支配





 レジーナ・レクスクラトルは幼い頃から特別な少女だった。


 何をやらせても覚えが早く、何事においても才能を感じさせ、稀代の才女として、周囲の大人たちの期待を一身に受けた。

 唯一の懸念は、彼女の特別がいつまで続くか。

 幼少期にいかに神童であれど、大人になればどうなるかは分からない。


 だが、レジーナに限ってはその懸念は杞憂だったと言える。

 

 三月生まれというハンデを背負いながらも学力は常に学年最高峰で、運動でさえも同学年の少年少女を圧倒した。

 レジーナの価値を高め、社交界でも役に立つ芸術を片っ端から詰め込んで行っても、その全てを吸収し、モノにしていく様は神童を通り越してもはや化物としか言いようがなかった。

 

 由緒正しい生まれで、なおかつ素晴らしい才に恵まれたレジーナではあるが、小学校は私立ではなく、近場の市立に籍を置いていた。

 中学からは中高一貫の女子学校を受ける予定だったが、レジーナ自身の強い希望で、庶民が通う市立の中学へ進学した。そのまま、高校も何の変哲もない私立の共学高へと進学することになる。


 彼女の進む道を大きく歪め、捻じ曲げてしまったのは一人の少年だった。


 名を、藍川 瑠美奈と言った。




 ★




「懐かしいな」


 レジーナがアルバムを捲りながら、感慨深く言った。

 

「まだ二十歳にもなってないのに小学校の卒アル見る必要あるか?」


「あるとも」


 土曜日の昼下がり。

 お互いに珍しく暇だった二人は、軽く身体をくっつけながら、穏やかな時間を過ごしていた。

 レジーナは地べたに腰を下ろし、背後にいる瑠美奈の腕に抱かれながら、卒業アルバムを膝の上に広げていた。

 遠慮なしに彼へと体重をかけて寄りかかりながら、ゆっくりとページを捲る。


「やはり小学生の君は小さくて可愛らしい」


「今はでっかくて可愛くないか」


「そうは言ってないだろう。今の君も可愛いよ」


「カッコいいって言ってくれよ」


「恰好いいし、可愛いよ」


「…………」


 可愛いを連呼されてなんとも言えない表情の瑠美奈を放置したまま、レジーナはページを捲る。

 

「この頃だったかな。君にファーストキスを強引に奪われたのは」


 小学四年生の瑠美奈が写っている写真に視線を落とす。

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、レジーナが横目で背後にいる瑠美奈を見た。


「…………」


 バツが悪そうな表情で、レジーナの視線から逃げるように目を反らす。


「かくれんぼの時、一緒に隠れていた私を押し倒して、無理やりキスをした」


 レジーナはより深くしな垂れかかって、逃げる瑠美奈に追撃するように、頬と頬をくっつける。


「……悪かった」


「別に責めてはいないんだが」


 含みのある手付きで、レジーナは瑠美奈の太ももを撫でた。

 やり返すように、瑠美奈はレジーナのお腹に置いていた手をゆっくりとずらして、彼女の内ももに触れる。


 小学校の時、瑠美奈はレジーナを押し倒して強引にキスをしたことがある。

 女の子のファーストキスを奪う――”まだ精神の未熟な小学生だから”なんて言い訳をするのも難しい、かなり酷い行為である。女の子の性格次第ではトラウマにすらなりかねない。暴漢紛いのことを、瑠美奈はしてしまった。


 それほどまでに、レジーナは魅力的だった。

 

「あの時はびっくりしたけど、別に嫌ではなかった」


 嫌じゃなかったから、キスをされた時、跳ね除けなかった。

 熱気の籠もった瞳、紅潮した頬と、荒い息。

 幼い瑠美奈の中に男を感じて、レジーナは思わず雰囲気に呑まれた。


 スーツを着た大人ですら、幼いレジーナにかしずくことは当たり前だった。それほどまでに彼女の存在は強大で、大人しく下についた方が得だと多くの者達が判断した。

 同じ小学生でさえ、レジーナのことは対等に見ない。遠巻きに見つめるか、あるいは近寄って取り入ろうとするか、反応が極端に別れた。

 特別な存在だからこそ、不審者対策の身辺警護も当然の如く存在し、それはかくれんぼをしている時でも例外ではない。

 まるで生きた宝石のように扱われながら日々を過ごしてきたレジーナにとって、自身をぞんざいに扱う人間に出会うのは初めてのことだった。


 ベッドもクッションもない公園の外側にある草木の間。寝心地が悪い上に、蟻が這い回る草むらに押し倒され、レジーナはキスをされた。

 一度だけではない。二度も三度も、数えきれないほどキスをされて、火照った身体を瑠美奈に力いっぱい抱きしめられた。


 鬼の優斗に見つかるまで、二人とも何も言わずに身を寄せ合って過ごした。

 キスをされたレジーナは放心状態で、キスをした瑠美奈は何を考えてるのか分からない気難しそうな表情で、彼女を抱きしめ続けていた。


「あまり優斗と仲良くするな」


 別れ際、唐突に瑠美奈に耳元で囁かれ、レジーナは思わず上擦った声を出してしまう。

 変な声が出たことに驚いて、真っ白な頬に赤みが差す。


 その日は一日中、キスのことを思い返していた。

 同意も無しに突然唇を奪われたこと、ショックではなかった。あの時の真剣な瑠美奈の表情を思い出しては、頬を上気させて胸元に持って来たクッションに顔を埋める。

 指のお腹で唇に触れたり、なぞったりを繰り返して、艶やかな溜息を漏らす。


 結局、初めてのキスが忘れられずに、レジーナは次の日も、その次の日も、ずっと瑠美奈とのキスのことを考えて過ごしていた。


 気が付けば、瑠美奈と二人きりになれる時間を探しすようになっていた。

 だけど、学年が一つ違う二人は中々一緒に過ごせない。


 習い事はたくさんあるし、レジーナはよく人に囲まれるせいで、学校の休み時間も早々会いに行けない。

 世駆兎が放課後に皆を集めてくれなければ、レジーナは瑠美奈と会えなかった。




「君は昔から、嫉妬深かった。独占欲が強くて……私が他の男子と――とりわけ、優斗と話していると、君は強い嫌悪感を示していた」 


「仕方ないだろ……嫌だったんだよ」


「君のそう言う所が好きだよ……素直で、可愛くて、恰好良いよ」


 「どこが」と、口に出しそうになるのを、瑠美奈は堪える。

 独占欲が強く、束縛しがちな性格を、瑠美奈はみっともないと考えていた。分かっていて治せない所が、なおさら嫌だった。


 実際、束縛が強い男に対する世間の風当たりは強い。




「私が優斗と仲良くすればするほど、君は凶暴になっていったね――私をトイレに閉じ込めて、日が暮れるまで私の身体を弄んだ」




 思い出すだけでもレジーナの背中にゾクゾクしたものが走る。

 嫉妬に狂った瑠美奈の瞳。黒く濁った瞳。

 瑠美奈の火傷しそうなくらい熱く滾った舌が、口腔を這い回る感覚は、レジーナを秒で果てさせるほど強烈な快楽を生み出した。

 年齢不相応の強い快楽によって、レジーナは地上にいながら空間失調症に陥るほどだった。


 しかし、悲しいことに、二人はまだ小学生。


 二人の性知識は浅く、フレンチキスよりも先に進むことができなかった。


 それがどうしようもなくもどかしかったのを、レジーナはよく覚えている。






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