第10話 双子の再会


 暗い。

 叩き付けるような雨風にウンザリしながらもアクセルを回す手は緩まない。 

 トライクのライトをつけると目印になって敵に気づかれる恐れがあるからと、さっきから暗視カメラをつけっぱなしだ。それでも日中と違う夜の山道をトライクで駆け抜けるのは神経をすり減らす。


「親父め、どうなった」


 トレーラーのそばに『上』の飛行艇が着陸したのは見ている。

 父は割とどうでもいいし、痛い目に遭ってもそんなには気にならない。

 ……気になるのは、自分が『上』にいた頃懐いていた一人の娘。

 ヴァルキリーのアウラ。自分と兄、レイジを守るように命令を受けた彼女のこと。嵐の騎手と仇名される兄が近くにいるなら、彼女もまた近くにいるかもしれない。

 ほのかに心に残る初恋が疼いてくる。

 ある程度距離を離した時点で、ユイトはいったんトライクを停車させて振り返った。

 それなりに距離を進み、山越えを進むルートも半分近くまで来た。ただ親父を連れ戻すだけなら、兄さんは実力でどうとでもできるはず。だが未だに飛び立つ様子を見せない飛行艇に不安が沸き上がってくる。

 頬をうつ雨風の勢いは衰えを知らず、襟首や服の袖からレインコートの下へと雨粒が潜り込んでくるのが不快だ。

 シャワーでも風呂でもいい。とにかく熱い湯に冷え切った肉体を沈めたい。そんな益体もないことを考え、様子を見る。

 ……ここから先は切り立った断崖絶壁があちこちにある。

 地形データはあるが、この土砂降りの大雨で地崩れが起きていて信頼に欠ける。頼みの綱は暗視装置を使った目視だが、それでも危険な道行きだ。

 このまま帰ってくれれば楽だな……そう思っていたが、ゆっくりと空中に飛び上がる飛行艇がこっちに向かってくるのを見て、再びアクセルを吹かした。


「兄さん……確かに仲良しだったけどさぁ!」


 父と会ったなら自分を追いかける理由などないはず。双子の兄弟として会話したいというならやぶさかではないが、嫌な予感を捨てきれないでいた。

 距離を開け、どこかの物影に隠れよう――そう思った瞬間、ふわり、とトライクが空中へと持ち上がる。


「う、うわっ」


 焦りと驚きの声が出る。一瞬どこかの崖から死のダイブを敢行してしまったのかとミスを疑ったが……それが間違いだと気づいた。

 まるで目に見えない巨人に襟首でも捕まれ、釣り上げられている感覚。

 視界が強烈なライトの光で白く染め上げられる。思わず手で覆いながら、目の前で飛行艇が空中に静止しているのを見た。 

 体が持ち上がっている――雷撃能力ボルトキネシスは電気を操るが、同時に磁力を操り、電子機器を自由自在にハッキングする恐るべき力も行使できる。

 ユイトは空中で離れた位置から、トライクごと持ち上げるほど強烈な磁力の腕に捕まってしまっている。

 抗いがたい強烈な力に吸い寄せられ、ユイトはそのまま飛行艇のハッチの中へと引きずり込まれた。


「ぐぅっ……!」


 強制された床への着地は、穏やかなものではない。

 強化スーツを着用できない体を守るのは、野外活動用の簡素なプロテクターぐらいで、床にたたきつけられた衝撃がもろに骨身の奥底まで強烈に響く。

 あまりの苦痛に言葉さえ発せずに身悶える。だが、のたうつユイトの首筋に無針注射器が押し当てられ、かしゅー……と薬液が血管内に投与される機械音が響いた。

 それと共に全身に走っていた激烈な苦痛が、あっという間に引いていく。回復薬は数あれど、痛みがこれほどまでに簡単に引いていく薬剤はそうはお目にかかれない。おそらくは『上』の、最高級の回復薬だろう。あまりに効果が強烈すぎて、今なら冗談抜きで腕を切断してもくっつきそうな感じがする。

