第9話 終わってもよかったのに


「まスTAー……に、逃げ……」


 アウラは機能不全を続ける肉体を必死に引き起こそうとする。

 平時なら瞬時にトバを殺害できるのに、今では巨人にのしかかられたかのように肉体のすべてが思い通りにならない。

 助けなければ、マスターであるレイジ様を。


(……ああ、そう。あの子を……)


<破局>以前に生産され、空中都市艦『ノア』の兵器製造区画でアウラは生まれた。

 自分と同時期に作られた第一世代オリジンのヴァルキリーはすでに実戦に投入され、破壊されたか、あるいは兵器としての人生を終え、人間として子を産み母となり、稼働期間を終え土に還ったと聞く。

 アウラは仲間たちと違い、冷凍保存ポットの中で長い眠りについていたという。


 自分を目覚めさせたのは、今、マスターであるレイジ様に拳銃を突きつけている男、トバだった。

 彼は、人造の超能力者である子を狙う連中から守らせるために護衛任務を与えたのだ。


 最初こそ与えられた命令ゆえ。だけども、頬を赤らめて自分に甘えてくるあの子は、任務など関係なく守らなければならないと思った。自分を見てにっこりとほほ笑む姿は見ていてうれしくなったのだ。


 関係が変わったのは今から十年ほど前だ。


『……ユイトは? ユイトはどこにいったの? ねぇアウラ! 僕の弟はどこに消えたんだ?!』


 不思議な質問だったと、アウラは今も覚えている。


『何を仰っているのですか、レイジ様。

 レイジ様には、今も昔も、弟などはいらっしゃいませんが』

『何って……ユイトだ! 僕の弟だ!! どうしていないなんて言うんだ!』


 何度『ユイト』などという子は存在しないと伝えても彼は頑として聞かず。最後は泣きじゃくって。

 あの時以降、レイジ様は自分に微笑んでくれることはなくなった。

 あんなに微笑みかけてくれたのに。

 一緒にいると、はにかんで、俯いて、最後には嬉しそうにしてくれたのに。

 もう久しく見ていないあの笑顔。

 もう一度……レイジ様に微笑みかけてほしいから、ずっとそばに仕えていたのに。


「いや……です……」


 呼吸を整える。脳髄に接続する機械が完全にフリーズしたため、脳髄が自分の肉体の機能すべてを自力で制御しなければならなくなっている。思い出せ、思い出せ、アウラは自分自身に言い聞かせ、ゆっくりと膝立ちになった。

 構えるのは電磁加速機関銃。まともにパワーアシストも働かず、照準補助エイムスタビライザーも機能しない。

 だが立ち上がる必要はない。連射の必要もない。相手は動きを止めているし、装甲を持たないソフトターゲットだ。当たれば無力化できる。


 二人はこちらを見ていない。


「す、進ませんぞ、レイジ!」

「ユイトに向けるあなたの感情がよくできた道具に対する信頼でも。私は弟が羨ましかった」


 弟とは何なのだろう。アウラは悪酔いしたような眩暈に苦しみ、半ば朦朧とした意識のまま照準をつける。

 緊急停止命令を受けたのは、彼女の肉体に生まれた時から与えられた高度なインプラント。だが生身の脳髄は――萎え朽ちる肉体を支えんとする。

 与えられた任務ではない。

 昔見た、やさしい微笑みが永遠に失われるその恐怖こそが――トバの命令を覆す力を引き出す。

 ヴァルキリー第一世代オリジンの兵器の部分ではなく、彼女の人間の部分が理不尽な命令をはねのける力を彼女に与えた。


「やかましい! お、お前など!」


 トバは、自分の拳銃の技量がお粗末だと自覚はあったのだろう。

 揺れる銃口をレイジに必中の距離まで踏み込みながら突きつけ、引き金を引こうとしたその瞬間よりわずかに先んじて……強烈な轟音と衝撃がトバの腹腔を貫く。その一撃は彼の胴体を貫通し、そして車内の壁を貫通して内側から外へと飛びぬけていった。


