第二十二話 カシテラの言葉
「んー…………」
「オイ、ルネ。ここで寝るなヨ」
「あー……酒が……酒があぁ」
「お前モだレイジャ! どいつモこいつモ全く……」
眠い。とにかく眠い。酒が良く回ったのか、それとも話疲れか。くってりとテーブルに突っ伏したまま、スパイラの声に生返事をする。
ここまで酔ったのは何十年ぶりだろうか。今はテーブルの冷たさが火照った頬に心地いい。
ここで寝られると面倒とばかりにスパイラの腕が私を揺さぶる。口の中にわだかまった言葉にならない声を出すとため息を吐いてレイジャを起こしにかかることにしたのか、彼女の倍はあるだろう背中をばしばしと遠慮なく叩き始めた。
時々叩く振動と共にみしみしなんて音が聞こえるような気がするが今は気にすることもできない。眠いのだ。
「あーあー、二人の介抱なんテ御免ダぞ」
呆れかえったような彼女の声が聞こえた時、冷たい風が背中から吹き抜けていくのを感じる。寒さに肩を縮こまらせているとスパイラの声がした。
「お、噂をスればダな」
「……………」
声が遠くてよく聞こえない。誰かと話しているのだろうか。
「…………」
「酔ってるだけダ。少し飲ませすぎテな」
「……」
「ああ、別ニ企んデなんカいやしないヨ。最近の様子ガちょいト気になっテね」
スパイラは今の状況の説明をしているらしかった。どうかしたのかと思って顔を上げるが想像以上に酔いが回っているらしい。視界がぐにゃりと歪んでいた。
眠い目をどうにか持ち上げれば、酒場の入り口に誰かが立っているのが分かる。随分と大柄だ。レイジャほどはないにしても、ガタイが良い。
あ、でも駄目だ。眠い。少し頭を上げるのが精いっぱいで、再び波のように襲ってくる眠気にあらがえなくなっていく。
誰かの会話を子守唄に、私の意識は闇へと滑り落ちていった。
「……あんタがどこまデ知ってるかハ知らんがネ。中途半端に投げ出スなら会うノはこれっきリにしてやってくレ」
「…………」
「長生きっテいうのはあンたが思ってるよリ情に弱クて脆イ。水を必要としなくてモいいように中生きテきた植物に水を与えた後、とり上げればどうなルか分かルダろう」
「………」
「それでモ隣にイるってなラ覚悟しろヨ、人間。長寿命ってのはすグ死ぬお前たちト違っテ面倒が多イんだ」
※※※
………なんか揺れてる気がする。
うっすらと目を空ければ辺りは暗い。首のあたりを通り過ぎていく風に身を竦めた。どうやら外にいるらしい。
はて、なんだか景色も少し高いような気がする。あんな遠くの家まで見えたっけ。というかさっきから足を動かしている感触がないのに前に進んでいるのはどういうことだ。
「……目が覚めたか?」
「ん、んんん⁇」
「家まで少しだからな。気分が悪くなったら言ってくれ」
この声には聞き覚えがある。というか随分最近に聞いた声だ。思わず眠気が吹っ飛び目を開く。そこは奴の、カシテラの背中の上だった。
つまり私はおんぶされている。
「な、なんでお前がここに⁈」
「家に行ったんだが中々帰ってこなかったからな。行く当てなんてあまり思いつかなかったからとりあえずあの酒場に顔を出してみたんだ」
レイジャやスパイラなら行き先を知っているかと思い顔を出してみたら案の定、ということらしい。鎧の割に冷たくないなと思い見下ろせば、カシテラは鎧を着ていなかった。
シンプルな布製の服に、普段奴が背負っている剣より二回り小さいものが革のベルトに止められて腰から吊り下がっている。
「お前、鎧は」
「少し休みを貰ったんだ」
休み。確か前から入り浸っている時は見回りのついでみたいな感じだったが。ごつさが取れた背中は少し幼く見える。
「……なあ」
「なんだ」
「私のこと、やっぱり嫌いになったか」
まだ酔っているのかもしれない。ぽろりとまろびでた言葉にカシテラの足が止まる。
「……随分顔を見ていなかった、から。会いたくないのかと思ったんだが」
黙ったままのカシテラが怖い。振り向かないままの顔がどんな表情をしているのか私には想像がつかなかった。
どうしようか。「そうだ」なんて真面目くさった顔で言われたら。私は、そう言われたどうなるんだろうか。
化け物なんてやはり御免だと跳ねのけられるのを聞いたら、どんな顔になるだろう。しかし。
「そんなことはないッ‼」
「うわっ⁈」
耳がキーンとするほどの大声が夜空に吸い込まれて響き渡る。あまりの大きさに家に入っていた住民たちがなんだなんだと顔を出し始めた。
「君、あんまり大きい声を出すなよ。今は夜なんだから」
「す、すまん」
だが、逃げるようにその場を立ち去りながらカシテラは続けた。
「少し、考え事をしたかったんだ」
不安にさせたのならすまない、と騎士は言う。
「ただそうしたらぼーっとしすぎだと注意を受けてな。それで休暇を貰うことになった」
孤児となった彼を助けてくれたという、ガレナ。その彼自身から指導を貰ったとなれば無視することも出来ないのだと彼は言った。
「休みなんて使ったこともなかったからな、正直何をしていいか分からなかった」
「……仕事熱心にもほどがあるな。そのうち倒れるぞ」
「ガレナ様からも同じことを言われた」
突然できた空白に身の置き場なくうろうろとしてしまい、気づいたら私の家に向かっていたという。
「あんなことがあった後だ。本当は行くべきではないと思ったが」
アダムに言われたことを言っているのだろう。少し曇った表情に、私は騎士の肩を叩く。
「寒い」
「へ?」
「寒いぞ騎士君。か弱い一国民が凍え死にそうだ」
「え、まあ、今日は冷える方だが……」
「だから我が家まで全力疾走だ。急いでくれたまえ」
ぽかんとしたカシテラにほら急いだ急いだと声をかける。その言葉に彼は素直に足を速め始めた。
いいんだよ。ごちゃごちゃ変なことを考えなくても。
君が来てくれたことに私はどうしてか少し、浮かれているんだから。多分酒のせいだろうけど。
アダムの声に今少しだけ蓋をして、私は特等席から空を見上げた。酔いの冷め始めた頬に、身を切るような風が流れていった。
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