第3話
◇◇◆◇◇
しばらくドミニクの身の上話に付き合うことになった。曰く、彼はゲラート伯爵家の長男として生まれたが、その粗暴な性格と鋭すぎる洞察力ゆえに配下の不満が高まり、密かにドミニクの弟を後継ぎにさせようという動きがあった。それを察知したドミニクは自ら爵位を弟に譲り王都で一人暮らしを始めたが、ドミニクの弟は兄とは対照的に無能で、一家の主を務められるような器ではなかった。そこでドミニクを呼び戻そうという伯爵配下と、いややはりドミニクは信頼できないという配下の間で争いが起きかけていたらしい。
そんな中で、反ドミニク派の配下によって彼は捕えられ、王家に反逆したという無実の罪を着せられてこの牢の中にいるという。
そういえば、アンネローゼもたまにこの話をしていた気がする。彼女曰くドミニクは『変人』で『愚か者』だというが、彼の口調や態度からはどうにもそのような印象は抱けなかった。
私は
アンネローゼのイタズラの責任を被るようになったいきさつ、そして婚約破棄に至るまで洗いざらい。
他人を信じられなくなった私だったが、何故かこのドミニクという男のことは信用に足るような気がした。自分と同じように無実の罪を被ることを良しとするような彼は、きっと私のことを悪いようにはしないだろうと、そういった漠然とした予感のようなものもあった。
「なるほど、優しいなお前は。……甘いと言った方がいいか」
「わかってますよ。私だって皆さんと同じ、アンネローゼ様に逆らうとどうなるのかが怖くて言いなりになってるだけですから」
「でもそれで彼女に全てを吸い尽くされたら仕方ないような気もするが」
「どうなんでしょうね……」
従って全てを失うか、逆らって全てを失うか。結果は変わらないような気がする。
ただ、この生かさず殺さずのような、真綿で首を絞められているような……そんな苦しみは気色が悪い。それは確かだった。
「なあお前さん。いっちょ俺の計画に乗らないか?」
「この国をぶっ壊すんでしたっけ?
「ちげーよ。俺がぶっ壊すのは国というよりもその腐りきった社会──つまりは王族や貴族どもの意識改革が目的だ」
「──へぇ」
難しいことはよく分からない。底辺貴族の男爵家令嬢である私は、幼い頃からひたすら他人に媚びることのみを教えこまれ、政治や軍事、宗教などについては疎かった。それが今日の体たらくを招いていると言われれば返す言葉もない。
しかし、ドミニクは私の無学を笑ったりはしなかった。
いいか? と前置きしてから説明口調で語り始める。
彼は看守が見回りに来るまでの間、これからの計画について話してくれた。
私は彼の計画に乗ることにした。
◇◇◆◇◇
やはりというか、しばらくして私は牢から出されることになった。ドミニクも無実であることが証明されたのか、程なくして解放されたらしい。そして彼は宣言どおり、ゲラート伯爵家を乗っ取り返し、実の弟を無罪としながらも刃向かった家臣たちを厳罰に処すことで当主の座を確固たるものとした。
キルステン男爵家内では私の評価は地に落ちており、帰宅した私に対する扱いは酷いものであったが、それでも今度こそめげなかった。今の私には後ろ盾ができたのだから。
そんな時、またしてもヴァナー公爵家から使いがやってきて、私にアンネローゼからの呼び出しがあったということを伝えてきた。
一瞬計画がバレたのかと思ったが、ドミニクが誰かに話さない限りそれはありえない。
案の定、公爵の屋敷を訪れた私を待っていたのは、上機嫌そうなアンネローゼだった。
「しばらく会えなかったから寂しかったわ……やっぱりあたしにはあなたが必要なのね」
そりゃそうだろう、私がいなかったら今ごろアンネローゼはどうなっているかわかったものではない。
ふかふかのソファに座らされ、いつものように紅茶を振る舞われた私だったが、今日は紅茶には一切手をつけなかった。するとアンネローゼは首を傾げる。
「どうかしたのマヤ? 気分が悪いのかしら? お医者様を呼ぶ?」
「いえ、すこぶる気分はいいです」
「そう、ならいいのだけど……」
どうせまたイタズラをやらかして私を身代わりにしようという
「あなたが捕らえられた時ね、あたしもすぐに助けようとしたのよ? でも王宮相手じゃあいくら公爵家令嬢のあたしといえども簡単に手出しはできなくて……ごめんなさいね? もしかしてそれを怒っているのかしら?」
「いいえ、違います。そもそも私はアンネローゼ様に対して怒ってなどいませんよ」
「そう、よかった……そうよね。あたしたちは『親友』だものね? 特別な信頼関係があるもの」
借金で縛りつけていいように扱って……なにが『信頼関係』か!
