第十七話 王の娘は思いました

「連れてきてほしい、と言ったつもりだったんだけど」

 切れ長の目がちらりと後ろを見る。アダムの背後で終始落ち着きをはらっていたミメットの体が揺れた。しばらくその姿をじ、っと見つめた後でこちらに視線を戻す。


「どうやらうまく伝わっていなかったらしいからね」

 よく言うよ、どんな手段を使ってもって枕詞がついたろうに。そう呆れながらよそ行き笑顔を浮かべた奴の後ろへ目をやった。さっきと同じようにきちんと立ってはいるものの、汗が酷い。遠目に見れば落ち着いているようにも見えるが、残った右目は怯えるように左右に動いていた。


「……やり方が荒すぎませんか。アダム様。彼女は確かにあなたの部下に殺されかけています。自分も、それを目撃している」

「ああ、だからきちんとこちらで教育しておこう」

 訝し気なカシテラの言葉にそう返す。その教育という言葉に何が含まれているのか考えたくもない。


「それに招待したいだけで無理に連れて行こうとするのは」

「とてもじゃないが普通に思えないって?」

 騎士の言葉の先を救い上げるようにアダムは言う。飄々とした口調から焦りやこわばりは感じられなかった。なんとでもないと言うようにアダムは続ける。


「だって会おうとしても逃げるんだもの。それなら捕まえるしかないじゃないか」

「私はお前に会うなんて御免だったからな。今だってすぐ帰りたいくらいだ」

「酷いなあ君は。そんなところも愛しているけれど」

 ねっとりと絡みつくようにむけられた視線に鳥肌が立つ。人間がしていい目じゃないだろう。カシテラを盾にしながらその視線から逃れるように身を隠す。その様子を見かねたように若い騎士は口を挟んだ。


「どうして彼女を無理に追いかけるのですか。貴方が差し向けた刺客は貴方がルネに誑かされたと言っていました」

「……君、邪魔だよ。ルネが見えない」

 すうっと紫の目が細められる。しかし数度温度が下がったような空気にも臆すことなく、カシテラは言葉を返した。


「嫌がっている相手に無理強いするべきではないと判断したまでです」

「ルネもルネだ。どうして君を頼るんだか」

 はあ、とため息を吐くアダム。


「確かに、ルネのこととなれば話は別だ。ちょっと強引だったとは自分でも思うけど―――」

「……何故今ガレナ様の名前がでてくるのですか?」

 思いがけない言葉にカシテラの黒い目が丸くなる。それを見てアダムは何かに名得したように「そうか」と言った。


「――――……なるほど。君ただの駒ってわけか。贅沢な使い方を」


 言葉の意味が良く分からない。駒? 奴は何を言っているんだ。だが私の疑問に答えることはなくアダムは淡々と説明を始めた。

「どうせ彼女からは何も教えてもらっていないんだろう。僕とルネの出会いもさ」

 そう言ってほほ笑んだ奴の口から出てきたのは忌まわしい過去の記憶だった。


※※※


 それは今から数十年昔のこと。


 体の弱い少女がいた。王の子どもの中で唯一の女の子であった彼女はことさら可愛がられていたが、その代わりに自由はなかった。日がな一日城の中。会いに来るのは大人ばかりで、その誰もが彼女を彼女としてではなく、王の一人娘としてしか見なかった。


 娘はそんな日々が嫌になってしまった。利用してやろうと爛々と輝く目から逃げるように、少女は城を脱走した。


 城を抜け顔を隠して国の南まで逃げた。何度も恐ろしい目に遭いかけながらも必死で逃げて逃げて山までたどり着いた。しかし所詮は体の弱い子ども。少女は山を登る途中で倒れ込んでしまう。


 このままここで死ぬんだ、そう思った少女だったが彼女が次に目を覚ました時には柔らかい藁のベッドの上だった。


「お母さん! 気が付いたよ!」

 目の前には自分と同じくらいの少女。珍しい銀の髪に光り輝く緑の宝石のような目。少女が起きた瞬間ぱっと華やいだ顔を、少女は忘れることができなかった。

 

