第三十話 親と子ども
引きつれられて走る。引っ張られる腕が少し痛かった。
カシテラはあの後、急に現れるや否や地下牢の壁を破壊した。文字通りの破壊だ。腕に力を溜めたかと思えばけたたましい音と共に土の壁が吹っ飛んでいたのだからさすがの私も目を丸くするしかなかった。
百年近く生きてはいるものの、素手で壁を破壊する奴なんて見たことない。
私が言葉を無くしている間に、カシテラは無言で私の腕を引っ張った。そして今に至るというわけだ。空は暗く、星明りさえ見えない程の黒さがあった。無言のまま走り続けるカシテラに言う。
「驚いたよ。まさか素手で壁を破壊する奴がいるなんてな」
「………」
「あの騒ぎは君が原因か? おかげで奴らかなり混乱しているようだ」
「……」
「あ、何か妙な事されなかっただろうね。拷問なんか受けてないかい?」
息を切らせながらもしたどの質問にもカシテラは無言のままだった。だが、最後の質問にだけ違う反応を見せる。
「……どうして」
「ん?」
「自分は、心配されるような男では、ない」
「どうした。言っただろう、私も妙な拷問の類は受けていない。君が危惧するようなことはなにも―――――」
「自分は、貴方を裏切った」
握られた手に強く力が込められた。私の掌を包み込んでしまうほど大きな手は、微かに震えている。
「取り返しのつかないことを、した。貴方を傷つけた」
「……なんだ知らないのか。あれは悪の親玉が勝手にだな」
「ちがう」
うまく意見を言うことのできない子どものように首を振る。
「自分は、自分の意志で、貴方を切った」
冷えた風が頬を切るように通り過ぎていく。自身の言葉で自らを串刺しにした騎士は、血を吐くように言った。
「両親は、吸血鬼に殺されたんだと教えられた。ガレナ様は自分を我が子のように育ててくださった」
吸血鬼への怒りが急に抑えられなくなった。憎らしくて憎らしくて、たまらなくなった。
「だが、それは恥ずべき行為だ。己の激情に任せて関係のない者を傷つけるなど」
騎士は立ち止まる。そこはちょうど、教団の敷地からでようという瀬戸際のことだった。
※※※
「………おい。変なことを考えるなって、私は言ったはずだ」
「貴方を巻き込んだことは変わらない。自分の罪は、けして変わらないんだ」
「――――なあ、おい。やめろって」
腕を引く。でも奴の体は根っこでも生えたかのようにびくともしない。嫌な汗が流れ落ちた。
この目は、嫌いだ。だって、私を守って死んでいった両親と、同じ目をしているから。
「……あいつはお前を道具として扱ったんだ! お前は被害者だ、怒っていいんだ!」
「いいや。ルネ、自分は何も知らなかった。知らないふりをしていたんだ」
足音が聞こえる。何十、何百の兵隊の足音。
「自分には分からない高尚な考えがあるに違いない。そんな非道を、あのお優しい方がするわけがない」
そうっと掌が離れていく。壊れ物を傷つけないように。
「そうやってずっと目を背けて従ってきた。自分だけが被害者の顔をして言い訳がない」
「――――っならここから逃げ出した後でいくらだって考えればいい!」
「駄目だ」
騎士は、親を前にした幼い顔で笑った。
「自分は、まだあの方を、親として愛している」
「――――――」
「だから、逃げることはできない。ガレナ様の子どもとして、一緒に罪を償う」
その子どもは、傷ついてボロボロで、今にも泣き出しそうで。敬愛すべき親に手を離され、道具のように利用され、ただの駒として扱われているようにしか見えないのに。
なんて、純粋に笑うんだろうか。どうして、そんな顔ができるんだろうか。
なあ、だって。一番傷つけられたのは君じゃないか。
何も分からなかった。私を突き放すようにカシテラが手を伸ばして、その顔が目の中に焼き付いていく。その時だった。
「…………、ぁ?」
赤い、飛沫が私にかかる。熱い鉄の臭い。ぬるりとべとついた赤。
それは騎士の鎧をを突き破り、私の目の前で先端が血と脂を弾いて輝いていた。透明で無骨なそれは、似つかわしくない冷気を放つ。
「カシテラ。我が息子よ」
教会の入り口に、男が立っていた。黒の装束を着た男。私と騎士を捕らえた男。大勢を従えた教祖は、右手を前に突き出したままだった。指には、青い指輪がはめられている。
「が、れな、さま」
「………吸血鬼を逃がすなど、愚かなことを」
わき腹から粘性をもった赤色が地面を黒く濡らしていく。
「そこをどきなさい。カシテラ。お前はその化け物に騙されているんだ」
不気味なほどの笑みを湛えて、ガレナはあくまでも息子へ話しかけていた。自身に従う、子どもに。
「父さんの、言いたいことが分かるだろう。私だってこんなことをしたいわけじゃない」
頭を無理やり押さえつけるような、威圧めいた表情のまま。男は顔と声をちぐはぐにしながら言う。
「さあ、どきなさいカシテラ」
その言葉に、騎士は目の前に立ちふさがった。
「……いやです。自分は、自分が正しいと思ったことを、やり遂げたいので」
血を吐きながら、そう言って。その言葉に、教祖は。
「裏切者」
たったそれだけを言い放ち、手を向ける。瞬間。二本目の氷の槍は、騎士の胸の中央へと深々と突き刺さった。
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