第四話 加減を知らない男
これは、あれだ。死んだ。間違いなく死んだ。今から走っても間に合わないし、よしんば避けれたとしてもくちばしにひょいとつばまれて終わりだ。
血のように赤い口が私ごと宝石を飲み込もうと覆いかぶさってくる。宝石食らいが出るなんてそんな話これっぽっちもなかったくせに。終わりというのはあっけなく訪れる物らしい。私の百数歳の生きた時間はこれにて幕引きとなるわけか。
飲み込まれる数秒でよくもまあここまで考えられると思う。だが、こういうのはあがいた方が痛いものだから。痛いのは嫌だ。
体を動かさないよう固定する。そうすればすぐに終わりがやってくるはずだから。
腹をくくって近づいてくる終わりを意識した時だった。
「――――――は、あぁぁぁッ‼」
しかし、目を閉じた瞬間に獣のような咆哮と風を切る音。思わず視界を開けば銀色が丁度私の真横をかすっていくところだった。ざくりと音を立てて突き刺さったそれに、宝石食らいはけたたましい悲鳴を上げる。ぼたぼたと黒い血が押し出されるように私に降り注いだ。
あと少し身じろぎでもしてたら刺さってただろこれ。剣を投げた時の風圧に髪を乱されながら、目の前に魔物がいることとは別の意味で冷汗が滝のように流れていく。そんな私の心情など知ってか知らずか、またあの癪に障るほど誠実な声がした。
「間に合った、か。よかった」
「………あの、騎士様? ひょっとして今ぶん投げたのって」
ぎぎぎ、と後ろを向けば帰ったと思った騎士が何かをぶん投げた姿で立っている。冷汗を拭いながら声をかければすがすがしいほどの笑顔で騎士は答えた。
「ああ! 間一髪だったな」
案の定と言うか想像通りと言うか。私の背丈より高い剣をあの騎士はあろうことかぶん投げたらしい。「よかった」と言わんばかりの笑みを向けているとこ悪いが、もし刺さっていたらと考えるとあまりにも恐ろしい。
あの剣が刺さったとしたら、その上もし銀でも入っていたらそれこそどんな苦痛があったか分からない。考えるだけで恐ろしい。しかしそれを気取られないように口を引きつらせる。騎士は倒れ伏した宝石食らいから剣を引き抜きながら言った。
「叫び声がしたと思ったらこんなことになっているとはな」
「は、あ、ありがとうございます」
「いや、無事で何よりだ」
さわやかな笑みを浮かべる聖堂騎士に内心辟易する。笑顔で隠れてはいるだろうが盛大に舌打ちをしたい気分だ。
駄目だ、苦手だこの笑顔。自分は決して間違ったことなどしないというまっすぐな目。南の奴の方がまだ相手にしやすい。欲に忠実で分かりやすいから。だけどこういう相手はどうにも駄目だ。欲ではなくて理想に動くから何をするかが読みにくい。
とにかく話を適当なところではぐらかして帰ろう。そう思っていた時、騎士が疑問を口にした。
「しかし宝石食らいとは。ここにもよく出るものなのか?」
「……いえ、宝石が多く採掘される北の方では聞きますがここでは滅多に」
確かに妙だった。宝石食らいは基本宝石を主食とする魔物なので鉱石や宝石が潤沢に取れる北の坑道によく出るのだ。しかし、ここのような取りつくされた後の搾りかすみたいな坑道に本来でる訳がない。仕事の説明を受けた時もそんなことは一言も口にしていなかったし。
仲介人が説明を省いたという考えもあるがそれもあり得ない。彼らは信頼も商売のうちだ。仕事を紹介した雇用者が説明の不手際で死んだとなれば信用にかかわり、奴から仕事を貰おうとするやつがいなくなる。
………まあ、今回はもう死んでいるわけだけど。つまり嘘をつくメリットがない。つまりそこから考えられることは。
思考を一つ一つ積み重ね、ある仮設に至る。単純でシンプル答えだ。と、それを口にする前にぐったりと倒れていたはずの宝石食らいの体がぴくりと動いたかと思うと、地響きのような音を坑道内に反響指せながら体を持ち上げた。
「くっ、浅かったか!」
騎士が悔し気に顔を歪めるがこれはむしろいいタイミングだ。宝石を取り込むことで硬質化した体の丈夫さに助けられる日が来るなんて。