その言葉で私の脳内のスイッチがカチッと音を立てて入った。
──もう頃合だろう。
「──アンネローゼ様」
「なあに?」
「私はあなたの『親友』です」
「そうね。わかっているわよマヤ」
うんうんと何度も頷くアンネローゼ。
「アンネローゼ様の道を正すのも『親友』の役目だと思いませんか?」
「えっ?」
「私は『親友』として、アンネローゼ様を救いたいのです」
「どういうこと?」
アンネローゼは意味を測りかねているらしい。しきりに首を捻っている。
と、その時、部屋の扉が開いて公爵家の私兵が駆け込んできた。
「大変ですお嬢様! 先程何者かによって裏の窓が割られているのを見つけまして……」
「まあ大変! 誰の仕業かしら?」
すかさずアンネローゼは私の背後に立って肩を軽く叩く。──身代わりの合図。
が、私は名乗り出ない。──だって、やっていないのだから。
「マヤ? どうしたの?」
「──ってません」
「ん?」
「アンネローゼ様。やってませんよ私」
振り向きざまにアンネローゼに向かってそう言ってやった。たちまち彼女の美しい
「な、何を言っているのかしらマヤ。やったのはあなたでしょう? またいつものように……」
「今まで一回たりとも私はこの家のものを傷つけていません。全部身代わりになっていただけです」
「あ、あの……これはどういう……?」
「嘘よ! こいつは嘘を言っているの!」
困惑する私兵に必死の形相で訴えるアンネローゼ。
私が少し逆らっただけでこの慌てようである。もはや滑稽だ。今までこんなやつの言いなりになっていたのかと笑えてきてしまう。
「屋敷に案内されてからずっとこの部屋にいましたから。私がやっていないということは、案内してくださった門番の方に聞けば分かることです。そして以前のことも全て、私がやったという証拠は一切ないはずです」
「そんなの! 門番が話すと思う?」
「話しますよ。というかもう
アンネローゼは「そんな……」と呟いて呆然としてしまった。恐らく彼女は自分のイタズラを目撃してしまったり、私の無実を証明してくれそうな私兵や門番や、王宮の見張りたちにもある程度の金を握らせて口封じをしていたのだろう。だが金で買われた人間など本当の意味で信用できるわけではない。
それ以上の金を握らせれば呆気なく転ぶ。キルステン男爵家にそんな金はなくとも──例えば、ゲラート伯爵家だったら?
──と、これがドミニクの計画だった。
『どうやらうちの配下を扇動してお家騒動を引き起こしたのは、ライバルを蹴落とそうと目論むヴァナー公爵だったらしくてな。きっちりと礼がしたいのさ』
結局ドミニクの手のひらの上で踊ることになってしまったが、私としては悪くない。むしろこのままアンネローゼに踊らされるよりも百倍マシだった。
「マヤ……! この裏切り者! 今まであたしがどれだけあなたを可愛がってあげたと思ってるの!」
「ええ、たくさん『可愛がって』いただきましたね。これはそのお礼です」
「なっ……! 兵士たち、この無礼者をひっ捕らえなさい!」
命令された兵士たちは、この錯乱しているように見えるお嬢様の命令に素直に従うかどうか決めかねているようだ。が、その時背後から別の私兵の一団が姿を現した。
「お嬢様、公爵殿がお呼びです。──たいそうお怒りのご様子で……」
「まさか……お父様が?」
怒りで真っ赤だったアンネローゼの顔が一気に青ざめた。私兵たちは嘆息する。彼らも薄々アンネローゼのイタズラの数々に気づいていたようだ。それでもそれを指摘することはできなかった。──ドミニクの言うとおりだった。
「年貢の納め時ですよ。お嬢様」
「うるさいわね! あたしはこんな……こんなところで終わるような人間ではないのよ!」
諦めの悪いアンネローゼは今度は私に
「ねぇマヤ? あたしたち『親友』よね? お父様に、『イタズラは全て私がやりました』って言ってくれないかしら? あなたの無礼はそれで許してあげるから。ね? そうしましょ?」
「……」
「ね? お願い! 『親友』ならあたしの頼みをきいてちょうだい?」
今更どの口が……。
私は小さく息を吐いた。ため息と嘲笑と、その中間のような感じだったと思う。それでも彼女には私が微笑んだように見えたのだろうか。少しだけ表情が和らいだ。
「……私はアンネローゼ様の『親友』です」
「よね! よかったわ!」
「さっき言ったはずですよね? アンネローゼ様の過ちを正すのも『親友』の務めです。しっかりと叱られて、私が今まで味わってきた
「えっ……?」
再び絶望の表情になったアンネローゼは、両脇から私兵に抱えられるようにして部屋から連れ出されていく。
「い、いや、いやぁぁぁぁっ! 放して! 放しなさい! 命令よ! ──無礼者! マヤ! 助けてマヤぁぁぁっ!」
この期に及んで私の名前を叫び続けるアンネローゼは、あっという間に姿を消し、部屋には私と数人の私兵が残された。
「今までの数々の無礼、お許しください。マヤ・キルステン嬢」
「いえ、大丈夫です。お金の力には逆らえませんもんね」
頭を下げた兵士たちは、苦笑した。
「今回は、ゲラート伯爵からたくさんお金もらったのでしょう? いくらくらいですか?」
「はっ、あはは……それは……その」
バツが悪そうな兵士たちに向けて、私は口の前に人差し指を立ててみせた。「誰にも言わないよ」という意思表示。私が──多分人生で初めてやったイタズラ心というやつだ。
一瞬ドキッとしたような表情をした兵士たちを残して、私は家路についた。
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