第5話 天使の秘密

おれは絶対に外してはならない場面で痛恨の選曲ミスをおかしてしまった。


ドブネズミの歌の出だしが、伴奏がほぼなくて、独唱だったことをすっかり忘れていた。音痴なことは、どうやっても隠しようがない。緊張のあまり、声が震えてしまう。


おれの音痴にツッコんでいいのかみな悩んでいるのか、シーンとした空気のなか、おれの声だけが響く。


(これなら、いっそ笑ってもらったほうがまだマシだ……)


そう思っていると、まっつんが大声で笑いだした。


「アハハハ。萩原、音痴じゃねーかよ!」


その一言で人間拡声器も、ツッコんでいいものと解釈したのか、


「ウケる~。全然音程あってな~い」


と笑っている。ひよりんの前で、笑いものにされるのは、悲しくてしょうがなかったが、あのままシーンとした空気が続いていた方が辛い。気まずい空気を笑いに変えようとするまっつんなりのフォローだったんだろう。


ひよりんも笑っているに違いないと思い、彼女が座っている方に目を向ける。

しかし、さっきまで座っていた場所に彼女の姿はなかった。


(あれ?トイレにでもいったのかな?ひよりんに聞かれずに済んだのかも?)


そう思っていると、突然ふわっとシャンプーのいい匂いが漂ってきた。それと同時に俺の右耳から小さな歌声が聞こえてきた。

この声は、さっきまでずっと聞いていた声だ。右にチラっと視線を向けると、そこには、画面を真剣なまなざしで見つめる天使がいた。

彼女が俺の隣に座り、小声で一緒に歌ってくれていたのだ。どうやら、俺が音程を取りやすいように、ガイドボーカルをやってくれているようだった。


音痴なのに、ひよりんはそんな俺を笑うことなく、おれが歌いやすいように精一杯のサポートをしてくれていたのだ。


おれの視線に気が付いたひよりんは、笑顔を見せ、手を上下させ音程の上げ下げを教えてくれる。


「あれ、音程あってきた?」


まっつんのそんな声が聞こえてくる。ひよりんの優しすぎるサポートのおかげで、音痴ながら、ある程度の音程を取れるようになった。


そして、曲はようやくアップテンポなサビに入ると、まっつんが手を突き上げ一緒に叫んでくれる。人間拡声器も音楽にのって手拍子をしている。ひよりんは一緒に歌いながら、体を上下させリズムを刻んでいた。


ひよりんのサポートのおかげで無事に歌い終わることできた。

すると、彼女はこちらに向かって口を開く。


「萩原君の声って、とってもいい声だよね!なんか、男の人の声って感じ」


(はぁ~、もうおれはここで死んでいい)


(今後の自分の人生にこれ以上の幸せなんてないだろうから)


その後、覚醒したまっつんが、ノリノリの曲をたくさんいれてくれて、カラオケは大いに盛り上がり、あっという間に、時間は過ぎていった。


そろそろ、終了かなと思っていると、


「あれ、ひより、今日はいつものやつ歌ってないじゃ~ん! 入れてあげる!」


人間拡声器がリモコンを操作し、曲を入れる。


「ちょっと、マナ! やめてー!!!」


いつもニコニコしているひよりが珍しく、真剣な表情で慌てて、人間拡声器の手元にあるリモコンに手を伸ばし、演奏中止ボタンを押す。


「???」


見てはいけない気がしたが、反射的に何の曲をいれたのか気になり画面を見てしまう。しかし、画面には、映し出された曲名は演奏中止ボタンで消えてしまっていた。


(何を歌おうとしていたんだろ?)


ひよりんは、顔を真っ赤にしながら、


「もう!マナ!!」


と人間拡声器をとがめている。

そんな人には言えないようなマニアックな歌を歌うのだろうか。


「プルルルルrrrrr」


ひよりんが何を入れたのか結局わからないまま、カラオケは終了した。

しっかりと、ひよりんと人間拡声器二人分のお会計も、俺とまっつんで払った。


「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね。ありがとう」


「萩原、松本、サンキューね!」


(ってか、唐揚げ代払ってくれたのひよりんだったよな)


(なんで拡声器の分払わなきゃならないんだよ)


と一瞬頭をよぎったが、ひよりんと夢のような時間を過ごせたので、お金のことなんてどうでもよかった。


女子二人とは、駅で別れそれぞれ別方向の電車に乗り込む。あたりはすっかり暗くなり、電車の窓に、並んで座る俺とまっつんが映しだされている。


二人の間に会話はない。二人とも口を半開きで、ぼけーっと明後日の方向をみている。



「あっ!」


そうおれが叫ぶとまっつんはこちらを睨みつけるような目を向け、


「なんだよ。せっかく余韻に浸っていたのに。邪魔するな」


「ごめん、ごめん。そういえば、ひよりんが最後に入れた歌なんだったのかな~と思って」


「ああ、お前見てなかったの?」


「すぐに取り消しちゃったから、見れなかったわ」


「あれな――」


まっつんの口から語られた曲名を聞いたおれの全身には電流が駆け巡った。

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