第十三話 信じたい者
多分、恐らく。今度こそ。死ぬんだろうな。
自身を毒石と言ってのけたミメットは、凶悪な笑みを隠すことなく近づいていく。ゆらりゆらりと覚束ないように見える足取りで物音一つ立てない様は本当にこの世に生きているものかすら怪しく感じさせた。興奮に半開きになった口の端から唾液が流れ落ちる。
その様子を地面に転がったまま見ていた。一歩、また一歩と近づくたびに現実感が薄れていくのが分かる。意識は体を離れて宙に浮き、まるで芝居でも見るかのように私と近づいてくる女を眺めていた。
それこそ他人事のように、これからどうなるんだろうと観察していた。
吸血鬼は長く長く生きる。半吸血鬼はその半分ほど生きる。
自分の年齢を数えることなんてもう飽きてやってないけど、多分百とちょっとくらいだと思う。
そのくらい人間と国を見てきた。息をひそめるように日の目を浴びるとも分からない研究を続けてきた。でも別に、絶対やらなきゃいけないわけではないし。やってどうにかなることでもないだろうし。
「……可哀そうだな」
その言葉に足へと振りかぶられていた刃がぴたりと止まる。
「貴様に哀れまれる筋合いなどない」
「私がいる限り永遠にお前は一番になれないんだから」
がちり、と音がする。上から食いしばった歯の隙間から漏れ出るような「フーッフーッ」という荒い呼吸音が聞こえてきた。後ももう少しだけ、私は背中を押してやる。
「どんなにお前が尽くそうと、どんなにお前が想おうと。あいつの視界にお前は入れないんだ」
そんな目に見えて分かる悲劇を、哀れまないではいられない。
血を吐き消えかけた最後の言葉を女はしっかりと聞き届けたようだ。頼りなげに揺れていた刃先が、覚悟をもったようにぴんと据えられる。心臓の、丁度真上。
「――――――貴様は、やはりここで死ね。人間の紛い物」
「はは、……いいのかい? ご主人は私がほしいんだろう?」
「だからだ。貴様がいなくなりさえすれば、アダム様もきっと目をお覚ましになる」
私がいなくなったって、お前を見るとは限らないのに。それをまっすぐに信じ、自分のために犯す殺しを他者のためだと言い張れる。
その幼さが愚かしく、それでいてそこまで誰かを信じられることが眩しかった。
あいつの手に渡るより、ここで死んだ方がましだ。そう思って受け入れる。殺意をみなぎらせた銀の刃先は私の胸に吸い込まれるようにして突き立てられて。
だが、その痛みも冷たさも感じる前に声がした。
「――――――は、なせ」
ナイフを振りかぶった状態のまま、女はぎこちなく暴れた。しかし振り上げられたままの腕はびくとも動かない。腕を宙につられた人形のように、その場に体を固定され続ける。
「………駄目だ、離すものか」
鋼のような頑なで、静かな声だった。低く響きがあり、迷いの見える男の声色で。
「ルネを、殺させるものか」
カシテラはそう言った。
※※※
「自分が何をしているか、分かっておいでですか」
「ああ、分かっている」
「……まだ騙されたのだと認めたくないのですか」
カシテラが掴んだままの腕がぎしりと嫌な音を立てた。女が無理に抜け出そうと暴れるたびに、嫌な軋みは激しさを増す。関節を無理にねじればそれなりの痛みを感じるはず。しかしそれを意にも介さない様子で女は腕を動かし続ける。
「こいつは化け物です」
「吸血鬼と人間の子、そう言いたいのだろう」
「こいつは生きていてはいけない。人を誑かし誘惑する、恐ろしい怪物です」
女は続ける。この人間の姿をした化け物はあろうことかまだ幼い姫君をそそのかし、人ならざる者へ引きずり込んだのだと。
「だから殺すのか」
「これ以上被害を出さぬため。全ては姫様のために」
腕がもげようとも構わない。自身を顧みない無理やりな挙動は何かに突き動かされているようだった。カシテラは女の腕を離さないまま言う。
「死んでいい者など、いない」
「……教団らしい、きれいごとですこと」
「ずっと、考えていた」
吐き捨てるように返事を投げる女に対し、騎士は言った。
「生まれで生を否定される者など、決してあってはならない」
その言葉はゆっくりと洞窟に落ちていく。呟かれたその言葉は、まるで騎士自身に言い聞かせているようにも見えた。
「自分は神ではない。神の代行者でもない。それはお前も同じことだ」
「裁く権利などないと?」
「誰もそんなもの持っていない。持っていていいわけがない」
本格的に骨にひびが入り始めた音を聞き、カシテラが手を離した。女はその様子をあざけるように笑いながら言う。
「彼女は人間ではありません。それだけで理由なんて十分なんですよ」
けらりとまた一つ笑った後、女は清廉潔白な騎士に尋ねる。
「大体あなたは人間を守るための騎士でしょう。なら賢いあなたなら分かるでしょう」
何をしでかすか分からない化け物と、守るべき人間たち。そのどちらが正しいか。考えなくても分かるだろうと女は言いたげだった。
けれど。
「自分は、人間だから信じるのではない。自分が見て、感じて。信じたいと思ったことを信じているに過ぎない」
「………なんだと?」
「彼女はただ生きるために苦労し、目指すもののために邁進し続ける」
歪んでいく視界の中、その優しく細められた黒が確かに見えた気がした。
「素晴らしい女性だと、思う」
そして騎士は私に背を向けた。広く、揺るぎない立ち姿はまさしく城を守る城壁の如く。
「自分は彼女を信じると決めた」
「……愚かな選択を」
「ああ、そう見えるのかもしれない。だが、不思議だな」
騎士はゆっくりと穏やかな口調で言った。
「生まれだけで殺そうとする。自分には貴方の方がよほど化け物に映るんだ」
瞬間に鳴り響く鋭い打撃音と、男の体の向こう側で何かが崩れ落ちる音。ああ本当に、馬鹿だな君は。見てきたのなんてたった三か月のくせに。どうして簡単に信じられるんだか。
こちらに駆け寄ってくる眉をハの字に歪めた子どもの泣き顔をぼんやりと見つめながら、忘れるなとでも言いたげに痛み始めた腕と共に意識はするりと滑り落ちていった。
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