幕間 ダンピールを知る者たち

 彼が幼いころ、父と母は死んだ。母は人間で、父は鬼族オーガだった。鬼の子と石を投げられた故郷から遠くに移り住み、この国の南で慎ましく幸せに暮らしていた時のこと。


 唐突に、彼の両親は死んだ。鉱石掘りの帰りに、吸血鬼に襲われたのだと。幼い子供に親の亡骸を見に行くような胆力はなかった。


「前を向きなさい。可愛い子よ。両親は残念だったが、これからもいつも君と共にあるのだから」

 優しい人だった。教団を率いる彼は少年を拾い我が子のように育ててくれた。彼らは死してもお前と共にいるのだ。だから泣くのはおよし、と美しい石を少年に寄越した。


 それは両親の魂なのだと、涙を拭いながら教えてくれた。




 本音をもし言うのであれば、初めは打算だった。

 

 もしも彼女を連れて帰れば、自身の父はきっと褒めてくれるに違いない。父が神の力だと言う、一度も見せてくれないあの儀式を別に担う者が現れたのだとすれば。あの厳格で優しい父は、もう一度頭を撫でてくれるに違いないと。


 少年はまっすぐに育ち、青年となった。オーガ特有の恵まれた体格と筋力を持ちながらも、人の心を考えれらる優しさを持つ立派な若者になったのだ。


 しかし、自身を育て上げた男が変わってしまったように感じられたのは彼が望まれたように聖堂騎士となったある日のことだった。


※※※


「ッここは⁈」

「おっト。動クなヨ」

 目を覚ますと、そこは見知らぬ風景だった。男の傍らには、彼が迎えに来た際に二言三言交わした女が座っており、質素な部屋の隅には巨体を丸めて座るオークの姿がある。

 男は反射的に自身の剣を掴もうと腰に手を触れる。が、剣はない。その挙動を読み取ったように女が口を開く。豊満な肉体をぼろきれのような布で覆った褐色肌のエルフだった。


「剣は悪いガ預からせテ貰っタ。暴れられテは困るんデな」

「……ここは、どこなんだ。――――ルネはっ」

 身を起こすと霞がかっていた男の思考がだんだんとクリアになっていく。自分が何者で、今まで何があったのか。暗闇の中自分に何かを与えたダンピールの姿。彼女が倒れるのを最後に、男の記憶は途切れていた。

 

 思い出した彼女の名前を叫ぶように声に出した後、男は胸を抑えて蹲る。まるで突き刺す様な痛みが胸を走り抜けたからだ。


「やめロ。まだ術ガ完全に同化シたわけじゃなイ。馴染むまで安静にしてロ」

「こ、れは……どうなっているんだ。ルネは、一体…………」

「あんたハ、あイつに助けられたんだヨ。聖堂騎士」

 そう言うと女はトントンと自身の胸を拳で示す。


「あンたの心臓は今やただの心臓じゃなイ。あいつの術で作らレたダ」

「………心臓を、宝石で?」

 男は思わず自身の胸に手を押し当てる。冷たい槍で貫かれたはずのそこからはどうしてか規則正しい鼓動がちゃんと伝わって来た。信じられないとでも言いたげな男に女は頭を掻く。


「アタシだって信じられないサ。こんなめちゃくちゃな術ガ存在するなんてネ」

 あの少女が、自分を助けるために心臓を作った。切り付け、裏切った自分のために。


 男は傷が痛むのも構わずに部屋を見渡す。しかし、そこに彼女の影はない。

「っ、ルネ、ルネはどうしたんだ! まさか、置いていったのか⁈」

「………あの場じゃ、あンたを連れて逃げるので精いっぱいだっタ。それにネ」

 行き場のない怒りを声に滲ませる男に対し、女は静かに目を伏せて言う。


「あいツが望んダことダ。お前を連れテ帰レってな」

「――――――な」

「馬鹿だと思うヨ。何より大事なのは自分ノ命だっテのに」


 信じられなかった。あまつさえ、彼女を危機に晒した元凶は自身に違いないのに。

 それを、助けるなんて。

「あトこれは、あいツからの伝言ダ」

 

