第2話
◇◇◆◇◇
ヴァナー公爵の屋敷よりも大分と小さい自分の屋敷に戻った私は、案の定帰ってきた父親にこれでもかというほど叱られた。無理もない。公爵家の馬を十頭もなくしてしまったのだから。
これできっと父親の借金は増えるだろうが、父親は私がアンネローゼと付き合うのを辞めるようにとかそういったことは一切口にしなかった。むしろ「アンネローゼ様のおかげで今回もあまり大事にならずに済んだのだから感謝しなさい」とまで言われた。
もしかしたら、父親は私とアンネローゼの関係を知っているのかもしれない。だったらなんとかしてもらいたいものだが、元の原因が父親の借金である以上どうにもできないのだろう。
救いはない。諦めるしかないのだ。
そんな私が唯一の心の支えにしていた人物がいた。
婚約者のベンノ・シュトックバウアーだ。ゆくゆくは子爵家を継ぐ彼は病弱で少々気弱ではあるが、優しい。ただし単純でバカだ。
私がまた「やらかした」という噂を聞きつけたベンノはすぐさま私を訪れてきた。
「マヤがそんなことをするなんて、何かの間違いだと思いたいけど……」
彼は心配そうな表情でそんなことを口にする。
そう、何かの間違い。私はやっていない。……のだが、それをベンノに伝えるわけにはいかない。本当はこの優しく正義感の強い青年に全て打ち明けて楽になってしまいたくてもそれはできないのだ。下手をすると私たち家族だけでなく彼の家族も追放されかねない。それは私の望むところでもなかった。
「……ごめんなさい」
「謝ってるだけじゃ分からないよ」
「全部、私が悪いんです……私が……」
「そっか……ごめん……」
「なんでベンノさんが謝るんですか……」
テーブルを挟んで反対側の椅子に座るベンノは酷く悲しそうだった。
「ごめん……僕にはマヤが分からない……本当に分からないんだ……」
「……」
「これまで何度もこういうことがあったけど、君はなにもはなしてくれなかったじゃないか……僕はそんなに力不足なのかな?」
「いや、そういうわけじゃ……」
思い詰めた様子だった彼は、意を決したように口を開いた。
「──役に立てないのだったら、僕が君の側にいる意味ってないよね?」
「……あの、それってどういう……?」
「ごめん。もう会うこともないと思う」
引き止める隙すら与えず、彼は足早に去っていった。
その後父親から、ベンノから婚約破棄の申し入れがあったと伝えられた。優しげな様子を装っていても結局、気の弱い彼は私を見捨てた。そうに違いない。
──『婚約破棄』。
その言葉は私の心に重くのしかかってきており、たった一つの希望──支えが失われた私は呆気なく壊れ……誰も信じられなくなった。
その後も私はアンネローゼのイタズラの身代わりになり続けて、すっかり私の悪名は王国中に知れ渡ることとなった。父親も最早私を叱ることすらしなくなり、味をしめたアンネローゼは遂に王宮の宝物にまで手を出したため、私は王宮の牢獄に入れられることになった。
王宮の地下にある牢獄は、国家に刃向かった重罪人が入れられるということもあってか、公爵家の牢よりも幾分か劣悪な環境だったが、私は以前のように寒さや惨めさを感じることは無くなっていた。
服が濡れたり汚れたりするのにも構わず地べたに座り込んでぼーっと壁を見つめる。
こんな牢に貴族を入れるというのは大方反省を促すのが目的であり、しばらくすれば出されるとは思っていた。が、あと何回アンネローゼがイタズラをすれば私に正式な処分が下されるかわかったものではない。──でもどうでもよかった。
もう私には何もない。生きる希望すら失ってしまったのだから。
──ポタ……ポタ……ポタ……
地面を打つ水滴の音が一定のリズムを刻む。牢の前には看守や番人の姿は見えないが、きっと入口の警備は公爵家の牢よりも厳重だろう。これはアンネローゼも私を救出するのに手を焼くに違いない。
なんともなしに水滴の音色に耳を傾けていると、カンカンカンと耳障りな音がした。
隣の牢の囚人が鉄の
「もし、そこのお嬢さん?」
「……?」
ゆっくりと視線を向けると、そこには囚人にしてはしっかりとした身なりの男が一人、
「お前さんが噂の『ヤンチャ令嬢』様かい?」
「……なんですかそれ?」
いつの間にそんな不名誉な異名がついたのだろうか。だが、今まで私が被ってきた罪を考えると致し方ないのかもしれない。もっとも、ヤンチャなのは私ではなくアンネローゼなのだが。
「聞いたぜー? 公爵家で度々騒ぎを引き起こしてきた男爵令嬢様が今度は王宮の秘宝に手を出して牢獄にぶち込まれたってよ。ほんと命知らずだよな」
「……そういうあなたは何の罪で捕まったんですか?」
言外に肯定の意を伝えると、男は無精髭を撫でながらニヤリと笑った。よく見ると端正な顔立ちをしている。──反逆して死刑を待っている元貴族とか、その辺だろうか?
「なんもしてねぇよ」
「は?」
「だから、なんもしてねぇ。俺はな。ただ、俺にうろちょろして欲しくないって思ってる奴らがいるんだろうよ」
「……そう、ですか」
何もしてないのに牢に入れられることがあるのだろうか? いや、考えてみれば……。
「そう、お前さんと一緒だよ」
「なっ!?」
私は
「んなもん一目見たらお前さんが王宮の秘宝に手を出せるような命知らずじゃねぇってのは丸分かりだ。──多分他にも分かってるやつたくさんいるんじゃないか? ……『マヤ・キルステンは誰かを庇っている』ってね」
「知ってるなら何故……」
「言えないんだよ。権力には逆らえない。公爵家や王家がお前さんを罪人だと決めつけたら誰も異を唱えられない。──それがこの国さ」
ぼんやりとした光に照らされて彼の顔が青白く輝く。その瞳には妖しい光が宿っており、顔立ちの端正さやその荒っぽい言葉遣いやミステリアスな声のトーンも相まって妖艶さも感じさせる。
私は、こう問いかけるしかなかった。
「あなたは──何者ですか?」
男は少し間を置いてから檻の近くに身を寄せ、こう
「俺の名前はドミニク・ゲラート。今はただのドミニクか。──ゆくゆくはこの腐った社会をぶっ壊す者だ」
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