 自分を助けた相手へと視線を向ければ……鏡でいつも見ている自分の顔がそこにあった。

 血を分けた双子の兄弟。


「鎮痛剤と治療用ナノマシンのカクテルだ。痛みは引いたか? ……ユイト」

「……久しぶりだ。レイジ兄さん」


 差し出される手を握りしめ、ユイトはゆっくりと立ち上がった。

 レイジの顔は穏やかだった。だが、ユイトは兄に対して懐かしさ、愛しさを覚えつつも……肌がちりつくような危機感を捨てきれないでいる。


「……親父は、どうなった」

「死んだ。そんなつもりはなかったが……殺してしまった。アウラが私を守るために」

「そうか」


 色濃い罪悪感、自分自身に対する強い失望。レイジが激しく後悔しているのはわかる。

 ユイトは兄をどう慰めるべきか、言葉が見つからなかった。そんな彼にレイジは戸惑ったような目を向ける。


「……怒らないんだな、ユイト。私たちの父親を殺めてしまったのだぞ、殴られてやるぐらいは覚悟していたが」

「……いや、俺は親父が嫌いだったからな」

 

 天才的な頭脳は持っていただろう。自分の養育に手を抜かなかったのもわかる。

 しかし指導には暴力がつきもので、自分がやるべき仕事を押し付けもする。愛されていなかったのはずっと昔からわかっていた。彼が死のうと痛む心はない。


「……俺たちをどうして追ってきた? 『上』から地上に降りてきたけど、その手続きはすべて合法だった。『上』から地上の反乱分子を掃討するのが兄さんの仕事だったはずだが」


 空中都市艦は、地上にはない清浄で平和で安楽な場所で、誰もがそこに住まうことを夢見る。だからユイトと養父トバの所在を通報したカズラは、二人が大きな罪を犯して地上に追放されたのだと決めつけていた。

 だが養父トバは安楽な生活よりも自分の研究が完成するほうが大切だからこそ地上に降りた。

 そこには『上』に対する反逆行為など何一つない。


「きっかけはカズラという男だったが。

 でもな。息子が……父親に会いたいと思って何か悪いか?」

「……兄さん」


 兄の悲し気な眼差しに目を伏せ、ユイトは言葉を選ぶ。


「……あの。兄さん。死んだ奴のことを悪く言うのはよくないが。……あいつは兄さんが思っているような男じゃないぞ」

「……その、ようだな。お父さんが死んだっていうのに、ユイト。お前は怒りも悲しみも見せていない。さっき会ったがさんざん暴言も吐かれたよ」


 レイジは嘆息を漏らした。

 家族が欲しかった。だが父からの回答は明確な拒絶。あまつさえ、自分が生まれたのは研究費用を工面するためであり、一度も愛情を持ったことなどないと。父に対する期待は無残にも父本人に打ち砕かれ、死別した今となっては和解の機会は永遠に失われた。


「お父さんは、嫌な奴だったんだな」

「ああ。……俺に武術の訓練をさせたり、自分だけトレーラーのベッドで眠って俺にはソファに転がしたり。起こすときはげんこつで、そのくせ料理だっていつもサプリメントばっかりだ。仕方ないから村の人にもらったヤギ肉の焼肉を囲んだんだが、あのクソ親父、肉しか食わねぇし。ほんとに……」


 父との思い出を語れば、常に罵倒ばかりになってしまう。それでも、さすがに父が死んだと聞かされれば落ち込みもする。


 ……ユイトには悪気はなかった。レイジの心に気づかなかった。

 あんなろくでもない親父と生活したところで、レイジ兄さんが得たものなど失望と落胆だけなのだと教えたかった。

 けれども……レイジの心に湧き上がってきたのは、そんなろくでもない思い出さえもらえなかった自分に対する悲しみと、弟に対してぐつぐつと湧き上がってくる妬みと憎悪だったのだ。

 彼の心は複雑だった。子供が父親に向かって愛してほしいと叫んでも、帰ってきたのは冷酷な拒絶であり。その怒りと悲しみの矛先を弟に向けねば、激情が脳漿よりあふれ出て頭蓋骨を内から割ってしまいそうなぐらいだった。

 ふと、ユイトは確かな喜びの色を浮かべる。

  

「兄さん。アウラは? 彼女は兄さんの護衛だろう?」


 その眼差しにうっすらと浮かぶ喜びの色に、レイジは静かな驚きを感じる。


 ああ。期待と喜びに満ちたまなざし。父と再会できると知った時の自分と同じ表情。

 同じ血肉を分けた双子の兄弟だからこそはっきりとわかる。

 弟は、あのヴァルキリーを愛してやまなかったのだ……自分と同じく、絶対に得られない無意味な愛に恋い焦がれているのだ――ぞっとするような邪気が、自分の体から湧き上がるのをレイジは感じた。

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