そうか、その問題も解決したんだね。
ならなおさら……もはや迷いはないな』
兄の疑似人格は事の他穏やかだった。まるでほほ笑むかのような優しい声色にユイトは少し怖くなる。
記憶と人格を機械に転写された兄。魂があるとするなら、この世に対する一切合切の未練を失い成仏するかのような昇天の気配をユイトは感じていた。
もうこの兄は、オリジナルの肉体に還れない。行き着く果ては消滅しかない……そうとわかっていても、何かいい手はないのか、と重うのはユイトも今戦っているナインと同じ気持ちだったのだ。
『ユイト。最後に手助けをするよ』
「兄さん?!」
『お前の頭にある……古いナノマシンを
「なにを?!」
意味が分からず聞き返すユイトに、『彼』は静かに答えた。
『僕がこの機械に意識を移植された後、
……使えはしたが、そのパワーは生身の頃よりはるかに劣っていたよ。……そして今、お前の頭に作動する機械がないか見た。
……多分だが、お前の脳を雷撃能力の増幅装置に利用するため、僕のオリジナルとリンクするためのデバイスがある』
なんだと、という驚愕の声は、ナインの一刀を受け止める際の呼吸で潰れる。
だが頭の中は混乱でいっぱいだ。
幼い頃、ユイトは兄レイジとは違い、
誰がそんな事を? 回答はすぐに出た。
「あの……クソ親父! くたばってからも祟りやがる!」
多少の憤懣がナインへの蹴り足に籠ってしまったのも致し方ないだろう。
ユイトは怒りながらも困惑を覚える。ならばなぜそんなことを?
『ナインから超能力について聞いたんだ。こういう超能力は『できる』と意識することが重要だという。
だから僕のオリジナルは力に下駄を履かせるため、お前の脳とリンクをさせたんだろう』
だからなのか。
冷静に考えれば……兄レイジの力は絶大だが、一個人が行使できる力の次元を超えている。最初にユイトの才能を増幅器として使い、レイジに『このぐらいの力は使えて当然』と思わせ、あれだけの雷撃を行使できるようになるまで成長させたわけか。
『雷撃を力に変える不思議な力を持っているおまえなら。
ある程度回復できるはずだ。ユイト……もっと昔。ずっと昔に気づいてやれば、お前を『上』から追い出させるなんてことにならなかったのに』
「いいんだ、兄さん……俺は地上に追放されたことは後悔してない……。
今は力がいる、やってくれ!」
その叫びと共に、ユイトは――己の脳内に仕掛けられ、長年当たり前のように存在していたスイッチが……がちり、と音を立てて切断されるような感覚を覚えた。
それは長年の間、知らぬところでダムに蓄えられた才能という水が、堰を切って溢れ、脳細胞に染み渡るかのような感覚をもたらした。
力にして、兄レイジの異能の1000分の1にさえ満たない程度だろう。だがそれでも……全身の疲労困憊を力づくで回復させ、最後の一閃を戦い抜く力をユイトに与える。
頭の中に一瞬浮かぶ疑問――今、オリジナルの兄さんは、俺の脳を増幅器として使えなくなったわけだが、何か悪影響は出ないだろうか? ――ひやりとした危惧が脊椎を駆け抜けたが、今はさておく。
そういう細かなところは……この窮地を突破してからだ。
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