第十一話 非力な彼女の守り方
銀のナイフが振りかぶられ、凶悪な輝きを放つ。万が一にもその刃先が届くことのないように距離を取った。金の目が私を逃がさないよう追い続ける。
「動かないでくださいよ。小汚い獲物をお見せするわけにはいきません」
「ああそうかい。目立たないとこなら助かるねぇ」
軽口をたたいているフリなんてハッタリ以上の効果は望めない。私はただのダンピール。吸血鬼と違って毒でも死ぬし刺されても死ぬ。
女の振舞からは物音一つ感じられない。軽々とテーブルに乗ったかと思えば、瞬きのうちに距離を詰めてくる。音も気配も感じさせない訓練された殺す動き。私はと言えばその動きを見てから下がるのが精いっぱいだ。
ミメットの身のこなしと姿を見て外に出てはいけないと悟る。第一、音もたてずにここに忍び込んできたのだ。明かりの落ちた外に出れば容易く夜に紛れるだろう。私の警戒を読み取ったのか、女は獲物を逃さぬよう目を細める。しかしそのほんの一瞬、片方の目が不自然に光った。
「初めは、そうだな。足がいい」
その言葉は無邪気に虫をいたぶる子どものように素直なもので、静かに冷静に獲物を追い詰めていく様は猫のよう。獣じみた仕草を見せながら、女は刃を輝かせた。
「もう二度とあの方の手から抜けられぬように、もいでしまおう」
その言葉に不敵に笑ってみせた。
「怖いね。自分が一番じゃないからって嫉妬かい?」
瞬間、温度の消えた刃先が迫る。さっきの口ぶりからして、こいつがあの女に傾倒しているのはまる分かりだ。こういう冷静に振舞おうと律する人間ほど、激高した時の反動も大きくなる。
まったく、煽りやすくて助かることだ。
「――――――っぐ!」
宝石が刃先に当たり、砕けた衝撃で茜の炎が女を捕まえんと手を伸ばす。
だが、当の本人は野生の感でも働いたのか一足早く飛びのいたようだ。なるべく避けられないように引き寄せてから使ったんだが。こいつは想像以上に反射神経が良い。
「………小癪な真似を」
「嫉妬で足を切りたがる根暗に言われたくないね」
焦げた臭いが鼻をつく。どこかしら燃えたなら少しは痛がってるふりくらい見せてくれたっていいじゃないか。
私渾身の宝石を意にも介さない様子で女は目をぎらつかせ、そして。
「―――っうわっと‼」
「チィッ!」
目の前から姿を消した、かと思いきやナイフの切っ先が喉へ突き立てられようと迫る。足とか言ってたくせに殺す気満々じゃないかこいつ! 少し油断していたら首と胴が泣き別れになるところだ。
がちんと音が鳴り、忌々し気な顔で女が飛びのいた。驚いた拍子に守護宝石に込めておいた防壁魔術を作動させておいて助かった。だがそう何回もは持たないだろう。この宝石はほとんど小石みたいなものだ。カットでどうにか誤魔化しているに過ぎない。何度も使えば耐えかねてすぐに壊れてしまうだろう。
「次から次へと小手先まがいを。いい加減大人しくしたらどうです?」
「……今明らかに首を狙ったように見えたけど」
「失礼。あまりにもちょこまかと鬱陶しいので手が滑りました」
「良く言うよ。的確に刺そうとしたくせに」
またぎらりと片目が光ったように錯覚する。次こそは息の根を止めてやる、そんな思惑が透けて見えるようだった。
「随分と用意のいいことで。……ですが」
ひゅおっと耳の傍で風が鳴った。なんだと思った瞬間に横っ面を殴られたような痛みと衝撃。腰につけておいた宝石の袋がその衝撃で床へと散らばった。
「う、あっ⁈」
「目が追いついていないのですよ。さっきからね」
勢いのまま床に転がされる。酷い鈍痛と熱を含んだ頬をぬるりとした液体が落ちていった。触れれば蹴られただけにも関わらず、鋭利な刃物で切り裂かれたようにばっくりと傷口が開いている。
「化け物の血も赤いんですね」
