第二十四話 嘘つき

 冷たい黒の相貌は石のように動かなかった。

 

 ただまっすぐに私を見ていた。ただ冷ややかに私を睨んでいた。口の端を歪に吊り上げた笑い方を、見たことのない笑みを浮かべながら。カシテラは、血の付いた刃を手にしていた。


 ※※※


「……どう、して」

「不思議そうな顔をしているな」

 底冷えするような声。暖炉では変わらずに炎が煌々と燃えているのに胃の底が冷たくなる。


 ぼたぼたと背中から流れ落ちていく感触に、心臓の鼓動と共鳴するように痛みが強くなっていく。呆然と響く私の声にカシテラは言った。


「ずっと、考えていたんだ」

 風を切る音と共に剣を振る。振られた勢いで剣についた血が半円を描くように床へ散らされた。べとりとついたそれを、まるで汚らわしい物でも見るかのような眼差しで一瞥してから、こちらに視線を戻す。


 姿形はカシテラだ。あの真面目で、少し不器用でお人よしのあの騎士のはずだ。それなのに、今目の前にいる男はまるで別人に見える。


、ずっと考えていた」

「………ころ、す?」

「当然だろう」

 その目は私を見ていなかった。


を、どうして許しておける」


 私の中に流れる、吸血鬼だけを見ていた。


 その目を私は良く知っている。―――あれは、何度も向けられた怪物を見る眼差しだ。


「じゃあ、なんだ。君は」

「……お前には騙されたよ」

 吸血鬼に剣を向けながら、騎士は言う。


「だが、いい機会だと思い直したんだ」

 自分の両親に手をかけた種族に、己の手で復讐ができる。くつくつと男は笑った。

「名前を呼ぶのも、隣を歩くのも。おぞましい気分だった」

 だが、ただ切るだけでは復讐になどならない。もっと強く強く絶望させてやりたかった。


 剣先が明かりに照らされてぎらぎらと凶悪な光を放つ。


「両親は、吸血鬼に殺された。恐怖の表情をしたまま冷えて固まって捨てられていたらしい」

 死因は失血らしいと騎士は言った。両親の首には牙の跡がついていたとも聞かされたという。男の父と母は、吸血鬼に血を吸われ死んでいったのだと。


「可哀そうに。恐ろしい思いをしただろうに」

 足がゆっくりと動き、こちらに近づく。それに合わせるように、私も一歩後ずさった。

「だから―――――、お前に飛び切りの恐怖を植え込んでやろうと思った」

 その動きはまるで獲物を狙う獣の如く。しかし奴は追いつめ捕食するためではない。私自身に後悔させるためだけにそうしているのだ。

 

 このような生まれであることに懺悔しろと、恨むのであれば己の出自を恨めとそう言わんばかりに。


「ただ殺すだけじゃ、両親はあまりにも浮かばれない」

「………は、そのため、だけに?」

「そうだ。そのためだけに」

 なんだ、笑えるな。そのためだけに、一緒にいたんだ。


 私を苦しめたいから、だったのか。


 私を見ることなんてしていなかったんだ。

 

 ああ、これだ。こんなことにいなるから、この瞬間がいつだって耐えることができないから。だからずっと閉ざしてきたのに。ずっと、目を背けてきたのに。

 

 それをまた忘れるなんて私も馬鹿だな。 

 

 冷たい目は私を殺すために。銀の剣先は私を貫くために。絶望と痛みと苦しみを与える騎士は、目の前に立ちふさがる。


「だが、自分はお前たちのように悪趣味ではない。だからもう終わらせてやる」

 もう一歩前に進む。暖炉の光に照らされて、ゆらりと立ち上がった影が壁を這うようにして私を追い詰める。濡れた背中が壁に当たり、べとりと嫌な感触を残した。

「あがけ、化け物」

 一歩。

「醜く生に執着しろ」

 一歩。

「―――あがいて、もがいて、最後まで苦しめ」

一歩。


 剣先が体に届くか届かないかのギリギリの距離。逆光と失血からのくらみに、相手の顔がよく見えない。だが、それはきっと心底憎たらし気に歪んでいるに違いなかった。

 





 別に、嫌いではない。真正直さもお人好しなところも。強引で話を聞かないところも。


 頭を痛めたことはある。でも、だからと言って憎めるかと言われれば難しい。こうして痛めつけられているのに。こうして刃を向けられているのに。


 それでもどうにも、私はこいつが嫌いになれない。


 人との付き合いなんて久しぶりだから、感覚が壊れてしまったのかもしれない。


「………分かった」

「――――――」

 この騎士はこじ開けてしまったんだ。人間からあぶれたはぐれ者の、飢えていた心を。目の前に止まったままの剣を握る。

 

 じゅう、なんて音共に焼けるような臭いがした。


「――――――触るな、化け物」

「……いい。ころされて、やる」

 銀に反応を起こしているようだ。手のひらが焼けるように熱い。こんなものを刺したら、どうなるんだろうか。想像したこともない。


 それを、引き寄せる。


「――――触るな、触るなと言ってるんだ!」

「私、は……いい」

「やめろ!」

「お前、に、なら」

 その切っ先がマントの合わせを破って薄皮一枚隔てた胸の上、ちょうど心臓のあたりに据える。


「……………別に、ころされても、いい」


 どうにもおかしくなってしまったようだった。殺されてもいいだなんて狂人の考えだ。でも、私は随分生きたと思う。それこそ普通の人間と比べればずっとずっと長く生きた。惰性で流れるように、日々を過ごしてきた。


 だから、もしここで終わるのなら。


 一人の生真面目で優しい騎士を、前に進めるだけの役割が持てるのなら。


 それはそんなに悪くないことかもしれないと、思ってしまったのだ。



 自分の力を振り絞って、剣を胸へと押し当てる。焼けつくような痛みに、息が詰まった時だった。

「――――――ッ!」

 ぐんと剣が引っ張られる。力任せに引かれたそれにまだ握りっぱなしの私の体もつられて前にもつれる。


 まるで私を剣から






「おいっ! こいつを取り押さえろ」

 暗くなっていく視界の端に、知らない誰かの足が映る。銀で揃えられた幾本もの足がばたばたと走り回っていた。


 知らない誰かの声が、騎士に向かって投げかけられると同時に腕が騎士を押さえつけた。あの騎士を彷彿とさせる銀色と、にわかに騒がしくなり始めた周囲の音を遠くに感じながら私はゆっくりと目を閉じた。

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