第二十話 日常は進む

 あの日以来、前と同じ日常が戻って来た。

 

 移動した先の洞窟で鉱石の研究と生活。それに時々の食事と睡眠。アダムがそれらしい干渉をしてくるでもなく、つつがなく日常が進んでいく。


 ただ、カシテラはあの日以来あまり姿を見せなくなっていた。


※※※


「おす、スパイラ」

「ん、ルネか」

 フードを被ったまま酒場に顔をだすとまたスパイラが新しい仲介者を締め上げている最中だった。彼女が私に気づきぱっと手を離すとべしょっと床に落ちる。うわあ痛そう。


 しかし彼女は地面に落ちた奴など気にもせずに話しかけてきた。ここまでくるといっそ哀れだ。 

「ドうしタ? 最近ヨくくルな」

「んー、まあちょっとな」

 スパイラが指先でとんとんと椅子の方を叩いたので、指された通り彼女の横に座る。彼女特有の奇妙な薬草にも似た匂いが鼻をくすぐった。


「なンだ歯切れノ悪い。悩みカ?」

「悩みって程でもないよ」

「本当カ? 怪しイナ」

 相変わらずの強いエルフ語訛りでそう言いながら、彼女は酒を煽る。南では珍しく質の高そうな酒だ。木を削り出して作った素朴なカップに琥珀色を波立たせながら、スパイラはレイジャに向かって手を上げる。


「レイジャ! もウ一杯、さっキの追加!」

「あいよ」

 ぶっきらぼうにオークは答えるとスパイラが口をつけているのと同じ酒を私の前に運んでくる。なみなみと注がれた容器を前にした私を見て、スパイラは酒を煽るジェスチャーをしてみせた。

 

 そこらの男が見たら涎を垂らしそうなほどの肉体を豪快に揺らしながら、スパイラは言う。

「マァ、トりあえず飲メ! 今日ハ奢る!」

「飲めって、こんな高そうな酒。今日は手持ちがないから立て替えないぞ」

 宵越しの金は持たない、どころかあればある分だけ金を使ってしまう彼女の財布事情なんて良く分かってるつもりだ。彼女は金をため込まない。何か収入があるとぱーっと使ってしまう享楽主義なのだ。こんな上等そうな酒、二杯も飲めるほどの余裕なんてないはず。


 だがそんな私の心配なんて他所にスパイラは言う。

「イくらでも飲め!」

 そして心配そうな私へ、自慢するかのように袋を見せつけてきた。じゃらじゃらと音も鳴る隙間がないほどにずっしりと詰まっているのが傍目にも分かる。


 それに下から恨みがましい視線が飛んできて、ああと納得した。今日の勉強料は随分と弾んでくれたらしい。可哀そうだがここでは南のスパイラに手を出した奴が悪いからしかたがない。本当に奢ってもらえそうなことを確認して、目の前の容器に口をつけた。


 一口飲めば柔らかな花の香りが鼻を抜け、口の中にはちみつのような甘みが残る。飲んだ後に残るのはスモーキーな風味。喉を勢いよく焼いて胃を痛めるような安酒にない上品さを感じる。これはいい酒だ。


 飲み口の柔らかさも相まって、ついつい飲み込んでしまう。

「いい酒だろ。ここまでの上物はとんと見ない」

 ぐいぐいと飲む私とスパイラに後ろからレイジャの声がかかる。

「ちょいと昔なじみが良いの譲ってくれたんだ。量は少ないけどな」

 それを聞いて納得した。そこまで質の良い酒をどこから仕入れたのかのと思っていたのだ。


「なるほど貰い物か」

「な! レイジャがこーンないい酒店に並べル訳なイもんナ!」

 納得したような私とそれを見てゲラゲラ笑うスパイラをオークは眉のない額に皺を寄せて睨む。


「俺が安物ばかり出してるみたいな言いぐさやめろよな。間違ってねえけど」

「間違ってナいならイーじゃないカ! ほらルネ、どンどン飲メ!」

「おいスパイラ、飲みすぎは―――」

 興が乗ったのか酒どころかつまみまで頼みだすスパイラ。そこまで奢ってもらうようなことはしていないと止めに入ると、彼女は手を止めないまま言った。


「いーンだヨ。ルネには時々宝石関係で世話ニなってルしナ、それに」

 後ろから皿が差し出される。彼女はそれに乗った炒めたナッツ類にスパイスを効かせたものを指先でつまんで口に放り込んだ。パリポリとこちらにも聞こえるような咀嚼音を響かせてからスパイラは言う。


「お前ガそんな顔するなんテ、よっぽどダ」


 そこまで変な顔をしていただろうか。フードの下でこっそり顔を触ってみるが口角も何も変わっていないように感じる。そんなことをしているうちに、目の前に皿が滑ってきた。

「そういウのはサ、自分じゃわかンねェモンだヨ」

 初めて会った時に一目で私の術を見抜いたダークエルフは言う。


「何を口走ってモ、今は酒のセイってな」

「酒のせい、か」

「そウそウ。適当に聞き流しテ適当に相槌うっテ、適当に忘れテやル」

 スパイラはぐっと酒を飲み下して笑った。

「吐き出しテみろヨ。何ガお前にそんな顔させルのか」

 私より年上のダークエルフはそう言いながら酒を進める。

 

 普段なら、断ってしまうだろう。何か話したことでここに居づらくなるかもしれないし、変な詮索を受けるかもしれない。ただ今は、少し口を滑らせたい気分だった。


 ほんの少しあいつと一緒にいただけなのに、私は随分と会話に飢えるようになってしまったらしい。勧められるがままに酒で口を湿らせる。


 火照り始めた頬を、夕暮れの冷たくなり始めた空気がさあっと撫でていった。

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