「お……あ?」

「……あ。あ……? お、おと……お父さん!! お父さん!!」


 あまりの威力に血しぶきが壁一面に広がっている。

 二人の声が引きつる。アウラの構えた巨銃の先端から、空気の焦げるにおいがたちのぼった。

 トバは自分の体に開いた巨大な大穴に気づき。そのまま上半身だけが床に崩れ落ちて。

 レイジは、諦めさえ漂わせ、穏やかな眼差しで見つめていた父が、ほぼ真っ二つにされた姿に恐怖の声をあげて駆け寄る。


「お父さん、お父さん……! お、おまえ、なんで、なんで撃った!」

「ご。ご無事ですか、レイジ……様」

「なんで撃ったと聞いている!!!??」


 愛されることを望んでいた父の、手の施しようのない重症に涙を流しながらレイジは絶叫した。

 もう助からない。もう愛される機会など永遠に訪れない。あとの人生に残されるのは空虚な孤独だと悟り、あまりの寒々しさに彼は胸を掻きむしる。


「どうして……お父さん……」

「です、が……マスター……撃たなければ……」

「うるさい……! この冷血な兵器め、前と同じだ……お前はユイトのことをなかったことにした時と同じく、人の気持ちなんかまるでわかっちゃいない! 撃たれてもよかった、ここで終わってもよかったのに……!」


 ユイト。

 それは誰なのだろう。アウラはいまだ朦朧とした頭のままでレイジの叫びを聞き。

 もう死にかけているトバが、不思議そうにアウラを見ていた。科学者らしい、好奇心をそそる課題を前に、目を輝かせている。死の淵にも拘わらず、探求心に満ちたまなざしがアウラに向けられていた。


「……きょうみ、深い……」

「お父さん」

「……なぜ……動け、る……?」


 それを、最後に……トバの肉体はすべての力を失って崩れ落ちる。

 父の最後の言葉を聞きながら……レイジはゆっくりと立ち上がった。その背中は力なく、どうしようもなく疲れ果てている。


「……なぜ、か。……お父さん……お父さん。

 ……あなたは最後の時さえも……私のことを、見てくれなかったんですね」

「ます、たー……」


 レイジはゆっくりと立ち上がり、いまだ意識が朦朧としたアウラを置いてトレーラーの外へ出て……飛行艇へと向かう。

 アウラは声をあげた。いまだ萎える足を叱咤激励しながら追いかけようとして……崩れ落ちて地面に倒れ込む。それでもレイジは気にも留めず、冷徹な眼差しを向けるのみ。


「おまち、ください! ……私を、置いていかないでください……!」

「……お前は命令を無視した」

「あなたの命を……守るためです!」

「……父の命は、私の命より大切なものだったんだ」


 物言わぬ躯と化した父の亡骸を見、レイジは疲れ果てた声を出した。


「お前はもう、いい。……私の護衛の任務を解く。どこへなりと消え失せるがいい……」


 どうすればよかったのか。

 主人であるレイジの命令に従えば、彼が殺されたかもしれないのに。そして彼の命を守るために行動した結果、今やマスターである彼の不興を買ってしまった。


「マスター! マスター! お許しください……どうか!」

「……お前のような兵器でも番犬らしく主人を失うのは怖いのか……。

 その何もかも失ったような喪失感や絶望こそが、今私が味わっているのと同じものなんだ」


 レイジは進む。

 もうここから先の人生で、暖かく穏やかな幸せは手に入らない。


 だが……自分の欲しがっていたものをずっと持っていた、たった一人の弟。

 ユイトはまだこの近くにいる。


「……無益なことをしようとしているな、私は」


 後ろからアウラの悲痛な叫び声が聞こえてきても、レイジの心は不気味なまで穏やかに凪いでいた。

 これからやろうとしていることは無意味で無価値だ。

 だが再会を求めていた父を失い……伽藍洞と化した心の中でいまだ燃え滾る感情がある。

 それは怒りや憎悪、愛に似ていた。冷静な理性はユイトに対してその激情を向けるのは筋違いだと自覚している。このまま『上』に帰還するべきなのだとわかっている。

 

 だが、ユイトは父と十年間近く生活をしていた。……実際はトバの野心の道具として利用されているだけだったが、実情など知りえないレイジには、その十年間がそれほど羨むものではないとわかっていない。

 そして自分を最後まで拒んでいた亡父の最後の望みを打ち砕いてやれば、あの世でどんな顔をするだろう。


 レイジには分かっている。

 死人に対するいやがらせのために、今を生きている弟を手にかけるなど決定的に間違っていると。


 レイジは無意味な加害を望んでいた。復讐などという上等なものではない。

 これは愛されなかった自分の、ただの身勝手な八つ当たりでしかない。

 

 それでも、ここで己の心のわだかまりをぶつけねば、どうにかなってしまう。

 それだけは確実だったのだ。

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