第四十二話 目が覚めた後のあいさつ
目が覚めた時、まず目に飛び込んできたのは随分様変わりした南の光景だった。
「……ひょっとしてまだ夢でも見てるのかな」
久々に出した声はがさがさと掠れていて、思わず咳き込む。けどこんなことになっているなんて想像もしていなかった。
確認の意味も込めてもう一度南の風景を見つめる。部屋の下から見える光景は相も変わらず北の人間と南の異民が交流しているところが映っていた。身なりのいい富裕層の男が獣人種の男から酒を受け取って一気に飲み干したかと思えば、エルフの女性が北の女性たちに囲まれて質問攻めにあっている。この部屋にいても聞こえるくらい「お肌の秘訣は?」「本当に私たちより年上なの⁈」という声がとんできた。
私が寝ている間に何が起きたのか、南と北は随分と仲良くなったようだ。外の様子を確認して床に足を下す。少しよろめいたが完全に足の筋肉は衰えていなかった。ぎしりと床を踏みしめて階段を目指す。覚えのない家だが誰かが私を寝かせてくれたのだろうか。頭の傍には水差しや看病に使ったと思わしき布もあった。
とりあえず二階らしい場所から下へ降りるとがたんっという激しく物音をひっくり返す音が聞こえた。音のした方を見れば目をこぼれ落ちんばかりに見開いた男の姿が見える。黒髪黒目の精悍な顔立ちをした男で、布の簡素な服に恵まれた体躯を押し込めるように着ていた。
男は椅子に座って食事をしていたらしいが皿はものの見事に中身をテーブルへと落としており、しかしながら男はそれすらも忘れたように私を見つめていた。
はて、と私は首をかしげる。よく似た男を知っているがあいつとは少し印象が違う。もっと幼い感じがしたが、それより随分幼さがそぎ落とされているような。だがわなわなと震えていた男がはじかれるようにこちらへ突進してきたのを見て私は確信する。
「…………! ――ルネッ!」
あ、こいつカシテラだ。しかしそう思うも遅く、私は寝起きの体には重すぎるほどの巨躯に押しつぶされることになった。
※※※
「……抱き着くにしても加減してくれ。私は君の全力で骨の二、三本は折れかねないからな」
「す、すまん」
起きて早々死ぬかと思った。私より二回り大きい体に潰されぐったりしているのを見てようやっとカシテラは落ち着いたらしかった。今はその体を縮こまらせて私の前の椅子に座っている。随分と成長したカシテラは中身の方はそれほど変わっていないらしかった。
「ここは君の家か?」
「ああ。今までは教会で寝泊まりしていたんだがな。とてもじゃないがあそこでは眠れる状態じゃなくてな」
あんな騒ぎがあったのだし、そうでなくてもこいつにとっては複雑な心境の場所に違いないだろう。そう困っていたところに南の住民が家を貸し出してくれたのだと言う。
「なるほどな。さて、聞きたいことはいくつもあるわけだが」
どうして外がこうなっているか、とか。あの後どうなったのか、とか。聞くべきことはいくつもある。けどまずはこれを言わないといけないだろう。鼻を掠めていく穏やかな甘い風からして、私は随分寝こけていたようだから。
「……おはよう、カシテラ」
「――――ああ、おはよう。ルネ」
精悍だった顔が幼げにくしゃりと笑う。こうしてみるとあまり変わっていないのかもしれない。
「二月ほど見なかっただけなのに、君は随分大人びたな」
流石に季節が変わるほど眠りこけるとは思っていなかった。そう言う私の前に乾燥果物の甘煮の皿を置きながら、当たり前だと言ってカシテラが苦笑する。
「貴方が眠っていたのは二月なんてものじゃないんだからな。自分も年を取る」
「…………なあ、ひょっとして私は―――」
嫌な予感がした。私がぶっ倒れたのは寒い季節目が覚めたらその季節の次だったものだから、数か月ほどだろうと踏んでいたのだが。
私の記憶よりも大人びた騎士は言う。
「一年だ。あの日から丸一年、貴方は眠り続けていた」
そりゃあ大人びもするものだ。一年ずっと見ていなかったのだから。思わず乾いた笑いをこぼしながら、私は甘煮をすくい上げる。あの牢で食べたものと同じ甘さが喉を焼いていった。
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