「騎士様! 足止めを」
「は? おい、何をする気だ!」
「少しとどめておくだけでいいんです! その間に奥を探ってきます」
思いついた仮説が当たっている可能性は大いにある。だが、忌々しいがそれを成すにはこの騎士の助力が不可欠だろう。騎士は私の提案に首を振った。分かっている。いつもならこんな危ない賭けはしない。
けれど、これは、これだけは逃してはいけないのだ。
「いいや危険すぎる。早く自分と」
「ッ……いいから!」
猫を被ることも忘れて荒れた声が出た。今を逃せばきっと次はない。この騎士がこれを倒してくれるのが一番いいのだろう。けれどそれの確証もないのなら、危なくとも賭けるしかない。
貸し借りの考えも今は一旦後回しだ。この機会を逃せば人工宝石の研究は永遠に進まなくなりかねない。
「無理なら置いていけ。私は進む」
「っもし死んだらどうする気だ⁉」
「その時は一人で死ぬだけだ」
その答えに男の目が丸くなった。思ってもいない答えだったと、顔に書いてある。どうせ寿命は元から持て余し気味だったんだ。死んだら死んだでちょうどいい。
「私は、これを逃すわけにはいかない」
重ねるように告げ、もうこれ以上無理強いはできないなと考える。一か八か、さっき手に入れた宝石を投げて気をそらしたうちに走り抜けるか。運動はそこまで自信がないがどうにかするためにはやるしかない。
そう考えていると銀色の背が視界を覆った。あの騎士が私の前に立ったのだ。騎士は半ば呆れたように言う。
「……思っていたより、肝が据わったお人のようだ」
「っ騎士様、私は」
無理やり行き先を阻むつもりかと思い、何を言っても意見を変えるつもりはないと言おうとした時、騎士が戦いの構えをしたことが分かる。重心を落とし、厚みのある剣を真正面に構えた。坑道全体に反響するような声が凛と耳を揺らす。
「ならば聖堂騎士カシテラ! この場を引き受けよう!」
びりびりとした気迫に思わず圧倒された。呆然とした私に向かって彼は続ける。
「死を覚悟した上で成し遂げたいことがあるのなら、自分にそれを止めることなどできない。――――なら!」
ざりっと踏み込む音が分かった。自身の真正面に魔物を見据え、地面をびりびりと振動させるほどの大声で言い放つ。
「騎士として、民を守る者として。その覚悟を守るまでのこと!」
六つの目が騎士へと向けられる。そしてそれは剣の柄にはめ込まれた青の宝石へと注がれた。騎士はほんの一瞬、宝石を目を細めて見つめた後に私に向って叫ぶ。
「さあ、行けッ!」
声をかけられると同時に地を蹴り、できる限りの速さで奥へと向かう。宝石食らいの目は私の持つ宝石からさらに目の前にある立派な物へと興味を移していた。
無我夢中で走りながら思う。あの男はどうしてこうも誰かを信じられるのだろう。何故見ず知らずの誰かのために危険を冒せるのだろう。
不可解だ。分からない男だ。けれど、私の前に立ったあの時にあの男の中に一本の芯を感じた。私にはない、まっすぐな心根。
厄介とばかり思っていたが考えを改めるべきなのは私の方なのかもしれない。
――だが、そう思った瞬間に轟音が後ろから追いかけてくる。みしみしと言い始めた坑道にもしかしてと耳を済ませれば聞こえてくるのはあの騎士の声。
「さあっ! どうしたどうした本気でかかってこい!」
ひょっとして加減と言う言葉をご損じない? フルパワーであの剣を振り回してい
るならそりゃあ轟音だって鳴るだろう。
やっぱりイノシシの生まれ変わりだったらしい騎士への評価を「ただの単純」に戻しながら私は奥へと急ぐ。ちんたらしていたら坑道ごと生き埋めになりかねない。
ほぼ搾りかすの坑道に宝石食らいがわざわざ現れたということは、それだけいい宝石が眠っていると言うことに他ならないのだから。
遠慮のない打撃音にびくつきながらも、私は転げるように坑道の奥へと走って行った。
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