とん、と女が踵を叩く音が聞こえた。仕込みナイフか。そう考えながらべとりと手につく血を乱暴に拭った。
「傷物になってしまったのは残念ですが、少ぉし大人しくなった方が可愛げもあるってものでしょう?」
「あーあー、いったいことするなぁ……」
「赤い化粧がよくお似合いですよ」
よほどあいつの関心を集める私が面白くないらしい。さっきから顔だの首だの恐ろしいところばかり狙ってくるのだ。
じんと熱を持つ頬を思考の外へと追いやった。倒れる時にひねりでもしたのか、上手く足が動いてくれない。
「さて、小賢しい手品はおしまいです」
ざらりと散らばった宝石に一瞥もくれないまま、女は私に忍び寄る。下を見ずともその足は一欠片だって踏むことがない。
「頑張って集めた小石は全部無くなってしまいましたね」
その足取りはわざとゆっくりと、私を威圧するように。
これからお前は無残に甚振られるのだと、恐怖を骨身に染み込ませるように。
「まずはゆっくりと足を切りましょう。きちんと切れ味の悪い物を用意しました」
「………っ」
「そしたら指、それから肘、最後に肩」
動物の解体でもするかのような口ぶりだった。これから起こすことをわざと私に聞かせている。死んだ方がましだと思える恐怖を与えたいのだろう。本当にあいつといい、あいつの部下といい。性根が曲がっているにもほどがある。
「いいのか? 切りすぎたらお気に入りの私は死ぬかもしれないぞ」
「安い挑発は聞き飽きました。ご安心を、拷問は暗殺の次に得意ですので」
殺すことなく十分な苦痛を与えるとそう言いたいのだろう。喜びを隠しきれていない瞳のまま、奴は見せつけるかのようにナイフの先端が腿へと狙いを定めて振りかぶられた。
「――――お前なんか、あの方に会う前に死んでしまえばよかったのに」
※※※
時に。何かを食べる際と言うのは隙だらけになるものだ。
獲物を仕留めてかぶり付こうとする瞬間。やった、仕留めたぞと気分の高揚する瞬間。生き物と言うのは少なからず隙ができる。高揚は正常な判断を鈍らせ思考を放棄させる。よくあるだろう。罠の餌に夢中なところを仕留めるだとか。
私が思うに、生き物が何かを手にしたと思った時が最大のチャンスだと思うのだ。
「――――――っ、二度同じ手を食らうと思ったか!」
私が投げつけた宝石を赤いと見なすやミメットは後ろへと飛びのいた。
「ははははっ! 惨めですね、同じことを繰り返すしかできないなんて」
二度も同じ手を使うことは愚策だ。手の内がばれているやり方なんて二度も通じるわけがないのだから。
けれど、それがもしわざと繰り返しているのだとすれば?
もし、「赤い宝石を切ると炎が出る」という刷り込みをしたかったとしたら?
「……お手本みたいに動いてくれて助かるよ」
動いた先。恐らくここに来たばかりの彼女なら気づいたであろう宝石が女の踵で粉々に砕け散る。
「――――――っクソ!」
「一瞬止まってくれれば十分だよ」
凍ったことに気づいた瞬間、奴は履物ごと脱ぎ捨てる判断をするだろう。だが、ただ一瞬の間だけ驚き、足に気を取られてくれるだけでいい。それだけで最大の武器。ミメットの素早さが封じられるのだから。
女の周囲を取り囲むように防御壁を出現させる。
「この壁の利点はね、守ることだけじゃない」
「っ、貴様、何を―――」
彼女に向かって石を放る。さっきよりも大きな赤い輝きが、見せつけるように目の前へと落ちていく。
「壁で獲物を捕らえることさ」
腰から抜いたナイフを素早く投げる。刃が宝石にぶつかる瞬間、ミメットを阻む壁は音もなく姿を消した。
「趣味の悪さが裏目にでたな」
轟音と共に噴き上げる炎を見ながら、私はぽつりと呟いた。
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