 そこは人ならざる者吸血鬼たちの集落だった。平穏に、怪物と恐れられる彼らのただの生活があった。


 年若く若者のように見える女性に、それと比べると老いて見える男。王の娘を助けた少女は、彼らのことを「お父さん、お母さん」と呼んでいた。

 

 吸血鬼と、人間の家族。ある種歪な形の夫婦が王の娘には何より仲睦まじく、羨ましく映った。


 元気になった王の娘は城へと返される。しかし娘は度々山に行った。彼らが呆れてしまうまで、吸血鬼の元に通い続けた。吸血鬼たちの中には人間なんてと、良い顔をしないものもいた。しかし、自身を助けてくれた吸血鬼と人間の娘はいつだって笑顔で彼女を迎えてくれたのだ。


 彼女は娘に集落を案内した。吸血鬼の葬儀をこっそり見せてくれたこともあった。寿命の長い吸血鬼は互いの死を受け止め、忘れぬように形にするのだと。昔は私のようなダンピールはすぐ捨てられてしまったようだけど、二百年前からそれも無くなり、平和に暮らしていけるのだと。


 彼女は娘にそれを教えてくれた。


「今日は何して遊ぶ?」


 自分を王の娘としてでなく、ただの子どもとして見てくれる。その緑の視線がただ心地よくて、ずっとずっとそこにいたくなった。

 

 けれど王の娘はそれができないと分かっている。自分は王の子どもだからだ。今はお目こぼしを貰っているが、いつまた閉じ込められるか分からない。どこか遠くへ国のために嫁がされるかもしれない。


 そうしたらまたただの王の娘としての生活が始まる。子どもから見ればそれは途方もない量の時間だった。


「ばいばい! また明日ね!」


 その言葉を聞けなくなるなんて堪えられなかった。王の冠を取る方法など、年端もいかぬ子どもに分かるわけもない。王の娘はいずれ来ると分かっている別れに怯え、苦しみ、耐えることができなくなった。


 王の娘は友の作り方など知らない。だが、王の娘は欲しい物の手に入れ方は大人たちを見て良く分かっていた。


 だから十になった時、王の娘は利用した。自分を値踏みする、大人たちを。


 心の全ても奪いたいのなら、それが愛であろうと憎悪であろうと。だから王の娘は、真ん丸に見開かれた緑の目を指さしながら言うのだ。


「あの子が欲しい」


※※※


 カシテラは絶句していた。それは昔話のようにそれを語るアダムへか、それとも私の過去へか。それともその両方か。絵物語を読み聞かせるようにアダムは言う。


「結局、君だけが逃げおおせた。だから僕は待つことにしたんだ」

「それだけのために術を使って固定したって?」

「だって僕だって分からないかもしれないだろう」

 いかれている。クソみたいにいかれている。どろりと濁り切った目に焦りにも似た感情がふつふつとこみ上げてくる。冷静に、冷静になれ。ここで激高するのはきっと奴の思うつぼだだ。


「気づいてるだろう、ってっことくらい」

 頭の中の仮説が、一つ砕ける音がした。

「ダンピールは吸血鬼を見つけることができるんだろう? あ、でもならここにあるよ」


 ああ、駄目だ。見るな。見てはいけない。それを見てしまったら―――。


「ほら、


 指にはめられた無骨な指輪に、美しく輝く緑の宝石。母さんと、同じ目の色の。目をいくら背けようとも、見えないようにしようとも。暴力的な力が私の首をひねるように、無理やり目を向けさせられる。


「僕が君のたちの安寧を壊したんだ。だからほら、こっちを見て」


 耳障りな咆哮が城をびりびりと震わせる。それが自分から発していると分かったのは、少し後のことだった。

 

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