 ―――助けに来るなら、ちゃんと二人生きて帰れる方法で迎えにこい。


 半ば自暴自棄になった男を、見透かすような言葉だった。自分には罪があるのだから裁かれて、殺されて当然だと考えていた男の内情を分かっているかのような。目を見開く男に対して、女は言う。

「お前は、あいツを助けニ行くのか」

「………無論だ」

「『助けられたのだから恩を返さねば』なんテ腑抜けたことを言ったラ、ここニ縛ってでモおいていク」

 男は驚いて女を見上げた。その赤い目は、前に会った時とは比にならないほどに据わっている。


「――――何故、そのような」

「決まっていル。アタシはあいつほど優しくなイ」

 約束を破った相手を信用はできない。そう続けて言う女の目は雄弁に「あいつを傷つけたな」と語っていた。


「恩だけデ動く奴は信用できなイ。いつ裏切るとも分からンからナ」

 これ以上あいつを傷つけるなら、見えないうちに勝手に回復させた後で適当に放ってやる。そう女はツンと言った。


「壊れやすい奴なんダ。脆くて、崩れそうなのに誰かに優しくすることを止められなイ」

 信じた友人に裏切られ、家族も種族も無くしたというのに。あの娘は繋がることを諦めきれないのだと女は言う。口では周りを諦めたように拒みながらも、実際は女に宝石の目利きを申し出るように。


「これ以上辛い目ニあって欲しクないんだダ」

 穏やかな目でエルフはそう語る。その口調には、同じく長寿を宿す者への慈しみの色が滲み出ていた。


 しかし、一度目を閉じ厳しい光を宿した目を女は男へと向ける。


「もう一度聞く。お前はどうしてあいつを助けに行くのカ」


 なあ、聖堂騎士よ。女からの問いに男は、カシテラは一つ息を吸った。


 初めは打算だった。神の力を使う人間が増えれば、ガレナの負担はきっと軽くなる。今までずっと神へのお伺いを立てる必要があったのを取っ払うことができるのだから。


 そう思って近づいた相手は、カシテラ自身が考えたものよりずっと幼く美しい図型形をしていた。


 白銀の髪に深い緑の目。そのどちらも作り物のように美しく、細工物のような儚さを秘めていた。こんな年若い少女に神の力が宿るなんて。


 カシテラは初め、打算と庇護欲の半分で彼女に近づいた。


 けれど実際のところ。彼女はカシテラよりもずっと物事をよく知っていて、彼よりも世間になれていた。


 よく言えば場慣れしていて、悪く言えば擦れている。繊細な見た目と反対に、彼女はとても強かだった。また別の興味がわいた。生き生きと宝石について話す彼女にもっと近づきたいと感じ始めていたころ。


 その感情は相手を知って、絶望になった。こんなにもまっすぐな人が、父母を殺した種族と同じなのだ。


 だけど、けれど。彼は知ってしまった。憎むべき対象の弱さを。秘められた感情に触れてしまったから。あの間者が現れた時、酷く傷ついた表情をしたあの顔が、目に焼き付いて離れない。彼は情けなくも固まってしまったあの時、彼女の顔を見てこう思ってしまったのだ。


 なんと脆い人なのだろうと。

 

「……助けたいと、思った」

 感情を言葉にするとはこれほどまでに難しいものかと、男は戸惑う。それでも、言わなければならなかった。

「彼女が、ルネがこれ以上傷つくところを、見たくないと、そう思った」

 およそ庇護欲なんて生易しいものではない感情であった。流れ落ちる怒涛の水のように、抑え切ることのできない感情だった。

  

「お願いだ。自分もどうか連れて行ってほしい。自分の親のことは、自分でケリをつけたいんだ」

 今まではずっと目をそらしてきた。父と慕ったあの人が、大量の宝石を運ばせる姿を見た時も。忍んできた誰かに、その宝石を渡していた時も。


 彼に意見した誰かが、次の日には従順な目に変わっていた時も。けれどそれも、もう終わりだ。


 

「……そうカ」

 女はどかりと目の前に座ると、男に言った。

「アタシはスパイラ。あのデカブツはレイジャ」

 にいっと悪い笑みを見せると女は言う。


「持ってる情報を全部よこしナ。作戦会議ダ」


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