第十話  暗躍者ミメット

 夜に紛れてやってきた、女の姿は月の姿によく似ている。暗闇に溶け込めるような黒の装束。しかしその隙間からこぼれ落ちるのはまばゆく輝かんばかりの金色だ。


 猫のようにしなやかな体躯をした女は丁寧な、しかし冷たくとがった声で私に目を向けていた。髪と揃いの金色が私を貫く。その目で見つめられるだけで冷汗が止まらなかった。


「貴様が少しでも従順にしていたら、今頃アダム様の御世話に従事できたというのに」

「………お前は、あいつの差し金か?」

 無意識に自分の喉を確かめた。まだ私の首はきちんと繋がっているのか、死んでいるのに気づかないまま話しているだけではないか。


 女は私の言葉が気にくわなかったのか、頭巾の隙間から見える目を三角に吊り上げる。

「あいつ、などと。やはり人ならざる者は礼儀を知らない。こんな下品な種族なぞ放っておかれればよいものを」

「私だってそう思うよ」

「黙れ。姫様を誘惑した化け物が」

 話の通じなさは本当にあいつとよく似ている。首筋を流れてきた汗の粒を落とさないようにぬぐってから、刺すように輝く黄金に目を向けた。


「―――待て、待ってくれ」

 吐息すら詰まりそうな空気の中声を出したのはカシテラだった。無駄に大きな背を私に向け、女へ向かって語り掛ける。


「さっきから聞いていれば、穏やかじゃないな」

「……そのお姿。ミーネ教団の聖堂騎士とお見受けいたします」

 女はカシテラに対して少しだけ角の取れた言葉を紡ぐ。しかし射殺しそうな視線は変わらないままこちらを向いていた。


「自分はカシテラという。貴方は一体何者だ」

「私はミメット。姫様の影にございます」

 そう言って女は丁寧な礼を一つ。突然のことに目を白黒させるカシテラは今起こっていることがまだうまく呑み込めていないようだった。


 だがその様子に目もくれないまま、ミメットと名乗った女は銀のナイフを腰のベルトから抜き出した。むき身の殺意が私に向けられる。


「お退きください。用があるのはその化け物のみ。貴方がここで何をしていたかは不問にして差し上げます」

「―――貴方は、彼女を殺すのか」

「ええ、そうであればどれだけ良かったことか」

 温度のない声のまま、ミメットは淡々と告げていく。それに相対するようにカシテラは熱を持った声で咎めた。


「その言動を、見逃すことはできない。先ほどから化け物、言うに事欠いて吸血鬼などと―――!」


 そんなに怒るなよカシテラ。ただの事実だ。そう言いたいのに言葉が出なかった。どうしてかカシテラが信じられないと叫ぶたびに、とっくにさび付いたはずの感情が軋むように悲鳴を上げる。


 ミメットは怒りを露わにした騎士に言う。黒で覆い隠された口が、三日月のように吊り上がった気がした。

「いいえ騎士殿。貴方は騙されているにすぎません」

「何を、そんな馬鹿なことを」

「未来ある騎士殿、お可哀そうに。貴方もこの化け物に惑わされてしまったのですね」


 可哀そうだとは、私も思う。身の世話をしていた人間が人間ではない化け物だったのだから。

「何を隠そう、こいつは人の血を流しながら異形である吸血鬼の血を宿す怪物――」





 どうして遮ったかは分からない。

「……何度も何度も同じことを。くどい説明は好かないと、あの女に言われなかったのか」

「――――――!」


 悪意のある人間はやりやすい。こっちだって爪を立ててやればいいだけのこと。一番柔らかい部分に傷をつければいいのだから。


「ミメットとか言ったな。お生憎、お前は自分が思ってるほどあいつから好かれちゃいない」


 その目から冷静さが失われていくのが分かる。あともう一押しと、今にも私に飛び掛かりそうな金色に、私は畳みかけるようにぶつけてやった。


「忠実なだけの下部しもべなんて面白くない。そういう性悪だからな」

「――――――ああ、そうだな」

 黄金から完全に理性やしがらみが消え、ただ剥き出しの怒りが現れる。


「別にお前を連れて行けばいいだけだ。だが五体満足でとは言われていない。そうだな。邪魔な手足など、取った方がアダム様はお喜びになるだろう」




 どうして遮ったのかは分からなかった。下手な挑発などせずに、気分良く話させているうちに逃げる機会を伺えばよかったのに。


 じくりと痛み始めた腕を抑えながら、カシテラを視界から外す。どんな表情をしているかなんてわかり切っていることだから。


 見慣れた顔をどうしてか、見たくない自分がいた。

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